瓜生坂越え


八幡宿を抜けた旧中山道は国道142号と道筋を共にして田園風景の中を進む。百沢東交差点で国道を右斜めの小径に離れ、百沢集落に入っていく。幸いにもここの道筋は主要道から離れたため、町並みは街道情緒を良く残している。道の両脇には用水路が施され、水の流れる音が静かな佇まいに心地よく響く。

右の草叢の中に祝言形道祖神を見ると、布施温泉入口交差点で国道を横断する。そして布施温泉に向かう県道を歩くと、左にカーブする所の民家脇に、「右中仙道」と彫られた元禄期の道標があるので、見過ごさぬよう。ここから先が瓜生坂(峠)の入口にあたる金山坂らしく、旧道は県道を離れて右に進路をとるのだが、これが道なのか、民家の敷地なのか、不安にかられながら芝生の付く坂道を上って行くことになる。

途中、草刈り機で道の雑草を刈り取る人がいたのだが、ここが旧中山道ですか?と聞くのも気が引けたので、軽く会釈を交わす程度に済ませ、突当りの舗装道まで上りきる。すると「中山道 道はここから斜面を上り望月宿方面へ向かう。」という案内板が立っており、やはりここが旧道の道筋だったのかと確信する。しかしだ・・・ここから斜面を上ろうにも先は雑木林と雑草に覆われ、とてもじゃないが歩けるような状態ではない。右往左往しながら思案した挙句、ここから先の旧道を進むのは不可能と判断し、舗装道を右に行って国道に出る。

国道からは八幡方向へ少し戻って、左の望月城跡へ向かう道で峠を上る。途中、「中山道 望月方面→」の看板が立つ所で、旧中山道が草叢の中から合流してくる。ここまで上ってくると金山坂からはじまる瓜生坂(峠)の上り道は、大半が望月トンネルの県道(旧国道)や現国道の開削で失われていることに気づく。間もなく山中の道脇に瓜生坂の一里塚跡が現れる。日本橋から45里目(約177km)の一里塚で、数からすると41番目。南塚が現存し、道路に削り取られているが北塚の半分が残る。

峠まで到達すると「中山道 道はここを斜めに下っていた」との案内板があるのだが、当然道らしき道も無いので、普通に舗装道を行くと、すぐに瓜生坂碑と百万辺念仏塔を見ることができる。ここから舗装道を離れ、瓜生坂碑裏手の山道を下りていくと、一面雑草に覆われた平地になる。ここにはかつて茶屋があったらしい。獣道の様相となった旧中山道を進み、いかにも古そうな緑がかった石仏から道は二又に分かれる。ここは左に進路をとり、坂を下って再び舗装道に出ると、前方に望月宿の町並みを一望する。
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