山部駅(根室本線) ~富良野盆地南端、山部の開拓を支えた駅~
角川日本地名大辞典に「地名の由来はアイヌ語のヤムぺ(冷たい川)による(北海道駅名の起源)」と記される富良野市の山部地区。富良野盆地南端部、空知川流域の山間に位置し、東西南を囲む大雪山系と夕張山系の山脈から流れ出す清水は夏場であっても冷たいはずで、地名の由来となったアイヌ語の意味も理解できよう。北海道探査の先駆者、松浦武四郎は江戸末期に記した「丁巳日誌」に”ヤマイ”という地名を書き残している。
山部駅のはじまりは明治33年(1900)北海道官設鉄道十勝線(旭川~鹿越)に開設された信号停車場。同34年(1901)札幌農学校(後の北海道大学)の農場開発計画により3戸が入植、山部の開拓がはじまり信号停車場は一般駅に改められ貨物や旅客扱いを開始し、同41年(1908)には406戸もの入植者を数えた。大正4年(1915)山部村が成立、当時の戸数は685戸で人口4618人。昭和40年(1965)町制施行により山部町となるも翌年(1966)富良野市と合併した。山部駅は昭和40年代から過疎化の進行とモータリゼーションから斜陽の時代を迎え、当時の記録で1日約580人あった乗車人員が減少傾向となり、昭和59年(1984)貨物取扱い廃止、翌年(1985)に荷物取扱いが廃止され、さらに翌年(1986)駅員無配置となり切符販売を簡易委託する。
昭和63年(1988)現駅舎に改築。平成4年(1992)には乗車人員が157人まで減少し、同6年(1994)簡易委託も廃止される。同28年(2016)8月に北海道に大雨をもたらした台風10号の被害により富良野駅~音別駅間で橋梁流失や土砂流入が相次いで不通となり、東鹿越駅~新得駅間は復旧されることなく代行バスの運行を開始。これが利用者減少に拍車をかけJR北海道の調査によれば平成29年(2017)~令和3年(2022)にかけて山部駅の乗車人員1日平均は20人にまで減少。ついには来年(2024)3月31日の運行をもって根室本線(富良野駅~新得駅間)の廃止が決まり、これに伴い山部駅は消える。

昭和63年(1988)に駅舎を改築した山部駅。

周辺の景観に馴染む山小屋風の素敵な駅舎。

駅舎より駅前通り(道道544号麓郷山部停車場線)。

駅前の国道237号の交差点角で営業する”旅館やまべ”。駅前旅館は旅人を温かく迎え、そして旅立ちを温かく見送る存在。線路と共に駅が消えても旅館は無くらないでほしい。

”旅館やまべ”前、駅前通りの中央分離帯には「世界連邦平和都市宣言 北海道発祥地・山部」を宣言するタワー。

山部駅の駅舎内に。

駅前側の出入口。

ホーム側の出入口。

ホーム側出入口横に掲示する発車時刻表と普通運賃表。

簡易委託駅時代の名残りを感じる切符売場。

切符売場の窓口には記念写真。いつなのかわからないが、ここで盛大なハロウィンパーティーが開かれたようだ。

駅舎を出てホームに。”滝川方面ワンマンカー乗車口”と”ワンマン乗車口釧路方面”の標識が並ぶ。

構内側の駅舎。

駅舎横、ホーム沿いに並ぶ倉庫らしきレトロな建物。

板張りとレンガ造り。

名所案内にある東大樹木園は東京大学北海道演習林の一部を富良野市が借り受け一般公開、5月中旬にはエゾヤマザクラが咲き誇る。

駅舎隣接の1番ホームより2番ホームを望む。

1番ホームと2番ホームを繋ぐ構内踏切。

2番ホームの滝川方面ワンマン乗降口。

2番ホームより富良野・滝川方面。

2番ホームの駅名標と名所案内。

14:28発東鹿越行が1番ホームへ入線。

降車する客は無く2名が乗車。

定刻通りに列車は発車し。

誰もいなくなった駅は再び静けさを取り戻す。今夏に再びここを列車で訪ねよう。
訪問日:2023年4月1日(土)
山部駅のはじまりは明治33年(1900)北海道官設鉄道十勝線(旭川~鹿越)に開設された信号停車場。同34年(1901)札幌農学校(後の北海道大学)の農場開発計画により3戸が入植、山部の開拓がはじまり信号停車場は一般駅に改められ貨物や旅客扱いを開始し、同41年(1908)には406戸もの入植者を数えた。大正4年(1915)山部村が成立、当時の戸数は685戸で人口4618人。昭和40年(1965)町制施行により山部町となるも翌年(1966)富良野市と合併した。山部駅は昭和40年代から過疎化の進行とモータリゼーションから斜陽の時代を迎え、当時の記録で1日約580人あった乗車人員が減少傾向となり、昭和59年(1984)貨物取扱い廃止、翌年(1985)に荷物取扱いが廃止され、さらに翌年(1986)駅員無配置となり切符販売を簡易委託する。
昭和63年(1988)現駅舎に改築。平成4年(1992)には乗車人員が157人まで減少し、同6年(1994)簡易委託も廃止される。同28年(2016)8月に北海道に大雨をもたらした台風10号の被害により富良野駅~音別駅間で橋梁流失や土砂流入が相次いで不通となり、東鹿越駅~新得駅間は復旧されることなく代行バスの運行を開始。これが利用者減少に拍車をかけJR北海道の調査によれば平成29年(2017)~令和3年(2022)にかけて山部駅の乗車人員1日平均は20人にまで減少。ついには来年(2024)3月31日の運行をもって根室本線(富良野駅~新得駅間)の廃止が決まり、これに伴い山部駅は消える。

昭和63年(1988)に駅舎を改築した山部駅。

周辺の景観に馴染む山小屋風の素敵な駅舎。

駅舎より駅前通り(道道544号麓郷山部停車場線)。

駅前の国道237号の交差点角で営業する”旅館やまべ”。駅前旅館は旅人を温かく迎え、そして旅立ちを温かく見送る存在。線路と共に駅が消えても旅館は無くらないでほしい。

”旅館やまべ”前、駅前通りの中央分離帯には「世界連邦平和都市宣言 北海道発祥地・山部」を宣言するタワー。

山部駅の駅舎内に。

駅前側の出入口。

ホーム側の出入口。

ホーム側出入口横に掲示する発車時刻表と普通運賃表。

簡易委託駅時代の名残りを感じる切符売場。

切符売場の窓口には記念写真。いつなのかわからないが、ここで盛大なハロウィンパーティーが開かれたようだ。

駅舎を出てホームに。”滝川方面ワンマンカー乗車口”と”ワンマン乗車口釧路方面”の標識が並ぶ。

構内側の駅舎。

駅舎横、ホーム沿いに並ぶ倉庫らしきレトロな建物。

板張りとレンガ造り。

名所案内にある東大樹木園は東京大学北海道演習林の一部を富良野市が借り受け一般公開、5月中旬にはエゾヤマザクラが咲き誇る。

駅舎隣接の1番ホームより2番ホームを望む。

1番ホームと2番ホームを繋ぐ構内踏切。

2番ホームの滝川方面ワンマン乗降口。

2番ホームより富良野・滝川方面。

2番ホームの駅名標と名所案内。

14:28発東鹿越行が1番ホームへ入線。

降車する客は無く2名が乗車。

定刻通りに列車は発車し。

誰もいなくなった駅は再び静けさを取り戻す。今夏に再びここを列車で訪ねよう。
訪問日:2023年4月1日(土)

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