音威子府駅(宗谷本線) ~長い歴史に幕を下ろした名物駅そば~
名寄盆地の北端部、天塩川中流域の山間に約700人が暮らす音威子府(おといねっぷ)村。北海道で最も人口が少ない小さな自治体である。総面積の86%を森林が占めており林業が主要産業の一つで、木工芸品を特産品とする。村内には北海道おといねっぷ美術工芸高等学校があり、木工芸の技術を学ぶべく道内外から若者が集う。
地名の由来について角川日本地名大辞典より引用して紹介。
『古くはヲトイ子フ・ヲトヱ子フなどともいい、音江根布とも書いた。大正元年音威子府駅の開設により音威子府の表記が確立。上川地方北部、天塩川中流域。地名はアイヌ語のオトイネプ(川口が泥んこの川の意)に由来する(音威子府村史)。』
宗谷本線起点の旭川駅から北へ向かって約130km、音威子府村の市街中心をなす音威子府駅。中川郡音威子府村字音威子府に所在。大正元年(1912)鉄道院宗谷線 恩根内駅~当駅間の延伸開通に伴い一般駅として開業、同3年(1914)宗谷線(後の天北線)が小頓別駅まで延伸し途中駅に。大正11年(1922)浜頓別j経由の宗谷線が稚内駅まで繋がり宗谷本線に改称、更に当駅~誉平駅(後の天塩中川駅)間の天塩線(現 宗谷本線)が開通したことで宗谷本線と天塩線の接続駅となる。大正15年(1926)幌延経由の天塩線が全通、昭和5年(1930)天塩線が宗谷本線に編入され、浜頓別経由の宗谷本線は北見線に改称、同36年(1961)北見線から天北線に改称した。
昭和59年(1984)貨物・荷物取扱い廃止、これに伴い駅裏手のシェル石油油槽所閉鎖。平成元年(1989)天北線廃止。平成2年(1990)音威子府交通ターミナルとして現駅舎に改築された。現在の音威子府駅は宗谷本線を1日2往復(旭川~稚内)する特急サロベツと1往復(札幌~稚内)する特急宗谷が発着し、みどりの窓口を設ける主要駅。駅構内に出店する立ち食いそば屋の”常盤軒”は畠山製麺が製造する黒いそばを使った名物駅そばとして名を知らしめたが、2021年2月店主の死去により廃業、更に畠山製麺も社長の高齢を理由に今年(2022年)8月末をもって廃業するという。音威子府そばが食べられるのも今夏が最後のチャンスとなりそうだ。

空中写真データ:国土地理院 整理番号_CHO779-C6B-10を基に作成
昭和52年(1977)撮影、音威子府駅周辺の空中写真。2面3線の相対式ホームに跨線橋を有する駅構造は今と変わらないが、稚内側の駅裏手に機関車庫やラッセル車庫、転車台を残す。また名寄側に昭和46年(1971)に完成したシェル石油油槽所の石油タンクが見える。

昭和60年(1985)頃に撮影した音威子府駅。

かつて駅前にはシンボル的存在のトーテムポールが立っていた。

2番ホームに停車する昔懐かしいキハ22形気動車。ホーム上にある建物の看板には「立喰そば」と書かれているように見える。常盤軒なのだろう。

2022年現在の音威子府駅駅舎。天北線が廃止された翌年の平成2年(1990)、バス待合所を兼ねる音威子府交通ターミナルとして完成した。

駅舎内に設置する天北線資料室。天北線はオホーツク海側回りで音威子府と稚内を繋いだ路線で、現在の宗谷本線が全通するまではこちらのルートが宗谷本線だった。平成元年(1989)廃止。

天北線資料室は平成2年(1990)駅舎改築に伴い新設された。

資料室には天北線の思い出がいっぱい。

天北線の歴史を伝える解説と写真。

天北線路線図。天北線は音威子府からオホーツク海沿岸の浜頓別を経由して稚内を繋ぐローカル線だった。

音威子府の特産品展示。音威子府そばをはじめ、木工芸品や味噌、羊羹など。

クレーンゲームがあったので何度かチャレンジしてみたが、結果はボウズ(涙)。腕を磨いて改めて再チャレンジしよう。

駅ノートがここにありました。

宗谷本線の素敵な鉄道写真。

昭和30年代の音威子府駅を再現した模型。駅構内の大きさや構造がよくわかり往時の様子をうかがう。

思い出おーい、天北線。

天北線廃止を記念して販売された天北線の硬券入場券や乗車記念票。

駅舎前のトーテムポールはどこへ行ってしまったのだろうか。

天北線廃止前、2・3番線ホームにあった立ち食いそばの常盤軒。

こちらが名物駅そば屋の常盤軒。

店のシャッターが閉じられカウンターにはお知らせが。

音威子府村交通ターミナル(JR音威子府駅)内 立ち食いそば「常盤軒(西野商店)」閉店のお知らせ。昭和初期より営業を続けてきた常盤軒であるが、店主が昨年(2021年)2月に肺がんのため永眠されたという。今から40年近く前のこと、少年時代に音威子府の営業所に単身赴任していた父親を訪ね初めてここのそばを食べ、それからも常盤軒のそばを目的に旭川から音威子府に何度か訪れた。また思い出の味が一つ消え寂しい。心からお悔やみを申し上げます。

在りし日の常盤軒を偲んで。

左の窓口は宗谷バスの切符売場。天北線の代替公共交通として運行している宗谷バス「天北宗谷岬線」は、稚内駅前ターミナル~音威子府間の運行距離が約171kmもある全国有数の長距離路線バス。

現代的なワークスペースも。

みどりの窓口と改札口。

きっぷ運賃表。旭川と稚内までどちらも運賃3190円。宗谷本線のちょうど中間地点なんだね。

発車時刻表。1日の発着は幌延・稚内方面普通3本・特急3本、名寄・旭川・札幌方面普通5本・特急3本。

駅スタンプ。天塩中川駅のスタンプもここに。

駅舎内出入口方。

音威子府駅を出て。

構内跨線橋は昔のままだ。

人通りも無く寂しい感じの駅前。

道の駅おといねっぷ。今は鉄道の駅よりこちらに人が集まる。ここで音威子府そばを味わうことができるのだが、残念ながらレストランは営業時間外。8月に改めて来よう。
訪問日:2022年5月3日(火)
地名の由来について角川日本地名大辞典より引用して紹介。
『古くはヲトイ子フ・ヲトヱ子フなどともいい、音江根布とも書いた。大正元年音威子府駅の開設により音威子府の表記が確立。上川地方北部、天塩川中流域。地名はアイヌ語のオトイネプ(川口が泥んこの川の意)に由来する(音威子府村史)。』
宗谷本線起点の旭川駅から北へ向かって約130km、音威子府村の市街中心をなす音威子府駅。中川郡音威子府村字音威子府に所在。大正元年(1912)鉄道院宗谷線 恩根内駅~当駅間の延伸開通に伴い一般駅として開業、同3年(1914)宗谷線(後の天北線)が小頓別駅まで延伸し途中駅に。大正11年(1922)浜頓別j経由の宗谷線が稚内駅まで繋がり宗谷本線に改称、更に当駅~誉平駅(後の天塩中川駅)間の天塩線(現 宗谷本線)が開通したことで宗谷本線と天塩線の接続駅となる。大正15年(1926)幌延経由の天塩線が全通、昭和5年(1930)天塩線が宗谷本線に編入され、浜頓別経由の宗谷本線は北見線に改称、同36年(1961)北見線から天北線に改称した。
昭和59年(1984)貨物・荷物取扱い廃止、これに伴い駅裏手のシェル石油油槽所閉鎖。平成元年(1989)天北線廃止。平成2年(1990)音威子府交通ターミナルとして現駅舎に改築された。現在の音威子府駅は宗谷本線を1日2往復(旭川~稚内)する特急サロベツと1往復(札幌~稚内)する特急宗谷が発着し、みどりの窓口を設ける主要駅。駅構内に出店する立ち食いそば屋の”常盤軒”は畠山製麺が製造する黒いそばを使った名物駅そばとして名を知らしめたが、2021年2月店主の死去により廃業、更に畠山製麺も社長の高齢を理由に今年(2022年)8月末をもって廃業するという。音威子府そばが食べられるのも今夏が最後のチャンスとなりそうだ。

空中写真データ:国土地理院 整理番号_CHO779-C6B-10を基に作成
昭和52年(1977)撮影、音威子府駅周辺の空中写真。2面3線の相対式ホームに跨線橋を有する駅構造は今と変わらないが、稚内側の駅裏手に機関車庫やラッセル車庫、転車台を残す。また名寄側に昭和46年(1971)に完成したシェル石油油槽所の石油タンクが見える。

昭和60年(1985)頃に撮影した音威子府駅。

かつて駅前にはシンボル的存在のトーテムポールが立っていた。

2番ホームに停車する昔懐かしいキハ22形気動車。ホーム上にある建物の看板には「立喰そば」と書かれているように見える。常盤軒なのだろう。

2022年現在の音威子府駅駅舎。天北線が廃止された翌年の平成2年(1990)、バス待合所を兼ねる音威子府交通ターミナルとして完成した。

駅舎内に設置する天北線資料室。天北線はオホーツク海側回りで音威子府と稚内を繋いだ路線で、現在の宗谷本線が全通するまではこちらのルートが宗谷本線だった。平成元年(1989)廃止。

天北線資料室は平成2年(1990)駅舎改築に伴い新設された。

資料室には天北線の思い出がいっぱい。

天北線の歴史を伝える解説と写真。

天北線路線図。天北線は音威子府からオホーツク海沿岸の浜頓別を経由して稚内を繋ぐローカル線だった。

音威子府の特産品展示。音威子府そばをはじめ、木工芸品や味噌、羊羹など。

クレーンゲームがあったので何度かチャレンジしてみたが、結果はボウズ(涙)。腕を磨いて改めて再チャレンジしよう。

駅ノートがここにありました。

宗谷本線の素敵な鉄道写真。

昭和30年代の音威子府駅を再現した模型。駅構内の大きさや構造がよくわかり往時の様子をうかがう。

思い出おーい、天北線。

天北線廃止を記念して販売された天北線の硬券入場券や乗車記念票。

駅舎前のトーテムポールはどこへ行ってしまったのだろうか。

天北線廃止前、2・3番線ホームにあった立ち食いそばの常盤軒。

こちらが名物駅そば屋の常盤軒。

店のシャッターが閉じられカウンターにはお知らせが。

音威子府村交通ターミナル(JR音威子府駅)内 立ち食いそば「常盤軒(西野商店)」閉店のお知らせ。昭和初期より営業を続けてきた常盤軒であるが、店主が昨年(2021年)2月に肺がんのため永眠されたという。今から40年近く前のこと、少年時代に音威子府の営業所に単身赴任していた父親を訪ね初めてここのそばを食べ、それからも常盤軒のそばを目的に旭川から音威子府に何度か訪れた。また思い出の味が一つ消え寂しい。心からお悔やみを申し上げます。

在りし日の常盤軒を偲んで。

左の窓口は宗谷バスの切符売場。天北線の代替公共交通として運行している宗谷バス「天北宗谷岬線」は、稚内駅前ターミナル~音威子府間の運行距離が約171kmもある全国有数の長距離路線バス。

現代的なワークスペースも。

みどりの窓口と改札口。

きっぷ運賃表。旭川と稚内までどちらも運賃3190円。宗谷本線のちょうど中間地点なんだね。

発車時刻表。1日の発着は幌延・稚内方面普通3本・特急3本、名寄・旭川・札幌方面普通5本・特急3本。

駅スタンプ。天塩中川駅のスタンプもここに。

駅舎内出入口方。

音威子府駅を出て。

構内跨線橋は昔のままだ。

人通りも無く寂しい感じの駅前。

道の駅おといねっぷ。今は鉄道の駅よりこちらに人が集まる。ここで音威子府そばを味わうことができるのだが、残念ながらレストランは営業時間外。8月に改めて来よう。
訪問日:2022年5月3日(火)

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