日高本線 ~2023正月 苫小牧駅・勇払駅~
苫小牧駅から北海道の太平洋沿岸を通って146.5km先の様似駅(様似郡様似町)を鉄路で繋いでいた日高本線。平成27年(2015)1月に厚賀駅~大狩部駅間で高波を受けて路盤の土砂が流出、鵡川駅~様似駅間が不通となって後、台風や地震の自然災害により不通区間が大きなダメージを受けたこともあり、再び開通することなく令和3年(2021)4月1日に鵡川駅~様似駅間が廃止された。現在の日高本線は苫小牧駅~鵡川駅間で運行を継続しているがその運行距離は30.5km、本線とは名ばかりの支線と化している。
日高本線の起点、苫小牧駅が所在する苫小牧市は明治43年(1910)王子製紙の工場が操業開始したことをはじまりに、昭和18年(1943)大日本再生製紙(現 日本製紙)の工場が勇払で操業を開始。小さな漁村に過ぎなかった集落は製紙産業が盛んになったことをきっかけに、高度経済成長期には大規模な港湾が建設され、石油精製業や自動車工業などが進出し工業都市として大きく発展を遂げた。人口は増加の一途を辿ってきたが平成25年(2013)の17万4469人をピークに減少へと転じており、現在は17万人を下回っている。
苫小牧駅は明治25年(1892)北海道炭礦鉄道の一般駅として開業。同39年(1906)所属線が国有化され同42年(1909)室蘭本線に改称した。大正2年(1913)苫小牧軽便鉄道が苫小牧駅~佐瑠太駅(現 富川駅)間が開業、昭和2年(1927)国有化され日高線に改称、同12年(1937)様似駅まで全通した。現在の駅舎は昭和57年(1982)完成の4代目で、室蘭本線・千歳線・日高本線の3路線が乗り入れるターミナル駅となっている。
駅名に付けられている地名”トマコマイ”の語源について苫小牧市のホームページ「苫小牧市の概要」より引用。『以前、苫小牧川が流れる一帯を、当時の河川名であったマコマイ(アイヌ語で「山奥に入っていく川」)と呼んでいた。沼のあった旧樽前山神社付近一帯はアイヌ語で沼の意味がある「ト」の字をつけて「ト・マコマイ」と呼ばれるようになり、今日の苫小牧になった。』

空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO759-C26A-31を基に作成
昭和50年(1975)撮影、苫小牧駅周辺の空中写真。駅舎は3代目の前駅舎で、駅裏手の北側は開発がはじまっていない。駅前も現在とは随分と様相を異にしているようだ。

小学館コロタン文庫「国鉄駅名全百科」(昭和54年(1979)初版第1版発行)より。現駅舎が完成する昭和57年(1982)以前の3代目駅舎。「苫小牧は製紙の町。乗降客にはビジネス客も多く、特急も全列車停車するが、駅舎は狭い。」と少々ディスり気味に紹介されている。

日高本線の起点、苫小牧駅に。

駅前にでんと構える旧商業施設の”苫小牧駅前プラザエガオ”。閉鎖から8年も経っているらしい。ようやく来年(2024)度に解体され跡地に複合施設などが建設されるとのこと。

1980年代中頃に私が撮影した苫小牧駅。まだ真新しい。エスタという商業施設が入っており、駅付近には人も多く賑わっている様子をうかがう。しかしエスタは平成28年(2016)に閉店、時の流れをを感じる。

現駅舎が完成してから40年が経ち、老朽化が進んるなあ…と。エスタの表記も消えて駅に活気を感じない。

駅舎全景。

駅前には立派なホテルルートインがあるが、近年に駅周辺から商業施設が無くなり空洞化が否めない。

駅の中に入ってみよう。

駅舎内コンコース。

券売機は3台。その上にきっぷ運賃表。

きっぷ運賃表。札幌まで1680円、新千歳空港まで660円。

日高本線は鵡川まで750円。

改札口。

苫小牧駅の”北の大地の入場券”

苫小牧いぶりカレー店。”まるい弁当”と”肉のあおやま”がコラボしたカレー店らしい。苫小牧名物の”ホッキカレー”を食べてみたかったが、本日は正月2日だけに休みのようだ。次の機会にとっておこう。
苫小牧駅から13.1km、勇払川河口部西側の太平洋沿岸に勇払市街があり、その少し内陸部(北側)に勇払駅がある。苫小牧市字勇払に所在。大正2年(1913)に苫小牧軽便鉄道の一般駅として開業したのがはじまりで、後に国有化され日高本線の駅に。昭和30年(1955)駅舎改築、同37年(1962)苫小牧港建設に伴う苫小牧駅~浜厚真駅間の線路付け替えにより現在地へ移転した。昭和57年(1982)貨物取扱い廃止、同59年(1984)荷物取扱いが廃止され駅員無配置となり切符販売が簡易委託化。現在は簡易委託も廃止され完全な無人駅となっている。
駅名になっている地名の由来を角川地名大辞典より引用。『地名の由来はアイヌ語のイプッで「それの入口」という意(地名とまこまい)。勇払は古くから勇払川-ウトナイ沼-美々川-千歳川-石狩川に出る千歳越(勇払越)のための要地で、イプッは当時シコツと呼ばれた千歳サケ漁場への入口を指したものと思われる。また一説に、「ユープト」で「湯川の口」とする説もある(蝦夷地名考并里程記・東蝦夷日誌・北海道蝦夷語地名解)。』

空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO759-C26B-2を基に作成
昭和50年(1975)撮影、勇払駅周辺の空中写真。駅舎から少し離れたところに島式ホームを持つ構造は今と変わらないが、ホームと駅舎を繋ぐ構内跨線橋を設けている。駅前から北西方向一帯に山陽国策パルプの社宅が整然と並び、かつてパルプ工場で栄えた町だったことをうかがう。

何かの事務所みたいな駅舎を持つ勇払駅。

4席のベンチを置く駅舎内。正面にかつて切符売場や荷物取扱い窓口があったと思われる。

駅前側出入口。

かつての改札口。

壁伝いに木製ベンチが配される。

発車時刻表。1日に苫小牧方面9本、鵡川方面8本の列車が発着する。

きっぷ運賃表、もとい普通運賃表。同じJR北海道管内でも表記の仕方が違う。

勇払戸別明細図。駅南側太平洋沿岸に形成する勇払市街が一目瞭然。

駅構内。駅舎から少し離れた場所にホームがある。

ホーム側より駅舎。

ホーム入口のスロープ。

ホームより苫小牧方面。

少々劣化気味の駅名標。

駅名標のバックには苫小牧港の工業地帯。

ホームより鵡川方面。

苫小牧方面乗車口。

苫小牧方面乗車口より鵡川方面。

不自然に離れているホームと駅舎。

かつて駅舎とホームの間には線路が通っており構内跨線橋が設けられていた。

寂寥感が漂う駅前。

駅前に道南バスの停留所があるが学生専用。

傾きかけた陽を浴びて映える駅舎。コンクリート造り2階建ての立派な駅舎だが、窓が塞がれ廃墟にも見えてしまう。

駅前に設置される勇払市街案内図。駅裏手に勇払小学校と中学校の表記があり今も現役の学校である。

勇払駅から次の浜厚真駅へ向かっている途中、「ルールルルルル」と呼びかけてもいないのにキタキツネが寄ってくる。

人に餌付けされて学習しているのだろう、何か食い物をくれと言わんばかりのおねだり顔がりりしくも可愛らしい。餌をあげたくなる人の気持ちもよくわかる。野生動物に人の食べ物をあげてはいけないという理屈もよくわかる。ヒグマやエゾシカにしてもそうだが、人間と野生動物の関わりは難しい問題だと改めて思う。
訪問日:2023年1月2日(月)
日高本線の起点、苫小牧駅が所在する苫小牧市は明治43年(1910)王子製紙の工場が操業開始したことをはじまりに、昭和18年(1943)大日本再生製紙(現 日本製紙)の工場が勇払で操業を開始。小さな漁村に過ぎなかった集落は製紙産業が盛んになったことをきっかけに、高度経済成長期には大規模な港湾が建設され、石油精製業や自動車工業などが進出し工業都市として大きく発展を遂げた。人口は増加の一途を辿ってきたが平成25年(2013)の17万4469人をピークに減少へと転じており、現在は17万人を下回っている。
苫小牧駅は明治25年(1892)北海道炭礦鉄道の一般駅として開業。同39年(1906)所属線が国有化され同42年(1909)室蘭本線に改称した。大正2年(1913)苫小牧軽便鉄道が苫小牧駅~佐瑠太駅(現 富川駅)間が開業、昭和2年(1927)国有化され日高線に改称、同12年(1937)様似駅まで全通した。現在の駅舎は昭和57年(1982)完成の4代目で、室蘭本線・千歳線・日高本線の3路線が乗り入れるターミナル駅となっている。
駅名に付けられている地名”トマコマイ”の語源について苫小牧市のホームページ「苫小牧市の概要」より引用。『以前、苫小牧川が流れる一帯を、当時の河川名であったマコマイ(アイヌ語で「山奥に入っていく川」)と呼んでいた。沼のあった旧樽前山神社付近一帯はアイヌ語で沼の意味がある「ト」の字をつけて「ト・マコマイ」と呼ばれるようになり、今日の苫小牧になった。』

空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO759-C26A-31を基に作成
昭和50年(1975)撮影、苫小牧駅周辺の空中写真。駅舎は3代目の前駅舎で、駅裏手の北側は開発がはじまっていない。駅前も現在とは随分と様相を異にしているようだ。

小学館コロタン文庫「国鉄駅名全百科」(昭和54年(1979)初版第1版発行)より。現駅舎が完成する昭和57年(1982)以前の3代目駅舎。「苫小牧は製紙の町。乗降客にはビジネス客も多く、特急も全列車停車するが、駅舎は狭い。」と少々ディスり気味に紹介されている。

日高本線の起点、苫小牧駅に。

駅前にでんと構える旧商業施設の”苫小牧駅前プラザエガオ”。閉鎖から8年も経っているらしい。ようやく来年(2024)度に解体され跡地に複合施設などが建設されるとのこと。

1980年代中頃に私が撮影した苫小牧駅。まだ真新しい。エスタという商業施設が入っており、駅付近には人も多く賑わっている様子をうかがう。しかしエスタは平成28年(2016)に閉店、時の流れをを感じる。

現駅舎が完成してから40年が経ち、老朽化が進んるなあ…と。エスタの表記も消えて駅に活気を感じない。

駅舎全景。

駅前には立派なホテルルートインがあるが、近年に駅周辺から商業施設が無くなり空洞化が否めない。

駅の中に入ってみよう。

駅舎内コンコース。

券売機は3台。その上にきっぷ運賃表。

きっぷ運賃表。札幌まで1680円、新千歳空港まで660円。

日高本線は鵡川まで750円。

改札口。

苫小牧駅の”北の大地の入場券”

苫小牧いぶりカレー店。”まるい弁当”と”肉のあおやま”がコラボしたカレー店らしい。苫小牧名物の”ホッキカレー”を食べてみたかったが、本日は正月2日だけに休みのようだ。次の機会にとっておこう。
苫小牧駅から13.1km、勇払川河口部西側の太平洋沿岸に勇払市街があり、その少し内陸部(北側)に勇払駅がある。苫小牧市字勇払に所在。大正2年(1913)に苫小牧軽便鉄道の一般駅として開業したのがはじまりで、後に国有化され日高本線の駅に。昭和30年(1955)駅舎改築、同37年(1962)苫小牧港建設に伴う苫小牧駅~浜厚真駅間の線路付け替えにより現在地へ移転した。昭和57年(1982)貨物取扱い廃止、同59年(1984)荷物取扱いが廃止され駅員無配置となり切符販売が簡易委託化。現在は簡易委託も廃止され完全な無人駅となっている。
駅名になっている地名の由来を角川地名大辞典より引用。『地名の由来はアイヌ語のイプッで「それの入口」という意(地名とまこまい)。勇払は古くから勇払川-ウトナイ沼-美々川-千歳川-石狩川に出る千歳越(勇払越)のための要地で、イプッは当時シコツと呼ばれた千歳サケ漁場への入口を指したものと思われる。また一説に、「ユープト」で「湯川の口」とする説もある(蝦夷地名考并里程記・東蝦夷日誌・北海道蝦夷語地名解)。』

空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO759-C26B-2を基に作成
昭和50年(1975)撮影、勇払駅周辺の空中写真。駅舎から少し離れたところに島式ホームを持つ構造は今と変わらないが、ホームと駅舎を繋ぐ構内跨線橋を設けている。駅前から北西方向一帯に山陽国策パルプの社宅が整然と並び、かつてパルプ工場で栄えた町だったことをうかがう。

何かの事務所みたいな駅舎を持つ勇払駅。

4席のベンチを置く駅舎内。正面にかつて切符売場や荷物取扱い窓口があったと思われる。

駅前側出入口。

かつての改札口。

壁伝いに木製ベンチが配される。

発車時刻表。1日に苫小牧方面9本、鵡川方面8本の列車が発着する。

きっぷ運賃表、もとい普通運賃表。同じJR北海道管内でも表記の仕方が違う。

勇払戸別明細図。駅南側太平洋沿岸に形成する勇払市街が一目瞭然。

駅構内。駅舎から少し離れた場所にホームがある。

ホーム側より駅舎。

ホーム入口のスロープ。

ホームより苫小牧方面。

少々劣化気味の駅名標。

駅名標のバックには苫小牧港の工業地帯。

ホームより鵡川方面。

苫小牧方面乗車口。

苫小牧方面乗車口より鵡川方面。

不自然に離れているホームと駅舎。

かつて駅舎とホームの間には線路が通っており構内跨線橋が設けられていた。

寂寥感が漂う駅前。

駅前に道南バスの停留所があるが学生専用。

傾きかけた陽を浴びて映える駅舎。コンクリート造り2階建ての立派な駅舎だが、窓が塞がれ廃墟にも見えてしまう。

駅前に設置される勇払市街案内図。駅裏手に勇払小学校と中学校の表記があり今も現役の学校である。

勇払駅から次の浜厚真駅へ向かっている途中、「ルールルルルル」と呼びかけてもいないのにキタキツネが寄ってくる。

人に餌付けされて学習しているのだろう、何か食い物をくれと言わんばかりのおねだり顔がりりしくも可愛らしい。餌をあげたくなる人の気持ちもよくわかる。野生動物に人の食べ物をあげてはいけないという理屈もよくわかる。ヒグマやエゾシカにしてもそうだが、人間と野生動物の関わりは難しい問題だと改めて思う。
訪問日:2023年1月2日(月)

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