留萌本線(留萌~石狩沼田) ~廃止されてから3ヶ月~
廃止時の留萌駅~石狩沼田駅間にあった6駅が廃止から約3ヶ月が経ってどんな状況にあるのか、つぶさに見ていこう。まずは留萌駅の隣駅だった大和田駅から。

大和田駅は廃止時と変わらず貨車駅舎を残していた。

貨車駅舎の下には旧木造駅舎の基礎が残り、大和田炭鉱の石炭積み出しで賑わった往時を偲ばせる。

貨車駅舎の出入口扉には鍵が掛けられ中には入れない。

出入口扉の窓から中を覗き。

壁に掲げられていた時刻表や運賃表をはじめ、ポスターなどは全て撤去されていた。

現役時には撮影できなかったアングルで駅構内。

駅舎と何もない駅前。これで駅舎が無くなったら本当に何も無くなるな。

留萌駅から2駅目、廃止当時と変わっていない様子の藤山駅。

しかしながら駅構内には入れなくなっており、駅舎出入口や窓はベニヤ板で塞がれていた。

駅前の藤山開拓之碑(右)と藤山小学校開校90周年・藤山町開基95年記念碑(左)。この記念碑は平成15年(2003)藤山小学校が閉校となりここに移された。駅の象徴的存在だったが、駅が無くなってもここにあり続けるのだろうか。

駅前に国道233号が通り横断歩道と信号機が設置されるが、駅が無くなれば無用の長物。

藤山駅から国道233号を深川方面に向かって約1km、国道左手にあった藤山小学校跡に。跡地より国道方面、この辺りに校門があったと思われる。廃校から20年が経ち今は何も残っていない。

かつては右手に校舎があり中央から左手にかけてがグラウンドだった。

小学校跡より国道方面。廃校になった小学校は数多くあれど、多くは校舎や体育館をはじめ校門や記念碑など残しているものだが、ここにはその痕跡を示すものが何もない。

留萌駅から3駅目の幌糠駅。貨車駅舎は大和田駅と同仕様。

やはり出入口扉に鍵が掛けられ入れない。

駅舎内の掲示物は全て撤去されていた。右奥のテーブル上にいた人形たちはどこへ旅立ったのだろう。

ホームへも入れず。

御料林の木材搬出で賑わったのも今は昔。

留萌市と沼田町の境をなす恵比島峠の下にある峠下駅。廃止時において深川~留萌間の途中駅で唯一列車交換ができる駅だった。

峠下駅の開業は明治43年(1910)。駅舎に関しては昭和29年(1954)に一部改築したとの記録があるのみで建築年不明という。開業当時のものだとすると築110年を越える木造建築、解体されるならば実に惜しい。

駅舎出入口はベニヤ板で閉ざされ。

窓越しに中を覗き。事務室が保線要員の詰め所に利用されていたので、待合室の上を横断して長いダクトが設置されている。暖房設備の排煙に利用していたのだろう。

何もない駅前。大正期には天塩炭礦、後に留萌炭礦)の専用線が乗り入れ、駅裏手に貯木場、駅前には小市街を形成していた。

ホームへは入れなくなっていたが。

構内踏切への立ち入りは可能だった。

使われなくなって久しい側線が残されている。側線の左手一帯が貯木場跡。

峠下駅から西方へ約1km、ここが峠下小学校跡。平成元年(1989)に閉校、後に校舎は撤去された。

校門が残されている。

校門を入って左手に校舎があった。

小学校跡地に残る開拓記念の碑。昭和54年(1979)8月19日、峠下町開基80周年・峠下小学校70周年記念協賛会による建立。

Googleマップで教員住宅と示される空き家(写真左)。奥に向かって延びる道のすぐ左手が校舎跡、更に約1km先へ行ったところに峠下駅がある。この道は現在の国道233号が通される以前の旧道で、旭川~留萌間のメインストリートだった。

小学校が無くなっても空き家となって残る教員住宅。何とも言えない虚しさを感じてしまう。

恵比島峠を越えて留萌市へ入り恵比島駅に。最終運行日の賑わいが嘘だったかのような静けさ。

ドラマセットの中村旅館(旧黒瀬旅館)。最終運行日にはカフェに利用され内部公開していた。

役場へ連絡すれば見学ができるようだ。

中村旅館についての解説。

トイレだけは開放されていた。

ロケセットの明日萌駅。

その隣には貨車駅舎に板張りの外装を施した恵比島駅。

駅舎出入口の扉には鍵がかけられ。

窓から駅舎内を覗き見。やはり何もないな。

ホームには線路側へ人が立ち入らないよう柵を設けていた。

明日萌の駅名標も立入禁止区域に。

駅長事務室。

駅長事務室には誰もいない。

待合室では最終運行日に見た時と同じく”萌”と駅長が並んでいた。

この貨車駅舎はドラマセットの一部だけに撤去を免れるのではないか。

小さな駅にも大きなドラマがある…。そして今年(2023)、ドラマは多くの人に惜しまれつつ最終話を迎えた。

道道1007号沿いに情緒ある佇まいを見せていた真布駅。

駅横の藤沢線踏切は遮断機が撤去され。

ホームへ上がるスロープも撤去されていた。

最終運行日に列車が訪れるとホームは人で溢れかえっていた。

藤沢線踏切より深川方面。次が新たな留萌本線の終着、石狩沼田駅。

長い歴史を感じさせる板張りの待合所。いつまで見ることができるのだろうか。
訪問日:2023年6月25日(日)

大和田駅は廃止時と変わらず貨車駅舎を残していた。

貨車駅舎の下には旧木造駅舎の基礎が残り、大和田炭鉱の石炭積み出しで賑わった往時を偲ばせる。

貨車駅舎の出入口扉には鍵が掛けられ中には入れない。

出入口扉の窓から中を覗き。

壁に掲げられていた時刻表や運賃表をはじめ、ポスターなどは全て撤去されていた。

現役時には撮影できなかったアングルで駅構内。

駅舎と何もない駅前。これで駅舎が無くなったら本当に何も無くなるな。

留萌駅から2駅目、廃止当時と変わっていない様子の藤山駅。

しかしながら駅構内には入れなくなっており、駅舎出入口や窓はベニヤ板で塞がれていた。

駅前の藤山開拓之碑(右)と藤山小学校開校90周年・藤山町開基95年記念碑(左)。この記念碑は平成15年(2003)藤山小学校が閉校となりここに移された。駅の象徴的存在だったが、駅が無くなってもここにあり続けるのだろうか。

駅前に国道233号が通り横断歩道と信号機が設置されるが、駅が無くなれば無用の長物。

藤山駅から国道233号を深川方面に向かって約1km、国道左手にあった藤山小学校跡に。跡地より国道方面、この辺りに校門があったと思われる。廃校から20年が経ち今は何も残っていない。

かつては右手に校舎があり中央から左手にかけてがグラウンドだった。

小学校跡より国道方面。廃校になった小学校は数多くあれど、多くは校舎や体育館をはじめ校門や記念碑など残しているものだが、ここにはその痕跡を示すものが何もない。

留萌駅から3駅目の幌糠駅。貨車駅舎は大和田駅と同仕様。

やはり出入口扉に鍵が掛けられ入れない。

駅舎内の掲示物は全て撤去されていた。右奥のテーブル上にいた人形たちはどこへ旅立ったのだろう。

ホームへも入れず。

御料林の木材搬出で賑わったのも今は昔。

留萌市と沼田町の境をなす恵比島峠の下にある峠下駅。廃止時において深川~留萌間の途中駅で唯一列車交換ができる駅だった。

峠下駅の開業は明治43年(1910)。駅舎に関しては昭和29年(1954)に一部改築したとの記録があるのみで建築年不明という。開業当時のものだとすると築110年を越える木造建築、解体されるならば実に惜しい。

駅舎出入口はベニヤ板で閉ざされ。

窓越しに中を覗き。事務室が保線要員の詰め所に利用されていたので、待合室の上を横断して長いダクトが設置されている。暖房設備の排煙に利用していたのだろう。

何もない駅前。大正期には天塩炭礦、後に留萌炭礦)の専用線が乗り入れ、駅裏手に貯木場、駅前には小市街を形成していた。

ホームへは入れなくなっていたが。

構内踏切への立ち入りは可能だった。

使われなくなって久しい側線が残されている。側線の左手一帯が貯木場跡。

峠下駅から西方へ約1km、ここが峠下小学校跡。平成元年(1989)に閉校、後に校舎は撤去された。

校門が残されている。

校門を入って左手に校舎があった。

小学校跡地に残る開拓記念の碑。昭和54年(1979)8月19日、峠下町開基80周年・峠下小学校70周年記念協賛会による建立。

Googleマップで教員住宅と示される空き家(写真左)。奥に向かって延びる道のすぐ左手が校舎跡、更に約1km先へ行ったところに峠下駅がある。この道は現在の国道233号が通される以前の旧道で、旭川~留萌間のメインストリートだった。

小学校が無くなっても空き家となって残る教員住宅。何とも言えない虚しさを感じてしまう。

恵比島峠を越えて留萌市へ入り恵比島駅に。最終運行日の賑わいが嘘だったかのような静けさ。

ドラマセットの中村旅館(旧黒瀬旅館)。最終運行日にはカフェに利用され内部公開していた。

役場へ連絡すれば見学ができるようだ。

中村旅館についての解説。

トイレだけは開放されていた。

ロケセットの明日萌駅。

その隣には貨車駅舎に板張りの外装を施した恵比島駅。

駅舎出入口の扉には鍵がかけられ。

窓から駅舎内を覗き見。やはり何もないな。

ホームには線路側へ人が立ち入らないよう柵を設けていた。

明日萌の駅名標も立入禁止区域に。

駅長事務室。

駅長事務室には誰もいない。

待合室では最終運行日に見た時と同じく”萌”と駅長が並んでいた。

この貨車駅舎はドラマセットの一部だけに撤去を免れるのではないか。

小さな駅にも大きなドラマがある…。そして今年(2023)、ドラマは多くの人に惜しまれつつ最終話を迎えた。

道道1007号沿いに情緒ある佇まいを見せていた真布駅。

駅横の藤沢線踏切は遮断機が撤去され。

ホームへ上がるスロープも撤去されていた。

最終運行日に列車が訪れるとホームは人で溢れかえっていた。

藤沢線踏切より深川方面。次が新たな留萌本線の終着、石狩沼田駅。

長い歴史を感じさせる板張りの待合所。いつまで見ることができるのだろうか。
訪問日:2023年6月25日(日)

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