中名寄駅跡(名寄本線) ~仮乗降場から有人駅に昇格した駅~
平成元年(1989)名寄本線の廃止と共に駅の役目を終えた中名寄駅。名寄本線起点の名寄駅から5.8km地点の一駅目にあたり、名寄市字朝日に所在した。無人化後に改築されたプレハブ駅舎を今も残す。周辺一帯は北側に名寄川が流れる農村地帯で、駅近くに現役の中名寄小学校がある。
中名寄駅は大正8年(1919)名寄線(後の名寄本線)名寄駅~下川駅間が開通してから28年後の昭和22年(1947)、名寄駅と上名寄駅の間に中名寄仮乗降場として開業。仮乗降場名の由来は駅名に”名寄”を持つ両隣の駅の中間にあったから。3年後の同25年(1950)駅に昇格し荷物取扱い開始、エビデンスが無いがこの頃に有人駅となり木造駅舎が設けられたと思われる。同38年(1963)業務委託化、同53年(1978)荷物取扱いが廃止され再び無人駅に。それから間もなく後に有人駅時代の木造駅舎を解体しプレハブ駅舎に建て替えられた。

空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO7712-C13B-10を基に作成
昭和52年(1977)撮影、中名寄駅周辺の空中写真。有人駅時代の駅舎と単式ホームが見える。駅前は木々に囲まれている感じ。

国道239号から駅前通りと旧中名寄駅跡。

廃止から33年経っても駅舎を残す中名寄駅。

昭和53年(1978)無人駅となって後に建て替えられた駅舎。プレハブながら立派な駅舎である。

構内側より駅舎。

駅舎より名寄方面。廃止前は駅舎から名寄側に1面1線の単式ホームが設けられていた。

駅舎より上名寄・下川方面。路盤は水田になって消え失せている。

駅舎より駅前通り。

駅前には何もなく、駅舎から駅前通りを50m程行けば国道239号に接続する。

駅舎出入口にはしっかりと駅名表記を残す。

駅前側出入口。

廃止当時の状態を残す駅舎内。

ベンチもばっちり残っている。

ホーム側出入口。

名寄本線関連の立て看板やポスター。

おそらく駅ノートが置かれていたのだろうが今は無い。

壁面に天北線・深名線・興浜北線の基準運転図表。

現役時代の中名寄駅写真。

駅舎左横に自転車置き場らしき小屋がある。

駅舎内よりホーム跡を望む。

中名寄駅近くにある中名寄5線停留所。現在は名士バスが中名寄の公共交通を担う。

名寄行は1日に14本のバスが発着。意外と交通の便はよい。
訪問日:2022年8月2日(火)
中名寄駅は大正8年(1919)名寄線(後の名寄本線)名寄駅~下川駅間が開通してから28年後の昭和22年(1947)、名寄駅と上名寄駅の間に中名寄仮乗降場として開業。仮乗降場名の由来は駅名に”名寄”を持つ両隣の駅の中間にあったから。3年後の同25年(1950)駅に昇格し荷物取扱い開始、エビデンスが無いがこの頃に有人駅となり木造駅舎が設けられたと思われる。同38年(1963)業務委託化、同53年(1978)荷物取扱いが廃止され再び無人駅に。それから間もなく後に有人駅時代の木造駅舎を解体しプレハブ駅舎に建て替えられた。

空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO7712-C13B-10を基に作成
昭和52年(1977)撮影、中名寄駅周辺の空中写真。有人駅時代の駅舎と単式ホームが見える。駅前は木々に囲まれている感じ。

国道239号から駅前通りと旧中名寄駅跡。

廃止から33年経っても駅舎を残す中名寄駅。

昭和53年(1978)無人駅となって後に建て替えられた駅舎。プレハブながら立派な駅舎である。

構内側より駅舎。

駅舎より名寄方面。廃止前は駅舎から名寄側に1面1線の単式ホームが設けられていた。

駅舎より上名寄・下川方面。路盤は水田になって消え失せている。

駅舎より駅前通り。

駅前には何もなく、駅舎から駅前通りを50m程行けば国道239号に接続する。

駅舎出入口にはしっかりと駅名表記を残す。

駅前側出入口。

廃止当時の状態を残す駅舎内。

ベンチもばっちり残っている。

ホーム側出入口。

名寄本線関連の立て看板やポスター。

おそらく駅ノートが置かれていたのだろうが今は無い。

壁面に天北線・深名線・興浜北線の基準運転図表。

現役時代の中名寄駅写真。

駅舎左横に自転車置き場らしき小屋がある。

駅舎内よりホーム跡を望む。

中名寄駅近くにある中名寄5線停留所。現在は名士バスが中名寄の公共交通を担う。

名寄行は1日に14本のバスが発着。意外と交通の便はよい。
訪問日:2022年8月2日(火)

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