相楽総三と赤報隊②

相楽ら浪士隊は江戸湾から翔鳳丸をのっとり脱出。伊豆小浦、紀州九鬼を経て兵庫で上陸し京都へ向かう。既に京都では鳥羽伏見の戦いが始まっており、新政府軍を指揮していた西郷と会う。西郷は相楽の手を取って涙を流して感謝したという。そして江州(現在の滋賀県)で公家の綾小路俊実、滋野井公寿らの一行と合流し、近江国松尾山の金剛輪寺で挙兵。慶応4年(1868年)1月、「赤心をもって国恩に報ぜん」から名付けられた赤報隊はここに誕生する。東海道鎮撫先鋒を命ぜられた赤報隊は3隊で編成し、相楽は江戸以来の相楽派同志を率いた一番隊隊長を任せられ、二番隊隊長は元新撰組で御陵衛士だった鈴木三樹三郎、三番隊隊長を水口藩士の油川錬三郎が務めた。相楽はこれを機に旧幕府領の年貢軽減を建白し、朝廷から年貢半減令布告の許可を得ている。

進軍するにあたり旧幕方であった東海道の桑名城(現三重県桑名市)を目指したが、桑名藩は抗戦か恭順かで内部分裂していたので戦わずとも城は落ちるとの確信があり、東海道軍とは合流せずに信州へ進んで甲州(現山梨県)を鎮撫してから東征軍本隊と協力する作戦をとる。先鋒として相楽の一番隊は年貢半減の高札を掲げ、民衆の支持を得ながら進軍する。二番隊、三番隊も後に続くはずだったが、病のため松尾山に滞在していた滋野井の一派が赤報隊士と称して強盗をしただの、赤報隊は官軍本営の命令を無視して進軍しているといった悪い風聞が広がりはじめたため、官軍本営から東海道軍と合流するよう命令が下る。綾小路は命令に従い二番隊、三番隊を率いて名古屋へ向かった。滋野井の一派も綾小路らと合流しようとしたが、四日市で捕縛される。しかし相楽は命令を聞き入れず進軍を続けた。

赤報隊に対する悪い風聞は新政府が意図的に流したものらしい。当時黒幕は岩倉具視であるとみている者も多かった。相楽に年貢半減令布告を許可したものの、新政府の財政は窮乏しており実現することは不可能であった。相楽の強い信念に押され民意を味方につけるには上策だと安易に布告を許可してしまった感がある。しかし相楽ら赤報隊がこれを武器に農民層を味方につけていく様を見て、あまりの反響の大きさに驚いたのであろうか。また多大な借金をしていた豪商三井家の反発もあったといい、新政府は密かに年貢半減令を取り消してしまう。そして赤報隊の悪い風聞を流し、偽官軍の汚名を着せることによって年貢半減令はでっち上げであるという事実を作り出し、新政府に対する民衆の信用を守ったのである。いかにも岩倉らしい謀略にみえる。

相楽はこの不穏な空気に薄々気付いていたのであろうか、はたまた関東の要所である碓氷峠を抑えるか甲州を鎮撫する戦果をあげれば認められると思ったのであろうか、相楽率いる赤報隊は嚮導隊と名を改め、再三の帰還命令を無視して進軍を続ける。そして甲州街道と中山道の分岐点である下諏訪に到着し本陣に逗留すると、要所碓氷峠を抑えるべく地理に明るい桜井常五郎を隊長に金原忠蔵や西村謹吾、大木四郎らを幹部とする約70名の北信分遣隊を組織し先発させた。分遣隊は小諸藩、上田藩から献金を取り陣屋を接収しながら進軍し、ついには碓氷峠を占拠する。しかし順調に事が運んだのはここまでだった。その数日前に東山道総督府より官軍と偽る嚮導隊を取り押さえるよう信濃諸藩に通達が出されていたのである。

捕縛の通達が出されていることを知った分遣隊は碓氷峠を下り、軽井沢宿、沓掛宿、追分宿に分宿していた。そこを信濃諸藩兵に急襲される。根拠地であった追分宿の大黒屋は小諸藩兵の攻撃を受け、金原は深手をを負いながら捕縛され、他の宿場にいた西村や大木も捕縛される。桜井にいたっては意見の相違から碓氷峠で既に隊を離れていたが、この一事を知り逃亡するも結局捕えられる。追分戦争と呼ばれるこの戦いで分遣隊は壊滅状態となり、死者9名、捕縛者45名を出す始末となった。一方、この時期相楽は大垣に滞在していた東山道総督府へ命令違反の弁明のため出頭していた。おそらく嚮導隊捕縛の通達や追分戦争のことなど知る由もなかったであろう。下諏訪へ帰隊するのは追分戦争から6日後のことであった。
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19日目(2016/5/6)浜松宿→見付宿 MAP
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21日目(2016/6/25)袋井宿→掛川宿 MAP
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高札場
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