小頓別駅跡(天北線) ~旧駅前旅館が往時の面影を残す~
上音威子府駅から浜頓別方面へ向かう天北線は天北トンネルを抜けて中頓別町に入り小頓別駅に至る。駅間距離は10.2km、昭和40年(1965)までは中間に天北栄(てんぽくざかえ)仮乗降場があったが、天北線が廃止される24年前に廃駅となっており、その姿を見たことがある生き証人はほとんどいないのではなかろうか。国道から約400m離れた山中に跡地があるうえ、現在はアクセスする道も無いことから到達することが困難な伝説の仮乗降場である。
小頓別駅は大正3年(1914)鉄道院宗谷線音威子府駅~当駅間の延伸開通に伴い一般駅として開業。開拓の拠点となり木材の集散地ともなり、駅開業に伴い旅館や料理店等が軒を連ねて居住者が増え、同6年(1917)小頓別小学校が開校。昭和4年(1929)歌登と小頓別を繋ぐ歌登村営軌道が開通した。同36年(1961)路線名を天北線に改称、昭和40年(1965)に小頓別の世帯数188・人口730を数えたが、過疎化が進みはじめて同45年(1970) 歌登町営軌道廃止、同57年(1982)貨物取扱いを廃止、同59年(1984)荷物取扱いが廃止された。駅開業から75年の時が流れた平成元年(1989)、天北線の廃線に伴い小頓別駅廃止。現在の駅跡は公園に整備され駅前に旧丹波屋旅館が残り往時の面影を留める。

空中写真データ:国土地理院 整理番号_CHO779-C1-22を基に作成
昭和52年(1977)撮影、小頓別駅周辺の空中写真。駅は千鳥式に配置された相対式ホーム2面2線と青っぽい屋根の駅舎を有し、駅裏手には木材を野積みする広大なストックヤードを設けていた。当時は駅南側を頓別川が流れ駅前通りから東側国道沿いに市街を形成、西外れに小頓別小中学校(2009年廃校)があり学校東側の道沿いにも市街を形成していた。

天北線資料室の展示より、小頓別駅。駅舎出入口横に”思い出おーい、天北線”の看板が見えるので、廃止直前に撮影されたものだろう。

天北線資料室に残されていた”思い出おーい、天北線”の看板。

小頓別駅跡。ロータリー後ろの車が停まっている辺りが駅舎跡。

駅舎跡より浜頓別方面。

駅舎跡より音威子府方面。先は小頓別木材の製材工場敷地になっている。

駅舎跡より駅前。

駅構内跡に架かる喜楽橋。天北線廃止後に頓別川の流路が付け替えられ、平成16年(2004)に喜楽橋が完成した。

喜楽橋より頓別川上流。かつてここには木材が野積みされるストックヤードが広がっていた。左の川岸には小頓別木材の木材が積み上がっている。

頓別川名標識。川の名の由来『アイヌ語のト・ウン・ペッ(沼・に行く・川)で沼はクッチャロ湖を意味する。夏から秋にはサケ・マスが遡上し、冬になると河口付近ではチカ、コマイ釣りが盛んに行われている。』

旧駅前通り。

駅跡前にある多目的集会施設。

小頓別バス待合室。

待合室には小頓別駅の駅名板。かつて改札口上に掲げていたものと思われる。

北宗谷岬線バス時刻表。上り音威子府方面バス2本と都市間バス天北号(鬼志別~名寄~旭川)1本、下り鬼志別ターミナル方面バス2本と都市間バス天北号(旭川~名寄~鬼志別)1本が発着する。

駅前通りの”あゆみ橋”より駅跡方面。天北線の現役時代、頓別川は駅前を流れていた。なお”あゆみ橋”は天北線が廃止されて翌年の平成2年(1990)に完成している。

あゆみ橋より頓別川旧河道の上流。川の痕跡を留めているが水は完全に無くなっている。

あゆみ橋より頓別川旧河道の下流。国道沿いに旧丹波屋旅館が建物を残す。

木材集散地として賑わった小頓別の往時を伝える旧丹波屋旅館。

和館と洋館を併せもつ建物で国登録有形文化財に指定。

奇をてらった和洋折衷の佇まい。この設計に至った経緯が知りたいものだ。

こんな味のある旅館に泊まってみたい。

旅館の前を流れていた頓別川旧河道と”あゆみ橋”。宿泊客は静寂の中に頓別川のせせらぎを聴きながら眠りにつき、小頓別駅から鳴り響く汽笛で目を覚ましたのだろうか。

旧丹波屋旅館から国道を音威子府方面へ約700m、国道沿いに”えるむの里”。

ここは平成21年(2009)廃校となった旧小頓別小中学校。

廃校から13年が経っているが校舎をしっかり残す。玄関はベニヤ板でふさがれ再利用はされていないようだ。

校舎と比較して新しい感じの体育館。

グランドの傍らには”にれ”と刻む開校70周年記念碑。

開校70周年記念碑は昭和61年(1986)9月建立。裏面に大まかな歴史年表が刻まれていた。
大正4年(1915)上幌別第一教育所付属小頓別特別教場として認可
昭和41年(1966)開校50周年、新校舎落成記念式挙行
昭和60年(1985)開校70周年、新体育館落成記念式典挙行
平成21年(2009)3月31日閉校、中頓別小学校・中頓別中学校に統合

旧小頓別小中学校の校門。

左の校門には小頓別中学校のプレート。

右の校門には小頓別小学校のプレート。

学校敷地内にあった池。橋が架けられる中島には神社があったと思われる。

今は静寂に包まれる校庭を望んで、小頓別を後に。
訪問日:2022年5月3日(火)
小頓別駅は大正3年(1914)鉄道院宗谷線音威子府駅~当駅間の延伸開通に伴い一般駅として開業。開拓の拠点となり木材の集散地ともなり、駅開業に伴い旅館や料理店等が軒を連ねて居住者が増え、同6年(1917)小頓別小学校が開校。昭和4年(1929)歌登と小頓別を繋ぐ歌登村営軌道が開通した。同36年(1961)路線名を天北線に改称、昭和40年(1965)に小頓別の世帯数188・人口730を数えたが、過疎化が進みはじめて同45年(1970) 歌登町営軌道廃止、同57年(1982)貨物取扱いを廃止、同59年(1984)荷物取扱いが廃止された。駅開業から75年の時が流れた平成元年(1989)、天北線の廃線に伴い小頓別駅廃止。現在の駅跡は公園に整備され駅前に旧丹波屋旅館が残り往時の面影を留める。

空中写真データ:国土地理院 整理番号_CHO779-C1-22を基に作成
昭和52年(1977)撮影、小頓別駅周辺の空中写真。駅は千鳥式に配置された相対式ホーム2面2線と青っぽい屋根の駅舎を有し、駅裏手には木材を野積みする広大なストックヤードを設けていた。当時は駅南側を頓別川が流れ駅前通りから東側国道沿いに市街を形成、西外れに小頓別小中学校(2009年廃校)があり学校東側の道沿いにも市街を形成していた。

天北線資料室の展示より、小頓別駅。駅舎出入口横に”思い出おーい、天北線”の看板が見えるので、廃止直前に撮影されたものだろう。

天北線資料室に残されていた”思い出おーい、天北線”の看板。

小頓別駅跡。ロータリー後ろの車が停まっている辺りが駅舎跡。

駅舎跡より浜頓別方面。

駅舎跡より音威子府方面。先は小頓別木材の製材工場敷地になっている。

駅舎跡より駅前。

駅構内跡に架かる喜楽橋。天北線廃止後に頓別川の流路が付け替えられ、平成16年(2004)に喜楽橋が完成した。

喜楽橋より頓別川上流。かつてここには木材が野積みされるストックヤードが広がっていた。左の川岸には小頓別木材の木材が積み上がっている。

頓別川名標識。川の名の由来『アイヌ語のト・ウン・ペッ(沼・に行く・川)で沼はクッチャロ湖を意味する。夏から秋にはサケ・マスが遡上し、冬になると河口付近ではチカ、コマイ釣りが盛んに行われている。』

旧駅前通り。

駅跡前にある多目的集会施設。

小頓別バス待合室。

待合室には小頓別駅の駅名板。かつて改札口上に掲げていたものと思われる。

北宗谷岬線バス時刻表。上り音威子府方面バス2本と都市間バス天北号(鬼志別~名寄~旭川)1本、下り鬼志別ターミナル方面バス2本と都市間バス天北号(旭川~名寄~鬼志別)1本が発着する。

駅前通りの”あゆみ橋”より駅跡方面。天北線の現役時代、頓別川は駅前を流れていた。なお”あゆみ橋”は天北線が廃止されて翌年の平成2年(1990)に完成している。

あゆみ橋より頓別川旧河道の上流。川の痕跡を留めているが水は完全に無くなっている。

あゆみ橋より頓別川旧河道の下流。国道沿いに旧丹波屋旅館が建物を残す。

木材集散地として賑わった小頓別の往時を伝える旧丹波屋旅館。

和館と洋館を併せもつ建物で国登録有形文化財に指定。

奇をてらった和洋折衷の佇まい。この設計に至った経緯が知りたいものだ。

こんな味のある旅館に泊まってみたい。

旅館の前を流れていた頓別川旧河道と”あゆみ橋”。宿泊客は静寂の中に頓別川のせせらぎを聴きながら眠りにつき、小頓別駅から鳴り響く汽笛で目を覚ましたのだろうか。

旧丹波屋旅館から国道を音威子府方面へ約700m、国道沿いに”えるむの里”。

ここは平成21年(2009)廃校となった旧小頓別小中学校。

廃校から13年が経っているが校舎をしっかり残す。玄関はベニヤ板でふさがれ再利用はされていないようだ。

校舎と比較して新しい感じの体育館。

グランドの傍らには”にれ”と刻む開校70周年記念碑。

開校70周年記念碑は昭和61年(1986)9月建立。裏面に大まかな歴史年表が刻まれていた。
大正4年(1915)上幌別第一教育所付属小頓別特別教場として認可
昭和41年(1966)開校50周年、新校舎落成記念式挙行
昭和60年(1985)開校70周年、新体育館落成記念式典挙行
平成21年(2009)3月31日閉校、中頓別小学校・中頓別中学校に統合

旧小頓別小中学校の校門。

左の校門には小頓別中学校のプレート。

右の校門には小頓別小学校のプレート。

学校敷地内にあった池。橋が架けられる中島には神社があったと思われる。

今は静寂に包まれる校庭を望んで、小頓別を後に。
訪問日:2022年5月3日(火)

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