周磨駅跡(天北線) ~敏音知岳を望んだ仮乗降場~
敏音知駅の駅名標によれば浜頓別方面の次駅は7.4km先の松音知駅。しかしながらこの区間の中間地点には周磨駅という単式ホーム1面1線だけを有する仮乗降場出自の駅が存在していた。
周磨駅は枝幸郡中頓別町字松音知に所在、駅付近一帯は”周麿”という地名を称する。駅名にある”磨”と地名の”麿”に相違があり、その理由は謎だというが、想像するに誤植に気づかずそのまま仮乗降場名として採用されたといったところか。周麿地区は山間の平坦部に牧草地が広がる地域で、地名の由来は付近を流れる周麿川(シュウマロネップ川)にあり、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「周磨駅」によれば、アイヌ語の「シュル・マル・ネプ」に語源があり、「石が大きな山の中の川」の意だという。
昭和31年(1956)国鉄北見線の周磨仮乗降場として開業、経営が国鉄からJR北海道に移ったことに伴い駅に昇格。平成元年(1989)天北線の全線廃止に伴い廃駅となる。

空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO776-C14B-10を基に作成
昭和52年(1977)撮影、周磨仮乗降場周辺の空中写真。天北線左側に沿って通される道は国道275号。国道から右に入って踏切左手、浜頓別・稚内方面に向かって線路右側にホームを設けていた。開業から廃止されるまで待合所は無かったようだ。

敏音知駅跡の駅名標に”しゅうまろ SHUMARO”の記載はないが、敏音知駅と松音知駅の間には周麿駅があった。

国道275号から周麿駅方面へ延びる道。

道の左側に見える白樺辺りが周麿駅跡。正面に敏音知岳を望む。

写真中央、林の中が周磨駅跡。今は何も遺構を残していない。

周磨駅跡より音威子府方面。

周麿駅跡より国道方面。駅横にあった踏切の形跡は見当たらない。

かつてはあの林の中に単式ホームがあったはず。

周磨駅跡付近の国道275号(音威子府方面)。

国道沿いに周麿停留所。

こちらは地名に合わせ”麿”を字を用いている。

ボロボロになっている時刻表。この停留所を利用する乗客はほぼいないのだろう。
訪問日:2022年8月3日(水)
周磨駅は枝幸郡中頓別町字松音知に所在、駅付近一帯は”周麿”という地名を称する。駅名にある”磨”と地名の”麿”に相違があり、その理由は謎だというが、想像するに誤植に気づかずそのまま仮乗降場名として採用されたといったところか。周麿地区は山間の平坦部に牧草地が広がる地域で、地名の由来は付近を流れる周麿川(シュウマロネップ川)にあり、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「周磨駅」によれば、アイヌ語の「シュル・マル・ネプ」に語源があり、「石が大きな山の中の川」の意だという。
昭和31年(1956)国鉄北見線の周磨仮乗降場として開業、経営が国鉄からJR北海道に移ったことに伴い駅に昇格。平成元年(1989)天北線の全線廃止に伴い廃駅となる。

空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO776-C14B-10を基に作成
昭和52年(1977)撮影、周磨仮乗降場周辺の空中写真。天北線左側に沿って通される道は国道275号。国道から右に入って踏切左手、浜頓別・稚内方面に向かって線路右側にホームを設けていた。開業から廃止されるまで待合所は無かったようだ。

敏音知駅跡の駅名標に”しゅうまろ SHUMARO”の記載はないが、敏音知駅と松音知駅の間には周麿駅があった。

国道275号から周麿駅方面へ延びる道。

道の左側に見える白樺辺りが周麿駅跡。正面に敏音知岳を望む。

写真中央、林の中が周磨駅跡。今は何も遺構を残していない。

周磨駅跡より音威子府方面。

周麿駅跡より国道方面。駅横にあった踏切の形跡は見当たらない。

かつてはあの林の中に単式ホームがあったはず。

周磨駅跡付近の国道275号(音威子府方面)。

国道沿いに周麿停留所。

こちらは地名に合わせ”麿”を字を用いている。

ボロボロになっている時刻表。この停留所を利用する乗客はほぼいないのだろう。
訪問日:2022年8月3日(水)

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