日高本線 ~2023正月 浜厚真駅・浜田浦駅~
勇払駅から鵡川方面へ向って約9km、厚真川を渡れば間もなく浜厚真駅に着く。厚真町の南端、太平洋沿岸の厚真町浜厚真に所在する浜厚真駅、厚真町内にある唯一の鉄道駅だが、内陸部にある町の中心部とは直線距離で約13kmも離れており、大多数の町民にとっては使い勝手がよくないと思われる。しかしながら駅周辺に苫小牧港東港区があり、港を中心に苫小牧東部地域の工業地帯が形成され、JR北海道の調査によれば1日平均の乗車人員(H29~R3の5年平均)は19.8人とあり、日高本線が廃止されなければ存続していくだろう。
浜厚真駅は大正2年(1913)に苫小牧軽便鉄道の厚真駅として開業したのがはじまり。同14年(1925)現駅名に改称、昭和2年(1927)所属路線が日高線に改称した。昭和52年(1977)貨物・荷物取扱いと共に旅客業務が廃止され無人駅となり、乗車券販売を簡易委託化。同61年(1986)簡易委託も廃止され、同62年(1987)貨車駅舎に改築された。厚真町字浜厚真に所在、駅名の由来は所在地名から。

空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO759-C29A-6を基に作成
昭和50年(1975)撮影、浜厚真駅周辺の空中写真。千鳥式に配置された相対式ホーム2面2線に有人駅だった前駅舎、島式ホームに通じる構内踏切が見える。駅裏手には浜厚真小中学校があり駅から通学路が延びていた。駅前には建物が多くあり集落を形成、現在とは随分と様子を異にしている。

勇払駅~浜厚真駅間に流れる厚真川。凍結した川面が北海道の厳しい寒さを物語る。厚真川橋梁を1両編成の列車が足早に駆け抜けてゆく。

厚真川河口方面。右岸に苫小牧東部地域の工業地帯が見える。

厚真川から約600m東、寂寥感を漂わせる浜厚真駅。

北海道の無人駅によく見られる貨車駅舎ながら、波と浜辺をモチーフにした外装を施す。

駅舎横に設置される駅名標。

駅前の国道沿いには店や民家すらなく寂しい雰囲気。

駅舎前のアスファルト舗装は有人駅だった前駅舎の遺構だろう。

ホームに設置される駅名標。

ホームより苫小牧方面。

ホームより鵡川方面。

駅舎ホーム側。

苫小牧側の駅舎横外装にはこんなイラストが。駅舎が擬人化されており宗谷本線下沼駅の”妖怪ぬまひきょん”を思い出す。
下沼駅(宗谷本線) ~妖怪ぬまひきょんの棲み家~

外装に反して地味な駅舎内。

4人ぐらい座れるベンチを設置する。

普通運賃表。

発車時刻表。1日に苫小牧方面9本、鵡川方面8本の列車が発着。

暖房が無く駅舎内は寒い。夏はきっと暑いんだろうな。

ベンチに置かれていた駅ノートと写真立て。

写真立てに掲げるスケッチ画はどこかで見た画風。函館本線の池田園駅や銚子口駅とかで見たあのスケッチ画と同作者なのだろうか。なんか再び出会えた感じがして少し嬉しくなってしまった。

擬人化貨車駅舎のコラボだ!
浜厚真駅から鵡川方面へ4.3km、むかわ町田浦の太平洋沿岸に所在する浜田浦駅。単式ホーム1面1線と待合所を有する無人駅で、昭和34年(1959)に開業してから駅の形態は大きく変わっていないのだろう。JR北海道が公表した駅別乗車人員(H29~R3の5年平均)によれば1日平均の乗車人員は2.4人、わずかに利用客がいたようだが、駅を置く意義を失ったと判断され今年(2023)3月のダイヤ改正に伴い廃止となる。

空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO759-C33A-3を基に作成
昭和50年(1975)撮影、浜田浦駅周辺の空中写真。単式ホームと待合所を設ける駅構造は今と変わらない。

国道沿いの原野にポツンと待合所。ここが浜田浦駅。

駅の周りには何もない。

普通に車で走り抜けたらここが駅だとは気づかないだろう。

コンクリートブロック造りにトタン屋根を載せる待合所。

駅は浜辺から約600m内陸部にあり、海抜6メートル。

待合所内。駅らしく発車時刻表と運賃表を掲げている。

ベンチ上の片隅に駅ノートとあのスケッチ画を置く写真立て。

浜田浦駅を舞台に女の子のちょっとした物語を想像させるこのスケッチ。

殺風景な駅に花を添えている。

発車時刻表。1日に上り下り6本の列車が発着。

普通運賃表。

駅舎内より出入口。扉がないので換気だけはよい。

駅前は国道が通っているが何も無い。

ホーム出入口よ待合所。

苫小牧方面乗車口。

鵡川方面。

駅名標より鵡川方面。

長年の風雪に耐え劣化気味の駅名標。

駅名標より苫小牧方面。

鵡川方面乗車口より苫小牧方面。

開業から64年、浜田浦駅に思い出を残す人も多くいるだろう。間もなく長い歴史に幕を閉じようとするこの駅に、敬意を表したい思いで待合所の正面に立ち一礼。長年にわたるお務め、ご苦労様でした。
2023年(令和5年)3月18日浜田浦駅廃止。
訪問日:2023年1月2日(月)
浜厚真駅は大正2年(1913)に苫小牧軽便鉄道の厚真駅として開業したのがはじまり。同14年(1925)現駅名に改称、昭和2年(1927)所属路線が日高線に改称した。昭和52年(1977)貨物・荷物取扱いと共に旅客業務が廃止され無人駅となり、乗車券販売を簡易委託化。同61年(1986)簡易委託も廃止され、同62年(1987)貨車駅舎に改築された。厚真町字浜厚真に所在、駅名の由来は所在地名から。

空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO759-C29A-6を基に作成
昭和50年(1975)撮影、浜厚真駅周辺の空中写真。千鳥式に配置された相対式ホーム2面2線に有人駅だった前駅舎、島式ホームに通じる構内踏切が見える。駅裏手には浜厚真小中学校があり駅から通学路が延びていた。駅前には建物が多くあり集落を形成、現在とは随分と様子を異にしている。

勇払駅~浜厚真駅間に流れる厚真川。凍結した川面が北海道の厳しい寒さを物語る。厚真川橋梁を1両編成の列車が足早に駆け抜けてゆく。

厚真川河口方面。右岸に苫小牧東部地域の工業地帯が見える。

厚真川から約600m東、寂寥感を漂わせる浜厚真駅。

北海道の無人駅によく見られる貨車駅舎ながら、波と浜辺をモチーフにした外装を施す。

駅舎横に設置される駅名標。

駅前の国道沿いには店や民家すらなく寂しい雰囲気。

駅舎前のアスファルト舗装は有人駅だった前駅舎の遺構だろう。

ホームに設置される駅名標。

ホームより苫小牧方面。

ホームより鵡川方面。

駅舎ホーム側。

苫小牧側の駅舎横外装にはこんなイラストが。駅舎が擬人化されており宗谷本線下沼駅の”妖怪ぬまひきょん”を思い出す。
下沼駅(宗谷本線) ~妖怪ぬまひきょんの棲み家~

外装に反して地味な駅舎内。

4人ぐらい座れるベンチを設置する。

普通運賃表。

発車時刻表。1日に苫小牧方面9本、鵡川方面8本の列車が発着。

暖房が無く駅舎内は寒い。夏はきっと暑いんだろうな。

ベンチに置かれていた駅ノートと写真立て。

写真立てに掲げるスケッチ画はどこかで見た画風。函館本線の池田園駅や銚子口駅とかで見たあのスケッチ画と同作者なのだろうか。なんか再び出会えた感じがして少し嬉しくなってしまった。

擬人化貨車駅舎のコラボだ!
浜厚真駅から鵡川方面へ4.3km、むかわ町田浦の太平洋沿岸に所在する浜田浦駅。単式ホーム1面1線と待合所を有する無人駅で、昭和34年(1959)に開業してから駅の形態は大きく変わっていないのだろう。JR北海道が公表した駅別乗車人員(H29~R3の5年平均)によれば1日平均の乗車人員は2.4人、わずかに利用客がいたようだが、駅を置く意義を失ったと判断され今年(2023)3月のダイヤ改正に伴い廃止となる。

空中写真データ:国土地理院 整理番号CHO759-C33A-3を基に作成
昭和50年(1975)撮影、浜田浦駅周辺の空中写真。単式ホームと待合所を設ける駅構造は今と変わらない。

国道沿いの原野にポツンと待合所。ここが浜田浦駅。

駅の周りには何もない。

普通に車で走り抜けたらここが駅だとは気づかないだろう。

コンクリートブロック造りにトタン屋根を載せる待合所。

駅は浜辺から約600m内陸部にあり、海抜6メートル。

待合所内。駅らしく発車時刻表と運賃表を掲げている。

ベンチ上の片隅に駅ノートとあのスケッチ画を置く写真立て。

浜田浦駅を舞台に女の子のちょっとした物語を想像させるこのスケッチ。

殺風景な駅に花を添えている。

発車時刻表。1日に上り下り6本の列車が発着。

普通運賃表。

駅舎内より出入口。扉がないので換気だけはよい。

駅前は国道が通っているが何も無い。

ホーム出入口よ待合所。

苫小牧方面乗車口。

鵡川方面。

駅名標より鵡川方面。

長年の風雪に耐え劣化気味の駅名標。

駅名標より苫小牧方面。

鵡川方面乗車口より苫小牧方面。

開業から64年、浜田浦駅に思い出を残す人も多くいるだろう。間もなく長い歴史に幕を閉じようとするこの駅に、敬意を表したい思いで待合所の正面に立ち一礼。長年にわたるお務め、ご苦労様でした。
2023年(令和5年)3月18日浜田浦駅廃止。
訪問日:2023年1月2日(月)

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