

分去れを左折し洗馬宿へと入って行く。間もなく先ほど別れた県道が左後ろから合流してくる。合流地点には昭和時代の新道開通後に枡形跡から移された「右中山道 左北国往還善光寺道」の道標が立っている。そこから人も車もまばらな洗馬の町へと入ると、まず「あふたの清水」の案内板が右手に立っている。ここから民家裏手にまわると、崖状の上から田園風景が眼下に広がり、向こうに奈良井川の流れも見える。階段で崖を降りると、中腹に「ふるさとの水20選 邂逅(あふた)の清水」の看板が現れ、木製の水道口からこんこんと清らかな水が落ちる。

ここで洗馬という地名の由来を書く。前述のあふたの清水は「大田(おうた)の清水」とも呼ばれる。現在案内板にあるのは「邂逅(あふた)」であるが、これはいずれかが転訛したものであろう。平家追討のため挙兵した木曽義仲が、この地で義仲四天王の一人である今井兼平と合流したといわれる。ようは義仲と兼平がこの地で会うたのである。そして兼平は疲弊しきった義仲の馬を、この清水で洗うとみるみるうちに回復したという。そんな故事から名付けられたのが洗馬宿である。

洗馬宿は江戸日本橋から31番目の宿場で、天保14年(1843年)には人口661人、家数163軒、本陣1、脇本陣1、旅籠29軒。宿場成立当初から火災が多く、正保4年(1647年)、慶安元年(1648年)、天明5年(1785年)、天保8年(1838年)には大火が発生し、その度に宿場の人々は再建のための金策に随分と苦労してきたようだ。昭和7年(1932年)の火災では宿場の大部分が焼かれてしまい、現在宿場時代の面影は薄い。本陣や脇本陣もこの時の火災で焼失してしまった。洗馬宿の歴史は大火の歴史といっても過言ではないくらいの印象を受ける。

ガイドブックによると洗馬宿本陣は宝暦年間(1751~64年)頃から百瀬家が努めたとある。また脇本陣は代々志村家が努め、両家が半月交代で問屋を兼ねていた。両家ともに広い敷地を有し、大きな庭園を持っていたようで、中山道中でも評判のものだったという。しかし建屋は昭和の火災で焼け、自慢の庭園も中央本線の敷設により大部分が失われてしまった。残念と言うほかないが、洗馬駅前付近の街道筋にあった本陣や、本陣京側隣にあった貫目改所跡、更にその隣の脇本陣跡にはその痕跡を示す標柱があり、場所だけは確認できる。余談だが、貫目改所跡には生垣に囲われた民家があるのだが、入口にある表札を見るとここは百瀬宅。今も子孫の方が住まわれているようだ。
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しまむーさん、今晩は。ご無沙汰しております。昨日、善光寺西街道の歩行を開始しました。中山道との分去れの洗馬から松本までの19キロ歩きました。3月には歩行を開始する予定でしたが、3月下旬から4月上旬は寒の戻りで気温が低かったので、遅い開始となりました。この区間は所々に古い街並みがあるが、寄り道する場所が少ないので、19キロ歩けました。途中の郷原宿にある、塩尻短歌館の建物が一番の見所でした。
しまむーさんは、雪の中をよく歩かれたと感心しています。雪景色の中を歩くのは良い気分かもしれないが、あまり寄り道出来ないのでは。寒いのが嫌いな私では、とても行く気になれない。恐れ入りました。
宇田川さん、こんばんは。
いよいよ善光寺西街道を歩き始めたのですね。
善光寺街道の西も東も歩いたことはありませんが、東より西の方が山深い難所が続くイメージですね。以前に仕事で塩尻の方へ行ったとき、広丘駅近くのルートインに宿泊しまして、散歩がてらに郷原宿を訪ねたことがあります。それが旧街道歩きを始める以前のことだったので、今思えばあれがきっかけだったのかもしれません。
山中の旧街道歩きは雪解けの今時期がベストだと思います。熊出没の心配もまず無いでしょうし、山ビルに取り付かれる心配もないですしね。また、暑いより寒いくらいの方が体力の消耗も少なく、北海道出身の私にとってはむしろ好都合な感じです。宇田川さんが善光寺に辿り着くより先に会津若松へ到着できるよう頑張ります。道中お気をつけて。
しまむーさん、今晩は。昨日、善光寺西街道の、松本―岡田5キロを歩いてきました。5キロと少なかったのは、松本城など市内観光に半日をついやしたためです。そのついでに、街道歩きをしたようなものです。でもトータルの歩行距離は10キロありました。
この季節の歩行は暑くもなく、快適ですね。いろいろな花を見ながら気分良く歩けました。松本市内は、蔵作りの建物も多くあり、雰囲気もよかった。でもその先は、住宅街の中をただ歩くのみでした。岡田宿も古い建物はほとんど有りませんでした。
次回は最初の難所、刈谷原峠を越えて、会田宿という所まで行く予定です。
次回を含めて、善光寺まであと4日かかると思います。しまむーさんより先にゴールできるかな?5月中はたぶん無理だと思うので、6月かな。天気によっては7月になるかも。
宇田川さん、こんばんは。
マイペースに善光寺西街道を歩かれているようで、何よりです。次は刈谷原峠を越えて会田宿に行かれるとのこと、全くどんな所なのかわかりませんが、峠越えである以上、結構な苦労が待ち受けているのでしょうか。宇田川さんが7月に善光寺へゴールされたなら、確実に私の負けですね。今のペースで行けば、会津若松到着は秋口になると思います。
しまむーさん、今晩は。4/29、30の2日間で、善光寺西街道の岡田―会田―西条まで歩いてきました。ネットで調べていたら、会田の近くに穴沢温泉という所があり、予約が取れたので泊まりで行ってきました。この区間は、駅から離れているので、宿泊しないとタクシーを使わなければならない。地震の影響で予約が少なく、泊まることが出来ました。
岡田宿からは、刈谷原峠を越える。中山道の塩尻峠と同じ程度の感じである。途中から舗装は無くなるが、1時間くらいで峠に着く。下りは4WDの掘ったワダチがある道を20分位歩くと舗装路になる。そして刈谷原宿に入る。中山道の長久保宿と雰囲気が似ている。
その後、会田に向かう。そして宿場の手前にある旅館に泊まる。
翌日は旅館から会田宿に向かう。会田宿は平地にある宿場と、急坂にある宿場が直角に折れ曲がっている。長久保宿と同じである。でも、坂はこちらの方が急である。そしてそのまま、最大の難所立峠に向かう坂となる。
立峠の道は最後の600mが登山道となっている。そしてすごい急坂である。600m歩くのに30分もかかった。下りは傾斜もゆるく、10分くらい歩くと石畳となり、そしてすぐに舗装路となる。
峠を下ると、山あいの集落を通り抜ける。春の花が咲き良い雰囲気である。乱橋という場所を歩いていると、「やさい畑のとんとん」という食堂の看板が目に留まる。300m位歩いて食堂に入る。こんな山間部に食堂があるとは、感激。この辺りでは駅前でも食堂がないのに。
その後、中の峠に向かう。峠と言っても舗装路で10分ほどで登れる。ただ、この辺りから雨が降り出し、時々横殴りの雨になったりした。何度か雨宿りをしながら歩く。そして3時過ぎに、ふもとの西城駅に着く。予定を早めて、本日の歩行はここまでとしました。
1日目15キロ、2日目13キロ歩行
宇田川さん、こんばんは。
すごいペースで歩かれてますね。こりゃ、確実にゴールは先を越されそうです。コメントの内容から旧街道歩きの醍醐味はやはり峠越えにあることを実感されているようですね。峠を越えて山間の集落に辿り着いたときのうれしさというか、安心感というか、何ともいえません。これは歩いた者にしか味わえない感慨深さです。私も善光寺西街道を歩きたいです。いや、きっといつの日か歩くでしょう。宇田川さん、これからの道中もお気をつけて。
しまむーさん、今晩は。昨日、善光寺西街道の西条駅から青柳宿を通り、麻績(おみ)宿までの10キロを歩いてきました。初夏の日差しは強かったものの、湿度が低く風も吹いていたため、暑くなく快適に歩けました。この区間は開発に取り残されたため、昔の雰囲気が残っている。江戸時代の建物は少ないが、それでも古い建物が残っている。
ただ今回の旅では、資料館などの寄り道する場所が無い。途中で休憩できる公園なども無く、てくてく歩くのみであった。
4時ごろ麻績(おみ)宿の聖高原駅に着き、本日の歩行を終わりとする。時間的にも体力的にも、まだまだ歩けるが、ここで終わりにしました。この先は聖湖の脇を通る猿ヶ馬場峠があり、次の駅まで15キロ位ある。次回に取っておきました。
善光寺まであと2日で着く予定だ。6月にゴールできる見通がついた。
宇田川さん、こんばんは。
6月に善光寺西街道を踏破予定とは…。確実に先にゴールされそうです。今時期は歩くにはもってこいの季節なのですが、私はなかなか歩みを進められず、先日ようやく会津田島まで辿り着いたところです。これからは宇田川さんと同様に峠越えが続く難所続きで、旧道をまともに歩けるのか、少々心配。どうなることやら…。
次は猿ヶ馬場峠を越えるとのこと、会津西街道の山王峠にも猿馬場と呼ばれた難所がありました。名の由来に何か似たような所以があるのでしょうか。では、街道は違えど、お互い気をつけて峠越えしましょう!
しまむーさん、今晩は。おととい善光寺西街道の麻績から稲荷山まで歩いてきました。6月なのに湿度が低く、からっとした陽気でしたので、快適に歩けました。麻績宿を出るとすぐに猿ヶ馬場峠への登りとなる。国道と平行して走る細い道を歩く。車が走っていないので安心して歩ける。そして峠の手前では、迂回して登る国道を突っ切るように、土の道を登る。登りきると聖湖がある。釣りをしたり、ボートに乗る人達がいる。高原のリゾート地である。
ホテルのレストランで食事をした後、峠を下る。国道を離れ、土の道を歩く。そして再び舗装路になり、少し歩くと一里塚がある。現地の案内板によると、街道は一里塚の前を下るみたいである(案内が不十分でよくわからない)。ところが、私の持っているガイドブックでは、直進してから左に廻り込む道となっている。ガイドブックの方に行くことにする。土の道に入り、30分位歩くと行き止まりになり、道が無くなっている。地図によると、ここから谷に下っているようである。山に入り、道を探したが見つからない。あきらめて引き返す。そして再び一里塚の前に戻る。1時間20分時間をロスしてしまった。
そこから少し土の道を歩き、その後は舗装路を歩き峠を下る。篠ノ井線の踏切を渡り、間の宿中原に入る。市街地に入るとほっとする。道に迷う心配も無い。そして5時半ごろ稲荷山宿に入る。久しぶりの大きな町である。古い街並みが残る宿場の中心を抜け、6時過ぎに、稲荷山の駅入口に着く。あと2キロ程で北国街道との追分であるが、本日の歩行はここまでとし、駅へ向かう。17キロ+迷い道2キロ、計19キロ歩行。
さて次回は、篠ノ井追分で北国街道に合流し、前回と同じ道を歩き善光寺まで行く予定である。2年ぶりの善光寺詣でである。いよいよゴールが見えてきた。
しまむーさん、今晩は。おととい、善光寺西街道の稲荷山から篠ノ井追分を通り、善光寺まで20キロを歩いてきました。今回は、ひょんな事から二人で歩くことになりました。稲荷山駅で身支度を整えて歩き始めたところ、一人の青年が声をかけて来ました。彼女とけんかし、車から降ろされた。携帯も無く、所持金もわずかで途方に暮れている。長野まで知人が迎えに来るので、そこまで行きたい、とのこと。私も長野まで行くと話したら、迷惑でなかったら、ご一緒させてほしい。寄り道しながらで、時間がかかってもいい。と言うので、二人で歩くことにしました。
当日の天気は予報に反して、昼頃まで雨の降るあいにくの天気でした。でも、午後からは日も差し、少し暑くなった。歩き始めて30分位で、篠ノ井追分に着く。2年前の秋、軽井沢から北国街道を歩いて来た時、いつの日か、洗馬から歩いてここまで来ようと決心した場所である。峠が続く道を歩いて、2年ぶりに到着した。
ここから先の道は、一度歩いているが、善光寺まで行くことが大切だと思い、もう一度歩くことにした。この辺りの街道は、市街地を通り見所も少ない。蔵作りの建物や、歴史を感じさせる寺社が、時々ある位である。長野市街の手前にある丹波島宿では、昔の雰囲気のある道を歩く。そして、長野駅前を通り過ぎ、4時20分ごろ善光寺に着く。先ほどの青年も、一緒にお参りした。その後、長野駅まで戻り、6時過ぎに青年と別れる。18:46の新幹線に乗り帰る。
今回は二人連れであったためか、ゴールした達成感や、終わってしまう寂しさなど、何も感じなかった。ちょっと残念かな。
今回、洗馬から善光寺まで寄り道を含め、106キロを7日かけて歩いた。1日平均15キロ歩いたことになる。北国街道より10キロ長く、1日多く歩いた。山の中を歩いた日が、7日のうち4日あり、半分位は山の中を歩いていた感じである。そして、松本の先から篠ノ井の手前までは、食事する場所も少なく、交通の便も悪い。事前に計画を立てなければならない上級者コースである。ただしその分、達成感も大きい。新緑の季節に歩いた、想い出に残る旅となった。
宇田川さん、こんばんは。
早くも善光寺にゴールrされてしまったのですか!おめでとうございます。それにしても、彼女に置いてけぼりにされてしまったわけありの青年と共に善光寺へお参りとは、何だか寅さんみたいなストーリーになっちゃいましたね。そんなこともあるんだと、コメントを呼んでいて思いました。その後、青年は彼女と仲直りできたのでしょうかねぇ…、少々気になるところです。
私の方といえば、次の歩きで会津西街道のメーンとも言うべき大内宿に到着します。しかしながら、最近になって首を痛めてしまい、ブログの更新も遅々として進まず、酒も飲めなければ、ゴルフもできない悲しい状態にあります。痛み止めの薬で何とか仕事はしていますが…。
宇田川さん、次はどの街道を歩かれるのですか?また、旅の報告を楽しみにしています。
しまむーさん今晩は。首を痛めたとは、大変ですね。街道歩きはほどほどにしたほうがいいのかも。首をかばって歩くと、他のところが痛くなってしまうかも。大内宿の散策にとどめた方がいいのかも。下郷から大内宿までけっこうありそうだけど、無理して行っちゃうのかなあ。
さて、一緒に善光寺詣でをした青年のその後ですが、連絡がありません。必ず電話すると言っていたのですが。どうなったのでしょう。結果が分かりしだい連絡します。
次は日光例幣使街道を歩く予定です。中山道の倉賀野から日光まで、130キロ位の道です。栃木や佐野など寄り道が多そうな道なので10日以上かかるかなあ
宇田川さん、こんばんは。
次は日光例幣使街道ですか。水戸天狗党ゆかりの街道でもあり、色々と見どころがありそうな街道です。倉賀野の閻魔堂から歩き始めるわけですね。ほぼ平坦な道を歩けるのでしょうから、善光寺西街道を歩ききった宇田川さんには楽勝なコースでしょう。
私の方と言えば、首痛がひどくなると頭までガンガン響いてよくない状態が続いています。今は整形外科をやめて神経内科に通っています。薬をうまく使えば何とかなっているので、近日中に倉谷宿から大内宿まで歩くつもりでいます。やはり、旧街道を歩き峠を越えてようやく辿り着いたうえに見る宿場町の景観は、バスや車で行くのとは違いますから。
では、次の歩き旅もお気をつけて!