狩勝信号場跡・新内駅跡(根室本線) ~狩勝峠越え旧線~
明治40年(1907)に狩勝隧道(全長953m)が完成して北海道官設鉄道十勝線(現 富良野線・根室本線)が落合駅から帯広駅まで延伸開通して以来、大正10年(1921)根室~滝川間が全通して根室本線が誕生し、北海道の東西を結ぶ交通と物流の大動脈を担い続けてきた。中でも狩勝峠越えは最大の難所で25パーミル(1000m進むうちに25m上る)という急勾配と大小の急カーブが続き、厳しい気象条件も相まって列車は過酷な運転を強いられた。急勾配で断面が小さい狩勝隧道は換気が悪く機関士にとっては危険と隣り合わせの魔のトンネルで、昭和6年(1931)~16年(1941)の10年間で事故に遭った乗務員は36名うち死亡2名との記録があり、近年の調査報告によると死因は「50℃以上、湿度100%という高温高湿に、投炭時の数百度に及ぶ熱線被爆による急性熱中症であると判断された。」(産業衛生学雑誌2002; 44:20-23)
昭和22年(1947)国鉄労組が狩勝隧道における労働環境の改善を要求したことを発端に、危険手当の増額や減車要求に主題が置き代わり労使交渉は難航して労働争議に発展、同23年(1948)6月に柚原闘争委員長が抗議の遺書を残して隧道坑口で列車に身を投じ自殺。7月31日にはマッカーサー書簡を受けて政令201号が施行、公務員の争議行為を禁止し団体交渉権が剥奪された。その翌日8月1日狩勝隧道通過時に機関助士2名が窒息する事故が起き、これらに憤激した新得機関区59名が職場を離脱し「柚原青年行動隊」を結成、政令絶対反対を旗印に全国行脚を開始する。道内の機関区からも職場放棄者が続出して反対闘争は全国へ更なる広がりをみせたが、政令違反を理由に多くの逮捕者を出し泥沼化してゆく。
そんな中の昭和26年(1951)新内第一橋梁(通称 まりも橋)で何者かがレールの継ぎ目板を切断してレールをずらしたことで、急行列車が人為的に脱線させられた「まりも号脱線事件」が発生。警察は労働争議に関連した事件とみて国鉄や国鉄労組関係者約600名を対象に捜査したが、犯人の特定に至らず動機も解明されないまま未解決事件となっている。
大きな遺恨を残したまま昭和39年(1964)新狩勝トンネルが貫通、同41年(1966)落合駅~新得駅間が新狩勝信号場経由となる現ルートの新線に切り替わり、狩勝隧道は約60年にわたる役目を終えた。旧線上にあった狩勝信号場と新内駅は廃止となり、新内~新得間の線路は脱線や火災事故などを研究する実験線として昭和54年(1979)まで再利用された。現在、実験線跡は散策路に整備され"狩勝ポッポの道として狩勝峠越えの鉄道史を今に伝えている。

空中写真データ:国土地理院 新得 整理番号USA-R367-5を基に作成
昭和23年(1948)撮影、狩勝信号場周辺の空中写真。落合側に引き込み線2線、狩勝隧道側に折返し線1線を持つ。列車交換や待避、蒸気機関車への給水給炭を行う目的で設置された施設だけに、当時の周囲には商店や学校等は無く信号場に勤務する関係者30世帯程の国鉄職員住宅があった。

空中写真データ:国土地理院 落合 整理番号CHO7738-C10-28を基に作成
昭和52年(1977)撮影、狩勝信号場周辺の空中写真。狩勝峠越えの根室本線が現ルートの新線に切り替わって11年が経っている。現在の国道38号の新線が通されているが旧道も残っている。信号場跡は本屋をはじめ国鉄職員住宅も無くなって無人地帯と化し、わずかに線路の路盤が痕跡を留めている。

落合駅から旧線を狩勝峠に向かって約1.5km、ペイユルシエペ川に残る橋脚と橋台。奥に見える橋は国道38号の紅葉橋。

国道38号より狩勝信号場跡。現役当時ならここから眼下に信号場が一望できたはず。廃止から57年が経ち自然に還った感があるが、雪が積もる前ならばもう少し往時を偲べる景観が見られるのかもしれない。

狩勝隧道がある新得側に目を向けると…。わずかに見えた!

狩勝隧道の落合側坑口。新内側から25パーミルという急勾配のトンネルを抜けた所がここで、狩勝峠越え旧線の最高地点にあたる。多くの事故が発生し人命まで奪ってきた魔のトンネル、今は役目を終えて山林の中で静かに朽ちてゆくままに。
落合駅から狩勝隧道で峠を越え更に新内隧道を抜けた先に設けられていた新内駅。明治40年(1907)に北海道官設鉄道十勝線(現 富良野線・根室本線)落合駅~帯広駅間の延伸開通に伴い信号場として開設。同42年(1909)一般駅となり駅周辺には駅逓所が設けられ小規模ながらも市街を形成した。その変遷を昔の空中写真で比べてみよう。

空中写真データ:国土地理院 新得 整理番号USA-R367-47を基に作成
昭和23年(1948)撮影、新内駅付近の空中写真。駅舎前から南方向に向かって延びる駅前通りを中心にして新内市街を形成している。角川日本地名大辞典によれば『地名はアイヌ語のニウンナイに由来し、木ある川の意(北海道駅名の起源)である。当地の本格的開拓は、明治35年狩勝トンネル工事のため入地した関新太郎が、同37年地内の土地を買入れ住みついたのに始まる。』
昭和4年(1929)新内駅逓所が設置され新得郵便局集配駐在所を兼務。同13年(1938)駅逓所の廃止に伴い同14年(1939)新内郵便局が設置された。
狩勝高原エコトロッコ鉄道「鉄道歴史研究 - 根室本線旧線 新内駅 -」に当時の新内駅周辺地図が紹介されている。

空中写真データ:国土地理院 新得 整理番号CHO7740-C1-4を基に作成
昭和52年(1977)撮影、新内駅周辺の空中写真。昭和41年(1966)新内駅が廃止されると電気を国鉄からの売電に頼ってた居住者は多くが離散、郵便局も廃止された。写真は新内駅が廃止されて11年が経っており、駅前通りは確認できるが市街が消滅していることをうかがう。駅舎は既に撤去されているように見え、2面のホームが雑草に覆われながらも残存している。駅廃止時には世帯数50・人口194を数えたが、昭和55年(1979)には世帯数9・人口22まで激減している。

新内駅跡前に設置される”石川啄木と狩勝”のモニュメント。歌集「一握りの砂」に収められた歌を記す。明治41年(1908)啄木は就職のため家族を小樽に残して釧路へ向かう途次、開通間もない狩勝峠を汽車で越えた。

啄木モニュメントの隣に新内駅逓所跡の標柱。ここから南へ200m地点、昭和初期の新内市街に駅逓所が設けられていた。現在は市街が消滅したためここに跡地を示す標柱を設けている。駅逓所の住所は新得町字新内本通1丁目4番地。

新内駅跡。現在はエコトロッコ鉄道の駅があり、SLと寝台特急の客車が静態保存されている。

狩勝実験線の線路跡は"狩勝ポッポの道”として約10kmの散策路になっている。

ここに残存するホームは新内駅の遺構。

"狩勝ポッポの道”の駅名標。

新内駅名所案内。

旧ホームに停車する列車の先頭は9600形(59672号機)蒸気機関車。「キューロク」や「クンロク」と愛称され、国鉄で最後まで稼動した蒸気機関車。国鉄での運行を終えた後、北海道各地の炭鉱鉄道を中心に払い下げられた。この蒸気機関車は大正11年(1922)製造、根室本線や釧網本線の貨物などで使われた後、広尾線や士幌線で使用され昭和50年(1975)廃車となった。

牽引されるのは国鉄寝台特急20系客車(ブルートレイン)の3両。昭和53年(1978)に開業したSLホテルの客室に利用され、同61年(1986)まで営業していたらしい。現在は”NPO法人 旧狩勝線を楽しむ会”が運営する旧狩勝ミュージアムとして再利用されている。客車1両目は”ナハネ20 132”で旧狩勝線関係の展示資料室。残念ながら開館しておらず見学はできなかった。
旧狩勝線を楽しむ会
https://www.karikachi.org/
旧狩勝線ミュージアム
https://www.karikachi.org/museum/

駅舎跡に建てられている旧SLホテルの管理事務所。

客車2両目には”えぞらいちょう”の列車名表記。SLホテル時代に命名されたのだろう。

2両目はナロネ21 551。昭和33年(1958)日立製作所で建造された車両。

3両目の列車最後部。この車両はナロネ22 153で、昭和35年(1960)の日立製。建造から73年が経ちさすがに外装の傷みが著しい。

ナロネ22 153の車内を窓越しに覗いて見えた洗面台。寝台列車の雰囲気をそのまま残している。

こちらは個室寝台。現役時代に乗車できたなら、ガタンゴトンの子守唄を聴きながら贅沢な鉄道旅ができただろう。

新内駅舎跡前。ここから南方向(写真右手)へ駅前通りが延び新内市街を形成していたが現在は消滅している。

エコトロッコの線路は落合側のここでぐるりと一回りして駅に戻る。

トロッコ運行時に使うのだろうか、様々な鉄道標識が並べられていた。

エコトロッコ鉄道のりばの”にいない駅”。ひと気が無く本日は営業していない模様。

走行距離約800m、所要時間8分。おっさん一人でも運転させてくれるのだろうか。

駅構内に設ける転車台。

”狩勝ポッポの道”の入口。ここから新得駅手前のSL広場まで根室本線旧線(通称 狩勝線)を整備した散策路が続いている。次は新得でレンタサイクルして走ってみたい。

新内駅跡から約10kmの”狩勝ポッポの道”を下ってきたところにあるSL広場。

静態保存されるSLはD51形95号蒸気機関車。”デコイチ”の愛称で親しまれた名車である。D51は全盛時に国鉄だけで1115両を保有し日本全国の鉄路を駆け巡っていた。この機関車は昭和13年(1938)製造、同40年(1965)新得機関区に配置され、同49年(1974)まで使用された。

SL広場から新得駅へ延びていた根室本線旧線(通称 狩勝線)跡。

SL広場のすぐ西側を現在の根室本線が通っている。写真は旧線付近から望んだ新得スキー場通り架道橋。ここを潜り抜けた道の先に新得山スキー場がある。

新得スキー場通り架道橋は昭和40年(1965)11月3日竣工。この翌年(1966)9月30日に新線が開業した。ここは新旧線路の変遷を感じさせる場所になっている。
訪問日:2023年8月14日(月)
昭和22年(1947)国鉄労組が狩勝隧道における労働環境の改善を要求したことを発端に、危険手当の増額や減車要求に主題が置き代わり労使交渉は難航して労働争議に発展、同23年(1948)6月に柚原闘争委員長が抗議の遺書を残して隧道坑口で列車に身を投じ自殺。7月31日にはマッカーサー書簡を受けて政令201号が施行、公務員の争議行為を禁止し団体交渉権が剥奪された。その翌日8月1日狩勝隧道通過時に機関助士2名が窒息する事故が起き、これらに憤激した新得機関区59名が職場を離脱し「柚原青年行動隊」を結成、政令絶対反対を旗印に全国行脚を開始する。道内の機関区からも職場放棄者が続出して反対闘争は全国へ更なる広がりをみせたが、政令違反を理由に多くの逮捕者を出し泥沼化してゆく。
そんな中の昭和26年(1951)新内第一橋梁(通称 まりも橋)で何者かがレールの継ぎ目板を切断してレールをずらしたことで、急行列車が人為的に脱線させられた「まりも号脱線事件」が発生。警察は労働争議に関連した事件とみて国鉄や国鉄労組関係者約600名を対象に捜査したが、犯人の特定に至らず動機も解明されないまま未解決事件となっている。
大きな遺恨を残したまま昭和39年(1964)新狩勝トンネルが貫通、同41年(1966)落合駅~新得駅間が新狩勝信号場経由となる現ルートの新線に切り替わり、狩勝隧道は約60年にわたる役目を終えた。旧線上にあった狩勝信号場と新内駅は廃止となり、新内~新得間の線路は脱線や火災事故などを研究する実験線として昭和54年(1979)まで再利用された。現在、実験線跡は散策路に整備され"狩勝ポッポの道として狩勝峠越えの鉄道史を今に伝えている。

空中写真データ:国土地理院 新得 整理番号USA-R367-5を基に作成
昭和23年(1948)撮影、狩勝信号場周辺の空中写真。落合側に引き込み線2線、狩勝隧道側に折返し線1線を持つ。列車交換や待避、蒸気機関車への給水給炭を行う目的で設置された施設だけに、当時の周囲には商店や学校等は無く信号場に勤務する関係者30世帯程の国鉄職員住宅があった。

空中写真データ:国土地理院 落合 整理番号CHO7738-C10-28を基に作成
昭和52年(1977)撮影、狩勝信号場周辺の空中写真。狩勝峠越えの根室本線が現ルートの新線に切り替わって11年が経っている。現在の国道38号の新線が通されているが旧道も残っている。信号場跡は本屋をはじめ国鉄職員住宅も無くなって無人地帯と化し、わずかに線路の路盤が痕跡を留めている。

落合駅から旧線を狩勝峠に向かって約1.5km、ペイユルシエペ川に残る橋脚と橋台。奥に見える橋は国道38号の紅葉橋。

国道38号より狩勝信号場跡。現役当時ならここから眼下に信号場が一望できたはず。廃止から57年が経ち自然に還った感があるが、雪が積もる前ならばもう少し往時を偲べる景観が見られるのかもしれない。

狩勝隧道がある新得側に目を向けると…。わずかに見えた!

狩勝隧道の落合側坑口。新内側から25パーミルという急勾配のトンネルを抜けた所がここで、狩勝峠越え旧線の最高地点にあたる。多くの事故が発生し人命まで奪ってきた魔のトンネル、今は役目を終えて山林の中で静かに朽ちてゆくままに。
落合駅から狩勝隧道で峠を越え更に新内隧道を抜けた先に設けられていた新内駅。明治40年(1907)に北海道官設鉄道十勝線(現 富良野線・根室本線)落合駅~帯広駅間の延伸開通に伴い信号場として開設。同42年(1909)一般駅となり駅周辺には駅逓所が設けられ小規模ながらも市街を形成した。その変遷を昔の空中写真で比べてみよう。

空中写真データ:国土地理院 新得 整理番号USA-R367-47を基に作成
昭和23年(1948)撮影、新内駅付近の空中写真。駅舎前から南方向に向かって延びる駅前通りを中心にして新内市街を形成している。角川日本地名大辞典によれば『地名はアイヌ語のニウンナイに由来し、木ある川の意(北海道駅名の起源)である。当地の本格的開拓は、明治35年狩勝トンネル工事のため入地した関新太郎が、同37年地内の土地を買入れ住みついたのに始まる。』
昭和4年(1929)新内駅逓所が設置され新得郵便局集配駐在所を兼務。同13年(1938)駅逓所の廃止に伴い同14年(1939)新内郵便局が設置された。
狩勝高原エコトロッコ鉄道「鉄道歴史研究 - 根室本線旧線 新内駅 -」に当時の新内駅周辺地図が紹介されている。

空中写真データ:国土地理院 新得 整理番号CHO7740-C1-4を基に作成
昭和52年(1977)撮影、新内駅周辺の空中写真。昭和41年(1966)新内駅が廃止されると電気を国鉄からの売電に頼ってた居住者は多くが離散、郵便局も廃止された。写真は新内駅が廃止されて11年が経っており、駅前通りは確認できるが市街が消滅していることをうかがう。駅舎は既に撤去されているように見え、2面のホームが雑草に覆われながらも残存している。駅廃止時には世帯数50・人口194を数えたが、昭和55年(1979)には世帯数9・人口22まで激減している。

新内駅跡前に設置される”石川啄木と狩勝”のモニュメント。歌集「一握りの砂」に収められた歌を記す。明治41年(1908)啄木は就職のため家族を小樽に残して釧路へ向かう途次、開通間もない狩勝峠を汽車で越えた。

啄木モニュメントの隣に新内駅逓所跡の標柱。ここから南へ200m地点、昭和初期の新内市街に駅逓所が設けられていた。現在は市街が消滅したためここに跡地を示す標柱を設けている。駅逓所の住所は新得町字新内本通1丁目4番地。

新内駅跡。現在はエコトロッコ鉄道の駅があり、SLと寝台特急の客車が静態保存されている。

狩勝実験線の線路跡は"狩勝ポッポの道”として約10kmの散策路になっている。

ここに残存するホームは新内駅の遺構。

"狩勝ポッポの道”の駅名標。

新内駅名所案内。

旧ホームに停車する列車の先頭は9600形(59672号機)蒸気機関車。「キューロク」や「クンロク」と愛称され、国鉄で最後まで稼動した蒸気機関車。国鉄での運行を終えた後、北海道各地の炭鉱鉄道を中心に払い下げられた。この蒸気機関車は大正11年(1922)製造、根室本線や釧網本線の貨物などで使われた後、広尾線や士幌線で使用され昭和50年(1975)廃車となった。

牽引されるのは国鉄寝台特急20系客車(ブルートレイン)の3両。昭和53年(1978)に開業したSLホテルの客室に利用され、同61年(1986)まで営業していたらしい。現在は”NPO法人 旧狩勝線を楽しむ会”が運営する旧狩勝ミュージアムとして再利用されている。客車1両目は”ナハネ20 132”で旧狩勝線関係の展示資料室。残念ながら開館しておらず見学はできなかった。
旧狩勝線を楽しむ会
https://www.karikachi.org/
旧狩勝線ミュージアム
https://www.karikachi.org/museum/

駅舎跡に建てられている旧SLホテルの管理事務所。

客車2両目には”えぞらいちょう”の列車名表記。SLホテル時代に命名されたのだろう。

2両目はナロネ21 551。昭和33年(1958)日立製作所で建造された車両。

3両目の列車最後部。この車両はナロネ22 153で、昭和35年(1960)の日立製。建造から73年が経ちさすがに外装の傷みが著しい。

ナロネ22 153の車内を窓越しに覗いて見えた洗面台。寝台列車の雰囲気をそのまま残している。

こちらは個室寝台。現役時代に乗車できたなら、ガタンゴトンの子守唄を聴きながら贅沢な鉄道旅ができただろう。

新内駅舎跡前。ここから南方向(写真右手)へ駅前通りが延び新内市街を形成していたが現在は消滅している。

エコトロッコの線路は落合側のここでぐるりと一回りして駅に戻る。

トロッコ運行時に使うのだろうか、様々な鉄道標識が並べられていた。

エコトロッコ鉄道のりばの”にいない駅”。ひと気が無く本日は営業していない模様。

走行距離約800m、所要時間8分。おっさん一人でも運転させてくれるのだろうか。

駅構内に設ける転車台。

”狩勝ポッポの道”の入口。ここから新得駅手前のSL広場まで根室本線旧線(通称 狩勝線)を整備した散策路が続いている。次は新得でレンタサイクルして走ってみたい。

新内駅跡から約10kmの”狩勝ポッポの道”を下ってきたところにあるSL広場。

静態保存されるSLはD51形95号蒸気機関車。”デコイチ”の愛称で親しまれた名車である。D51は全盛時に国鉄だけで1115両を保有し日本全国の鉄路を駆け巡っていた。この機関車は昭和13年(1938)製造、同40年(1965)新得機関区に配置され、同49年(1974)まで使用された。

SL広場から新得駅へ延びていた根室本線旧線(通称 狩勝線)跡。

SL広場のすぐ西側を現在の根室本線が通っている。写真は旧線付近から望んだ新得スキー場通り架道橋。ここを潜り抜けた道の先に新得山スキー場がある。

新得スキー場通り架道橋は昭和40年(1965)11月3日竣工。この翌年(1966)9月30日に新線が開業した。ここは新旧線路の変遷を感じさせる場所になっている。
訪問日:2023年8月14日(月)

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