恵野駅跡(天北線) ~天北線に存在した元祖”めぐみの”~
かつて天北線(廃止時)起点の音威子府駅から4駅目(23.2km地点)、枝幸郡中頓別町字上頓別に所在した恵野(めぐみの)駅。昭和31年(1956)国鉄北見線の恵野仮乗降場として開業、昭和62年(1987)経営が国鉄からJR北海道へ移ったことに伴い駅に昇格した。単式ホームに待合所を設けるだけの典型的な無人駅で、平成元年(1989)天北線の廃線に伴い廃駅となった。
JR北海道の貴重な黒字路線の千歳線に同名の恵み野駅(恵庭市)があるのだが、ここは昭和57年(1982)に新設。つまるところ天北線の恵野駅はその26年前に開業しており、こちらが元祖”めぐみの”なのである。千歳線の方の駅名由来は駅周辺にある”恵庭ニュータウン恵み野”にあるのだが、天北線の方は謎でわからない。どんな経緯があってこの駅名が付けられたのか、知りたい…。

空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO776-C16B-13を基に作成
昭和52年(1977)撮影、恵野仮乗降場周辺の空中写真。天北線右側に沿って通される道は国道275号。国道から左に入って踏切を越えたすぐ先に待合所、その南側の稚内方面に向かって線路左側にホームを設けていた。

上頓別待合所にあった水彩画。駅名標を見る限り仮乗降場の時代だろうか。敏音知岳を背景に単式ホームと待合所を設ける恵野仮乗降場を描く。

上の水彩画と同じアングルで撮影した恵野駅跡。線路は道路(中頓別町道63号上頓別側道線)と化し、左手に見える農家らしき大規模な施設はポツンと一軒家に。昔と変わらないのは敏音知岳だけ。

この交差点角辺りに待合所があった。

待合所跡より音威子府方面。

かつて国道275号まで延びていた駅前通りは廃道となっている。

駅前通り跡(駅跡より国道方面)。

西側に民家の私道となって残る旧駅前通り。

旧駅前通りと国道の分岐点に恵野停留所(鬼志別・稚内方面)が設けられている。

雑草に覆われる恵野停留所。

見る人もいないのだろう、時刻表はボロボロ。

恵野停留所より駅前通り跡。廃道となっているが人が通るには十分な轍の道が残っている。
訪問日:2022年8月3日(水)
JR北海道の貴重な黒字路線の千歳線に同名の恵み野駅(恵庭市)があるのだが、ここは昭和57年(1982)に新設。つまるところ天北線の恵野駅はその26年前に開業しており、こちらが元祖”めぐみの”なのである。千歳線の方の駅名由来は駅周辺にある”恵庭ニュータウン恵み野”にあるのだが、天北線の方は謎でわからない。どんな経緯があってこの駅名が付けられたのか、知りたい…。

空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO776-C16B-13を基に作成
昭和52年(1977)撮影、恵野仮乗降場周辺の空中写真。天北線右側に沿って通される道は国道275号。国道から左に入って踏切を越えたすぐ先に待合所、その南側の稚内方面に向かって線路左側にホームを設けていた。

上頓別待合所にあった水彩画。駅名標を見る限り仮乗降場の時代だろうか。敏音知岳を背景に単式ホームと待合所を設ける恵野仮乗降場を描く。

上の水彩画と同じアングルで撮影した恵野駅跡。線路は道路(中頓別町道63号上頓別側道線)と化し、左手に見える農家らしき大規模な施設はポツンと一軒家に。昔と変わらないのは敏音知岳だけ。

この交差点角辺りに待合所があった。

待合所跡より音威子府方面。

かつて国道275号まで延びていた駅前通りは廃道となっている。

駅前通り跡(駅跡より国道方面)。

西側に民家の私道となって残る旧駅前通り。

旧駅前通りと国道の分岐点に恵野停留所(鬼志別・稚内方面)が設けられている。

雑草に覆われる恵野停留所。

見る人もいないのだろう、時刻表はボロボロ。

恵野停留所より駅前通り跡。廃道となっているが人が通るには十分な轍の道が残っている。
訪問日:2022年8月3日(水)

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