敏音知駅跡(天北線) ~駅跡はオートキャンプ場に~
中頓別町西部の敏音知岳南西麓の山間に位置する敏音知。読みは”ぴんねしり”でアイヌ語由来の難読地名である。角川日本地名大辞典によれば『地名は東方にそびえる第三紀の死火山敏音知岳(ピンネシリ)により、アイヌ語でピンネは「男」、シルは「山」の意で、「夫である山」と解される(地名アイヌ語小辞典)』とある。敏音知岳の標高は703m、その北東方に標高531mの松音知岳があり、こちらはアイヌ語で”女の山”を意味。敏音知岳と松音知岳は対をなして中頓別町の名峰として知られる。敏音知岳南西麓の山間を国道275号が通り沿線に敏音知市街を形成、その中心北側にに天北線の敏音知駅があった。
敏音知駅は枝幸郡中頓別町字敏音知に所在。大正5年(1916) 鉄道院宗谷線小頓別駅~中頓別駅間の延伸開通に伴い一般駅として開業。昭和36年(1961)路線名を天北線に改称、同48年(1973)貨物・荷物取扱いが廃止され、平成元年(1989)天北線の廃線に伴い廃駅となった。廃駅時まで木造駅舎を有する駅員配置の有人駅だった。現在の駅跡周辺はキャンプ場に整備され、往時を偲ぶように駅名標や踏切等のモニュメントと共に記念碑などが設置されている。

空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO776-C15B-6を基に作成
昭和52年(1977)撮影、敏音知駅周辺の空中写真。千鳥式に配置された相対式ホーム2面2線、国道側に青系屋根の駅舎を有していた。駅から国道へ延びる駅前通り沿いには建物が無いが、国道沿いに店や民家らしき建物が建ち並ぶ。

音威子府駅併設の天北線資料室に展示される敏音知駅の駅名標。

敏音知駅は廃止1ヶ月前の平成元年(1989)4月に事故皆無を表彰された。この表彰状を受け取った駅長さんや駅員さんがどんな人柄で仕事に向き合ってきたのか、話を聞きたいと思ってしまう。

恵野駅~敏音知駅間に残る敏音知跨線橋。

敏音知跨線橋は昭和47年(1972)9月完成。

敏音知跨線橋より天北線跡(恵野・音威子府方面)。路盤は藪に覆われる。

敏音知跨線橋が完成して50年、天北線が廃止されて30年以上の時が流れ。

敏音知市街南端にある旧敏音知小学校。敏音知駅が開業する前年の大正4年(1915)12月開校、それから91年後の平成18年(2006)3月に閉校した。現在は近代的な校舎を残し”そうや自然学校”の看板を掲げる。

校歌を刻む敏音知小学校閉校記念碑。

敏音知駅跡に設けられる道の駅ピンネシリ(ピンネシリ交流プラザ)。併設するオートキャンプ場が平成5年(1993)に先行してオープン、同8年(1996)道の駅として登録された。
道の駅ピンネシリ
https://pinneshiri-autocamp.com/

オートキャンプ場の一角が敏音知駅跡。

敏音知駅跡碑と駅名標を模した解説板を設ける。

駅名標裏に中頓別町内の天北線について解説。

踏切・ホーム・駅名標、往時を偲んだモニュメント。

駅跡より松音知方面。見た感じ鉄路や枕木だけは廃止時のものかもしれない。

廃止時に両隣の駅は昭和62年(1987)の国鉄分割民営化に伴い仮乗降場から駅に昇格した恵野駅と周磨駅だが、廃止まで行先に表記されることはなかったようだ。

駅跡より上頓別・音威子府方面。

敏音知駅跡前。右手に農業倉庫を残す。

駅跡一帯はオートキャンプ場に整備された。

ブロック造りの農業倉庫。壁面には「貯金は農協」とある。

農業倉庫より駅跡を望む。

駅跡前を通る国道275号(音威子府方面)。かつては道沿いに店や民家がそれなりにあったようだが…。

浜頓別方面。
訪問日:2022年8月3日(水)
敏音知駅は枝幸郡中頓別町字敏音知に所在。大正5年(1916) 鉄道院宗谷線小頓別駅~中頓別駅間の延伸開通に伴い一般駅として開業。昭和36年(1961)路線名を天北線に改称、同48年(1973)貨物・荷物取扱いが廃止され、平成元年(1989)天北線の廃線に伴い廃駅となった。廃駅時まで木造駅舎を有する駅員配置の有人駅だった。現在の駅跡周辺はキャンプ場に整備され、往時を偲ぶように駅名標や踏切等のモニュメントと共に記念碑などが設置されている。

空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO776-C15B-6を基に作成
昭和52年(1977)撮影、敏音知駅周辺の空中写真。千鳥式に配置された相対式ホーム2面2線、国道側に青系屋根の駅舎を有していた。駅から国道へ延びる駅前通り沿いには建物が無いが、国道沿いに店や民家らしき建物が建ち並ぶ。

音威子府駅併設の天北線資料室に展示される敏音知駅の駅名標。

敏音知駅は廃止1ヶ月前の平成元年(1989)4月に事故皆無を表彰された。この表彰状を受け取った駅長さんや駅員さんがどんな人柄で仕事に向き合ってきたのか、話を聞きたいと思ってしまう。

恵野駅~敏音知駅間に残る敏音知跨線橋。

敏音知跨線橋は昭和47年(1972)9月完成。

敏音知跨線橋より天北線跡(恵野・音威子府方面)。路盤は藪に覆われる。

敏音知跨線橋が完成して50年、天北線が廃止されて30年以上の時が流れ。

敏音知市街南端にある旧敏音知小学校。敏音知駅が開業する前年の大正4年(1915)12月開校、それから91年後の平成18年(2006)3月に閉校した。現在は近代的な校舎を残し”そうや自然学校”の看板を掲げる。

校歌を刻む敏音知小学校閉校記念碑。

敏音知駅跡に設けられる道の駅ピンネシリ(ピンネシリ交流プラザ)。併設するオートキャンプ場が平成5年(1993)に先行してオープン、同8年(1996)道の駅として登録された。
道の駅ピンネシリ
https://pinneshiri-autocamp.com/

オートキャンプ場の一角が敏音知駅跡。

敏音知駅跡碑と駅名標を模した解説板を設ける。

駅名標裏に中頓別町内の天北線について解説。

踏切・ホーム・駅名標、往時を偲んだモニュメント。

駅跡より松音知方面。見た感じ鉄路や枕木だけは廃止時のものかもしれない。

廃止時に両隣の駅は昭和62年(1987)の国鉄分割民営化に伴い仮乗降場から駅に昇格した恵野駅と周磨駅だが、廃止まで行先に表記されることはなかったようだ。

駅跡より上頓別・音威子府方面。

敏音知駅跡前。右手に農業倉庫を残す。

駅跡一帯はオートキャンプ場に整備された。

ブロック造りの農業倉庫。壁面には「貯金は農協」とある。

農業倉庫より駅跡を望む。

駅跡前を通る国道275号(音威子府方面)。かつては道沿いに店や民家がそれなりにあったようだが…。

浜頓別方面。
訪問日:2022年8月3日(水)

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