常盤駅跡・浜頓別駅跡(天北線) ~2023夏~
最後の浅草芸人と称される深見千三郎を生んだ町、浜頓別町。北海道北部のオホーツク沿岸から内陸部にかけて町域を持つ人口約3500人の町である。主要産業は酪農と漁業。年間の平均気温が5℃前後で極寒にならず暑い時期も短いことから牛の生育環境に適し、海からは毛ガニやタラバガニ・ホタテ・サケなどが水揚げされる。
ここで生まれ育った深見千三郎は大正12年(1923)生まれ、高等小学校を卒業後に上京、浅草で芸を極め浅草に骨を埋めた伝説の芸人である。萩本欽一やビートたけし、東八郎が若かりし頃の無名時代に師事した人である。Netflix映画『浅草キッド』では大泉洋が深見千三郎役を好演、ビートたけしを通して深見さんの生き様を知り泣ける映画なので、機会があれば是非とも見てほしい。
下頓別駅から浜頓別方面へ3.2km行ったところに設けられていた常盤駅。次は6.7km先の浜頓別駅である。枝幸郡浜頓別町字常盤に所在し、昭和30年(1955)に仮乗降場として開業したのがはじまり。廃止時には単式ホームと待合所を有していた。平成元年(1989)国鉄分割民営化により経営がJR北海道へ移行したことに伴い駅へ昇格。平成元年(1989)名寄本線全線廃止に伴い廃駅となった。

空中写真データ:国土地理院 整理番号:枝幸_CHO777-C6-8_を基に作成
昭和52年(1977)撮影、常盤駅周辺の空中写真。踏切東側に待合所、踏切南側(下頓別方)の線路東側に単式ホームを設けていた。

常盤駅北(浜頓別)側の旧道と踏切跡。アスファルトが途絶えた辺りが踏切跡で、写真左手前に待合所が設けられていた。

旧道踏切跡より浜頓別方面。前に見える道路は天北線廃止後に通された新道。

新道より旧道踏切跡と常盤駅跡。この藪の奥に単式ホームが設けられていた。

駅跡付近、国道275沿いに設けられる常盤バス待合所。

雨や雪を凌ぐには有難い待合所だが、夏場は素直に入りたくない。

待合所から少し離れた所にバス停。かつてはバス停奥にホームと待合所が見えていたはず。
浜頓別駅の開業は大正7年(1918)。中頓別駅からの宗谷線(後に北見線→天北線)延伸開通に伴い終着駅として設けられ、頓別川河口付近に位置したため浜頓別の駅名を付けた。これが浜頓別という地名の起源で、後に駅名が地名となったものである。駅開業の翌年(1919)に路線が浅茅野まで延伸しその途中駅に。昭和11年(1936)興浜北線(浜頓別~北見枝幸、 30.4km) が開通、浜頓別駅は北見線と興浜北線の接続駅となり全盛期を迎える。同36年(1961)北見線を天北線に改称、同44年(1969)駅舎が鉄筋の建物に改築されたが、衰退期を迎えて同59年(1984)貨物・荷物取扱い廃止、同60年(1985)興浜北線廃止、平成元年(1989)天北線の全線廃止により廃駅となった。廃止から39年が経った今、駅舎跡は国道が貫き構内跡には道の駅やバスターミナルが建てられている。30年以上ぶりに訪れてただ一言、見る影も無い。

空中写真データ:国土地理院 整理番号 浜頓別_USA-R265-No2-52を基に作成
昭和23年(1948)撮影、浜頓別駅周辺の空中写真。駅舎は昭和19年(1944)に改築されたもの。同21年(1946)に設置された構内跨線橋が見え、構内南側には転車台が見える。駅舎から東に延びるメインストリートを中心に市街を形成、市街東外れに浜頓別小学校があった。駅南側、天北線と興浜北線の分岐点辺りで国道275号の旧道が踏切を設けて交差していた。

空中写真データ:国土地理院 整理番号:枝幸_CHO777-C6-8_を基に作成
昭和52年(1977)撮影、浜頓別駅周辺の空中写真。上写真の30年前と見比べると駅東側の市街は拡大し、駅裏手北側の木工場は大きく変わっていない様子だが、駅北側に中学校と南側に高等学校が新設されている。小学校の場所は変わらず市街東外れにあるが、後に国民健康保険病院の南側に移転している。駅舎は昭和44年(1969)コンクリート造りに建て替えられたもの。駅構内のホームや構内跨線橋は30年前と大きく変わっておらず、構内南側の転車台も現存していたようだ。

1980年代(おそらく前半)に撮影した浜頓別駅。昭和44年(1969)に改築された最終形の駅舎である。

上写真に近いアングルで撮影した現況。駅舎跡を国道275号が貫き面影は完全に消え失せている。

駅舎跡前より旧駅前通り(国道275号)。

駅跡より南稚内方面。広々とした敷地を持っていた駅構内は公園に整備され、浜頓別バスターミナルを併設する”道の駅 北オホーツクはまとんべつ”が建てられている。

駅跡より中頓別・音威子府方面。町立図書館が建てられている。

駅跡前。左端に見えるのが老舗スーパーの”なかむら”。

ここが”スーパーなかむら”。昭和のスーパーを彷彿する外観だけに写真では廃屋のように見えてしまうが、店内に入れば普通のスーパーの品揃えで今も営業を続けている。約40年前に私が訪れた時にもあったはず、少しだけ店内をぶらりとして感慨にふけながら買い物をした。

旧駅前通り沿いにある浜頓ホテル。昭和の駅前旅館に相応しい佇まい。近いうちに宿泊する機会をつくりたい。

こちらも旧駅前通り沿いある靴屋の”さとう”と本屋の”ワタイ”。

旧駅前通りより駅跡方面。かつては道の先に駅舎が見えていたはず。

浜頓別で昼飯にしようと探していて見つけたのがここ、”居酒屋 秀”。

これが貼り出されていたメニュー。

入口から2階へ上がって客席に。

一番上にある角煮カレーがイチオシなのだろうが、悩んだ末に角煮正油ラーメンを注文。

海産物が豊富にあるはずの浜頓別にあって角煮で勝負するラーメン。

スープまで飲み干し美味しく頂きました。

駅跡に建てらた”道の駅 北オホーツクはまとんべつ”。

道の駅には”浜頓別交流館”と、

浜頓別バスターミナルを併設する。

駅跡に新設された”道の駅 北オホーツクはまとんべつ”を示す案内板。ここは平成31年(2019)国土交通省より指定された北海道123番目の”道の駅”。
次に訪れた時は角煮カレーを食べて浜頓ホテルに泊まり天北線跡を訪ねようとの思いで、約40年ぶりに訪れた浜頓別を後に。
訪問日:2023年8月16日(水)

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