是より南、木曽路

【第21日目】8月12日(日) 本山宿→贄川宿→奈良井宿


夏真っ盛りの8月、日本列島は猛暑に見舞われ、とにかく暑いという以外に表現のしようがない。今回も新宿発7時ちょうどのスーパーあずさ1号に乗車。塩尻駅で中央本線の各駅停車に乗り換え日出塩駅で下車する。やはり長野県も例外なく暑い。(みーーーん みーーん みーん みんみー)山里はセミの大合唱で騒がしく、アスファルトに照りつける陽射しは眩しい。新緑の山々はいつのまにか深緑へと緑の色を濃くし、その背後に控える空の青も深みを増している。ギラギラした太陽が逆に恨めしく感じるほど天気は良い。
11時ちょっと前、日出塩駅から木曽路へ向けて中山道の旅を再開する。まずは日出塩駅前の中山道沿いにある民家前に自動販売機があったので、ここで軽く喉を潤しておく。中山道に今日の一歩を踏み出し、日出塩集落を抜けて国道の高架橋下を潜る。ここで更に線路下を潜り、左の道へ外れれば熊野神社があるので、道中の安全祈願に寄る。そして中部北陸自然歩道の道標に従い歩行者専用道で再び高架橋の下を潜り抜け国道の右側に出る。ここで国道と道筋を共にし、車の騒音を聞きながらひたすら先へ。

ホテルアルファというラブホが沿道に見えてくる。この手前から国道を左に離れる道が、牛首峠・小野宿・三沢(小野)峠を経て下諏訪宿へ通じる初期の中山道。慶長19年(1614年)に塩尻峠越えのルートに変更されるまで中山道だった道である。ここ桜沢から岡谷市の長地東堀交差点(中山道と伊那道の分岐点)までが廃道となった道筋で、徳川家の家臣大久保長安により敷設された道であった。2つの峠を越えなければならない難所続きの古中山道ともいうべき道がどの程度残っているかわからないが、いずれ機会を作って歩いてみたい。



右眼下に奈良井川を見ながら国道を行くと、中部北陸自然歩道の案内板が立っており、更に先へ行けば「ようこそ木曽へ」と書かれたモニュメントが現れる。そして「是より南 木曽路」の道路標識先で桜沢橋を渡れば、いよいよ中山道のハイライトとも言うべき木曽路のはじまりである。
「歌に絵に其の名を知られたる、木曽路はこの桜沢より神坂に至る南二十余里なり」
桜沢の藤屋百瀬栄が昭和15年に建立した「是より南 木曽路」の石碑裏面に記したものである。木曽路はここ桜沢から贄川宿、奈良井宿を経て鳥居峠を越え、深山幽谷の木曾谷を抜けて落合宿に至る木曽十一宿の路である。古くから良質のヒノキの産地として知られ、現在、妻籠宿や馬籠宿は観光地として有名だ。

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