

大田屋商店で缶コーヒーを買い一休みし、上町バス停まで歩く。この辺りは本山宿の京側宿場外れになるのだが、かつては松本藩への出入りを取り締まった口留番所が置かれ、隣に木戸が設けられていた。しかし見たところ場所は特定できない。ここから左の高台に上れば本山学校跡を偲ぶ公園で、更に跨道橋で国道を渡り奥へ入ると本山神社が鎮座する。そして中山道に歩みを戻し、先へ進めば本山宿の町並みも終わりとなる。今日の行程は本山宿までだが、本山に駅は無いので、更に1.5km程中山道を南下して日出塩駅まで歩く。

本山宿を抜けて国道19号と合流する。ここで合流地点に流れる関沢を渡る。現在は普通に歩いていると気付かぬほどの小さな流れであるが、旧道はわざわざ上流30m付近まで迂回して渡っていた。かつては深く切れ落ちた場所を沢が流れ、最短距離を渡るには障害だったのであろう。国道左側の沢沿いには旧道の道筋もかろうじて残っているようだが、ここは現代の恩恵を感じつつ素直に国道を進む。深い山中を行く中山道、そんな場所は無数にあったのだろうが、埋め立てられ平坦な国道を歩いていると、そんなことに気付く術も無い。

前を歩くウォーキング中らしきおばちゃんの後ろを、トコトコと歩調を合わせながら国道を行く。そして釜之沢の流れを渡るのであるが、関沢より更に深く切れ落ちていたらしく、ここも旧道は上流に100m以上も迂回して渡河していた。沢の手前に林道釜ノ沢線の入口があるのだが、ここに入ると林道から沢側の一段下に旧道らしき道跡が上流に延びている。しかし藪や木に覆われており、辿るにはかなりの勇気と根性が必要だ。

そんな旧道跡を辿ってみたかったのだが、今の自分には時間も体力も足りない。明日は憂鬱な月曜日、時計は既に16時半をまわり、駅へ向けて足の回転も自然と速くなる。国道から左斜めに歩行者用の小径に入り、第二中仙道踏切を渡る。そしてシンセイという会社を右に見ながら進むと一里塚跡の標柱を見つける。この一里塚は江戸日本橋から61里目(約240km)の一里塚で、ご多分にもれず両塚に榎が植えられていたようだが、現在痕跡は全く残っていない。

立場跡の日出塩集落を早足で駆け抜け、ふと気付いた長泉寺に寄る。何をするわけでもなく急ぎ写真だけ撮り、駅へ向かって中山道を離れる。すると駅の手前まで来たところで、ジャストなタイミングで松本方面の列車が入ってくる。ダッシュで乗ろうとするのだが、どういうわけか扉が開かない!何で?と思っていたら、運転手さん曰く「お客さん、後ろから乗ってください」と。そう、この区間を走る中央本線の普通列車はワンマンカーなので、無人駅では降り口と乗り口が違うのだ。しかもボタンを押さないと扉が開かないので気をつけましょう。ちなみに整理券も取り忘れないように!
【第20日目】踏破距離 約10.5km(塩尻宿→洗馬宿→本山宿) 日本橋から239.7km 京都まで294km まだまだ先は長いよ・・・
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