

中山道一里塚信号で国道20号と交差すると、ここを左折して木曽福島方面へ国道を歩く。途中、「塩尻名物 玄蕃おやき」なる看板が目に留まるが、国道沿いを見渡してもどこに売っているわけでもない。ちなみに玄蕃とは、ここ桔梗ヶ原に残る伝説のいたずら狐「玄蕃之丞」のことである。昔、桔梗ヶ原に住んでいた玄蕃之丞は、おたきという娘に恋をしてしまう。そして人間に化けておたきに近づくのだが、これが全く相手にされず、おたきは隣の村へ嫁に行ってしまう。その腹いせにさんざん悪さをはたらいた挙句、最後には人間に捕まり死んでしまうという何とも切ない話が伝わる。しかし玄蕃之丞は今も近隣の人々から愛され、毎年夏には玄蕃まつりが行われる。

車の往来が激しい国道をひた歩く。コスモ石油手前で左斜めに離れる砂利道が旧道なので、ここに入れば車の喧騒から離れてホッと一息。それもつかの間、平出歴史公園交差点で国道と再び対面してこれを横断すると、県道304号の道となり道路標識や郵便局に洗馬の名が見えはじめる。
洗馬の肘松 日出塩の青木 お江戸屏風の 絵にござる
線路沿いを下っていくと右に洗馬の肘松と呼ばれた肱懸松(ひじかけまつ)に出会う。この松は、細川幽斎(一説には徳川秀忠とも)が肱をかけて休んだとも伝えられる名高い赤松であった。かつての松は現在地とは少し違った場所にあったようで、ここから洗馬宿寄りに肱懸松跡の標柱が立っている。江戸の屏風に描かれるほどの名木であったようだが、現在植えられている松は少々貧弱なのが残念である。
肱懸けて しばし憩える松陰に たもと涼しく 通う河風細川幽斎がここで詠んだと伝えられる。

旧中山道は肱懸松から県道を右に離れ急坂の小道を下る。うっかり県道を直進してしまいそうになってしまうが、この道は昭和7年(1932年)洗馬の大火後に開通した道なのでご注意を。坂を下りきると常夜灯が現れT字路に突き当たる。ここがかつての枡形跡で、また中山道と善光寺道(西街道)の分去れでもあった。ここから右へ行けば松本城下を経て善光寺へ向かう、牛に曳かれて善光寺参りの道である。
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