留萌本線 ~乗り鉄の旅 2022年末 前編~
あと何日かで今年も終わる2022年の年末、例年通りに旭川へ帰省して早速留萌本線を使って留萌駅へ行くことに。実家最寄り駅の近文駅から10:40発函館本線(滝川行)に乗車、深川駅で11:10発留萌本線(留萌行)に乗り換えた。これが石狩沼田~留萌間の鉄道旅は最後になるかもしれない。終着の留萌駅まで約1時間、留萌本線を目に焼き付けておきたい。

実家最寄りの近文駅から乗り鉄の旅に出る。

近文10:40発の滝川行普通列車が1番のりばに入線。やってきたのはキハ40形の山明号。幸先がいい。

これに乗車して深川駅へ向かう。

深川駅で山明号を下車して留萌行に乗り換え。4番のりばで発車を待つ11:10発留萌行。

構内跨線橋の階段を降りて。

乗り換え時間は8分しかない。

ホームにあった発車時刻表。留萌方面は1日7本の普通列車を運行する。

北海道の冬の厳しさを物語っている。

深川駅から約1時間の鉄道旅を経て12:07留萌駅に到着。ぞくぞくと旅客が降車。

この列車は到着から11分後、12:18発深川行となり折り返す。

留萌駅での滞在時間が11分の旅客も多くいるのだろう。少々慌ただしい感じ。

留萌駅に停車するキハ40形の姿を写真に残そうとする人たちで賑わう。

この光景が見られるのもあと3ヶ月。

発車時刻が近づき徐々にホームから人がいなくなり。

列車は束の間の休息。

6年前の平成28年(2016)に廃線された増毛方面。この先に列車が行くことは無くなったが、今も列車の往来を待つかのように第10留萌川橋梁が残っている。

4ヶ月後、本当にこの駅は無くなるのだろうか…。

12:18発深川行の改札を待つ乗客。

改札が始まりぞくぞくと乗客がホームへ入ってゆく。私は4時間後の16:17発深川行に乗車して帰るつもり。

この記念入場券が欲しかったのだが、完売御礼とは…。

北海道新聞2022年12月13日の記事より。「来年3月31日まで、3千セット限定で販売する。」と書かれていたのだが…。発売から半月程が過ぎた12月末だったにもかかわらず購入できず残念無念。倍の6セット用意してもすべて捌ききれただろうに、見込みが甘い。

整然と4人がけベンチが並ぶ待合室。

待合室にある駅そば屋。廃止後にこの店はどうなるのだろう。

待合室に展示する”高木勲 氏 鉄道絵画展”。

留萌出身の高木勲 氏は昭和28年(1953)から平成2年(1990)に定年退職するまで留萌駅に勤務。趣味で留萌駅や市内の建物等をペン画に描き続けてきた。

昭和2年(1927)に開設し同16年(1941)廃止された東留萠信号所。羽幌方面の列車は留萌駅を出るとここでスイッチバックして羽幌線に乗り入れていた。この絵は信号所廃止から12年後の昭和28年(1953)に描かれたもので、当時信号所関係の建物が残っていたことをうかがう。

昭和32年(1957)当時の留萌駅。

昭和30年(1955)8月15日、留萌駅構内南側からの展望。奥に線路を跨ぐ天塩鉄道跨線橋が見える。

昭和20年(1945)7月15日の留萌空襲を描き残す。

昭和28年(1953)10月3日、留萌駅構内の1番・2番・3番ホーム。「跨線橋を渡って深川・羽幌方面」と書かれており、手前左側が増毛方面の1番ホーム、右奥の島式ホームが深川・羽幌方面の2・3番ホームなのだろう。

昭和34年(1959)10月、1番ホームと2・3番ホーム、羽幌線と天塩鉄道線の構内跨線橋を描く。「当時羽幌線は東留萌信号所から折返し運転。留萌川の川向いを走っていた」と記されている。

昭和42年(1967)現駅舎が完成した当時の留萌駅。

鉄道絵画展を見終えてトイレに行ったらあのフラワースタンドが目に留まり。

増毛に向かうべく留萌駅を出て。

留萌駅から増毛方面へのバス乗り場へ向かう。手前右手が”留萌駅前1のりば”で、増毛方面は奥左手の”留萌駅前2のりば”。

”留萌駅前2のりば”に12:35発大別苅行の沿岸バスが到着。

これに乗って増毛へ向かう。

バス車内はこんな感じ。増毛はどんな大晦日を迎えているのだろう。
訪問日:2022年12月31日(土)

実家最寄りの近文駅から乗り鉄の旅に出る。

近文10:40発の滝川行普通列車が1番のりばに入線。やってきたのはキハ40形の山明号。幸先がいい。

これに乗車して深川駅へ向かう。

深川駅で山明号を下車して留萌行に乗り換え。4番のりばで発車を待つ11:10発留萌行。

構内跨線橋の階段を降りて。

乗り換え時間は8分しかない。

ホームにあった発車時刻表。留萌方面は1日7本の普通列車を運行する。

北海道の冬の厳しさを物語っている。

深川駅から約1時間の鉄道旅を経て12:07留萌駅に到着。ぞくぞくと旅客が降車。

この列車は到着から11分後、12:18発深川行となり折り返す。

留萌駅での滞在時間が11分の旅客も多くいるのだろう。少々慌ただしい感じ。

留萌駅に停車するキハ40形の姿を写真に残そうとする人たちで賑わう。

この光景が見られるのもあと3ヶ月。

発車時刻が近づき徐々にホームから人がいなくなり。

列車は束の間の休息。

6年前の平成28年(2016)に廃線された増毛方面。この先に列車が行くことは無くなったが、今も列車の往来を待つかのように第10留萌川橋梁が残っている。

4ヶ月後、本当にこの駅は無くなるのだろうか…。

12:18発深川行の改札を待つ乗客。

改札が始まりぞくぞくと乗客がホームへ入ってゆく。私は4時間後の16:17発深川行に乗車して帰るつもり。

この記念入場券が欲しかったのだが、完売御礼とは…。

北海道新聞2022年12月13日の記事より。「来年3月31日まで、3千セット限定で販売する。」と書かれていたのだが…。発売から半月程が過ぎた12月末だったにもかかわらず購入できず残念無念。倍の6セット用意してもすべて捌ききれただろうに、見込みが甘い。

整然と4人がけベンチが並ぶ待合室。

待合室にある駅そば屋。廃止後にこの店はどうなるのだろう。

待合室に展示する”高木勲 氏 鉄道絵画展”。

留萌出身の高木勲 氏は昭和28年(1953)から平成2年(1990)に定年退職するまで留萌駅に勤務。趣味で留萌駅や市内の建物等をペン画に描き続けてきた。

昭和2年(1927)に開設し同16年(1941)廃止された東留萠信号所。羽幌方面の列車は留萌駅を出るとここでスイッチバックして羽幌線に乗り入れていた。この絵は信号所廃止から12年後の昭和28年(1953)に描かれたもので、当時信号所関係の建物が残っていたことをうかがう。

昭和32年(1957)当時の留萌駅。

昭和30年(1955)8月15日、留萌駅構内南側からの展望。奥に線路を跨ぐ天塩鉄道跨線橋が見える。

昭和20年(1945)7月15日の留萌空襲を描き残す。

昭和28年(1953)10月3日、留萌駅構内の1番・2番・3番ホーム。「跨線橋を渡って深川・羽幌方面」と書かれており、手前左側が増毛方面の1番ホーム、右奥の島式ホームが深川・羽幌方面の2・3番ホームなのだろう。

昭和34年(1959)10月、1番ホームと2・3番ホーム、羽幌線と天塩鉄道線の構内跨線橋を描く。「当時羽幌線は東留萌信号所から折返し運転。留萌川の川向いを走っていた」と記されている。

昭和42年(1967)現駅舎が完成した当時の留萌駅。

鉄道絵画展を見終えてトイレに行ったらあのフラワースタンドが目に留まり。

増毛に向かうべく留萌駅を出て。

留萌駅から増毛方面へのバス乗り場へ向かう。手前右手が”留萌駅前1のりば”で、増毛方面は奥左手の”留萌駅前2のりば”。

”留萌駅前2のりば”に12:35発大別苅行の沿岸バスが到着。

これに乗って増毛へ向かう。

バス車内はこんな感じ。増毛はどんな大晦日を迎えているのだろう。
訪問日:2022年12月31日(土)

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