芦田宿

のんびりと田園風景の中を歩き、芦田川の小さな流れを越えると芦田宿は近い。周りには田植えを終えたばかりの水田と、水を湛えて田植えを待つ水田が半々くらい。信州ではちょうど今頃が田植えの時期なのだ。これから梅雨を迎えて夏の陽射しを浴び、秋には黄金色の稲で埋め尽くされるのだろう。四季折々の姿を見せる日本の風景はやはり美しい。

森屋理髪店の渋い看板を見て中居交差点を過ぎると芦田宿となる。傍らに道祖神が立つ古町口停留所を過ぎて、坂を下って行くと「交通安全宣言の町」と書かれた門形看板を潜る。支柱には何やらキャッチフレーズが書かれているが、文字が消えかけていてよくわからない。すぐ先の交差点を左折した先が立科町役場で、ここを直進すると宿場町らしい様相となってくる。芦田中央交差点辺りが宿場の中心で、最も宿場町らしさを残す町並みとなっている。

芦田宿は江戸日本橋から26番目の宿場で、天保14年(1843年)には人口326人、家数80軒、本陣1、脇本陣2、旅籠6軒。望月宿より更に規模の小さな宿場町であるが、笠取峠を目前に控え旅装を解く旅人も多かったであろう。皇女和宮様も東下の折、昼食休みで本陣に立ち寄られた。その本陣は慶長初期から明治維新に至るまで代々土屋家が務め、問屋も兼ねた。
本陣跡の土屋家には寛政12年(1800年)に改築された客殿が残されている。この客殿は切妻造りの屋根両端に鯱を載せ、妻入りの玄関屋根は唐破風で鬼瓦を持つ堂々たる構え。内部は上段の間・広間・小姓部屋・湯殿・雪隠で構成され、江戸時代後期の建築をほぼ完全な形で残しているというが、内部を見学することはできなかった。事前に予約をすれば見学可。

本陣向かい側の民家と芦田中央交差点を挟んで斜向かいの藤屋商店が脇本陣跡。藤屋商店からすぐ先の出桁造り連子格子の建物は200年以上の歴史を持つ旧旅籠「土屋」。現在も金丸土屋旅館として旅館業を続けており、芦田宿唯一の宿泊施設。
バスの時間まで1時間ほどあったので、笠取峠の入口付近まで足を延ばしてみる。松並木まで来るとまたしても大粒の雨が・・・早歩きで芦田宿まで戻り、17時過ぎ千曲バスで佐久平駅へ向かう。
佐久平駅の土産物店をうろついていると鯉のうま煮なるものが目に留まる。見事な鯉が1匹まるごとのものもあれば、切り身もある。さすがは佐久鯉の産地、鯉のうま煮とは一体どんな味なのだろうか。切り身を買って帰ってからの楽しみとする。
【第16日目】踏破距離 約8.3km(八幡宿→望月宿→芦田宿)
日本橋から182.5km 京都まで352km
まだまだ先は長い・・・
スポンサーサイト