旧立場茶屋・多瀬屋
【第25日目】9月22日(土) 上松宿→須原宿
前回の旅から1週間後の土曜日。13時半頃上松駅に到着し旧中山道の旅を再開する。天気は晴れ。照りつける太陽もかつての勢いは無く、歩いていると汗ばむ程度のちょうどいい気温。木曽谷の風が心地よい絶好のウォーキング日和だ。
上松駅から旧中山道に歩みを戻し、上松宿下町を抜けたところで下町交差点を左折。小径の坂道を上りきると宮前集落で、ここにはかつて尾張藩材木役所の陣屋が置かれていた。中沢橋を渡って先へ進めば見帰集落、寝覚集落へと旧道は続く。

駒ヶ嶽見えそめけるを背後にし 小さき汽車は峡に入りゆく
宮前集落にある上松小学校の一角に斎藤茂吉の歌碑がある。また上松小学校には「尾張藩上松材木役所御陣屋跡」の碑があり、この辺りには寛文3年(1663年)頃に尾張藩直轄の材木役所が置かれ、木曽谷の材木に関する業務を司った。

旧中山道から上松小学校のグランドを横断した先に諏訪神社が鎮座している。諏訪神社に付き物の御柱が無いのだが、これは諏訪からではなく京都から勧請したことによるらしい。

宮前集落の旧中山道を行く団体。木曽路を歩くウォーカーは多い。

中沢川を渡ると見帰(みかり)集落。国道19号を跨道橋で越え寝覚集落へ。

寝覚集落の家並み。手前が多勢屋(たせや)で奥が越前屋の建物。多勢屋は江戸時代の立場茶屋で茶屋本陣も兼ねた旧家。越前屋は国内で三番目に古い蕎麦屋といわれ、十返舎一九の「木曽街道中膝栗毛」にも登場する老舗。弥次喜多がここで蕎麦を食べていたのかと想像するだけでも楽しい。

多勢屋は近年まで民宿を営んでいた。

多勢屋と隣にある越前屋は寿命そばが名物だった。今も国道19号沿いにある越前屋の新店で寿命そばを食することができる。

「寄っていきませんか?」
多勢屋のおばあちゃんのご厚意で内部を見学させていただく。大柱で組まれた高い天井からは自在鉤が下がり、幾年もの時間を経てきたのであろう古色を帯びた囲炉裏は火が灯っていないにもかかわらず温かい。多くの旅人が囲炉裏を囲んでくつろぎ、色々な話に花を咲かせてきたのだろう。往時の面影を色濃く残す空間に身を置くとそんな人々の思いを感じさせる。
この囲炉裏がある部屋は現在大広間となっているが茶の間と土間である。昔は修学旅行生が訪れることも多く、土間に土台を置き畳敷きの大広間にしたと、おばあちゃんは言う。大広間にはこの土間で蕎麦をゆでている先代の写真も飾られている。「先代の奥様はきれいな方でした。写真を撮られるのを嫌がったので、ほとんど写真が残ってないのですが、これには写っているんですよ。」おばあちゃんは壁に飾られた写真を見上げながら目を細める。

長い年月、共に風雪を凌いできた家を見つめるおばあちゃんの目は優しく温かい。すぐ近くには木曽川の名勝寝覚の床もあるのだが、旧中山道のこの小さな集落を訪れる人は少ない。旧立場茶屋の家で江戸や明治の昔に思いを馳せ、おばあちゃんの話に耳を傾けてみるのも、旅に一興を添えてくれるのではなかろうか。
前回の旅から1週間後の土曜日。13時半頃上松駅に到着し旧中山道の旅を再開する。天気は晴れ。照りつける太陽もかつての勢いは無く、歩いていると汗ばむ程度のちょうどいい気温。木曽谷の風が心地よい絶好のウォーキング日和だ。
上松駅から旧中山道に歩みを戻し、上松宿下町を抜けたところで下町交差点を左折。小径の坂道を上りきると宮前集落で、ここにはかつて尾張藩材木役所の陣屋が置かれていた。中沢橋を渡って先へ進めば見帰集落、寝覚集落へと旧道は続く。


駒ヶ嶽見えそめけるを背後にし 小さき汽車は峡に入りゆく
宮前集落にある上松小学校の一角に斎藤茂吉の歌碑がある。また上松小学校には「尾張藩上松材木役所御陣屋跡」の碑があり、この辺りには寛文3年(1663年)頃に尾張藩直轄の材木役所が置かれ、木曽谷の材木に関する業務を司った。


旧中山道から上松小学校のグランドを横断した先に諏訪神社が鎮座している。諏訪神社に付き物の御柱が無いのだが、これは諏訪からではなく京都から勧請したことによるらしい。

宮前集落の旧中山道を行く団体。木曽路を歩くウォーカーは多い。


中沢川を渡ると見帰(みかり)集落。国道19号を跨道橋で越え寝覚集落へ。

寝覚集落の家並み。手前が多勢屋(たせや)で奥が越前屋の建物。多勢屋は江戸時代の立場茶屋で茶屋本陣も兼ねた旧家。越前屋は国内で三番目に古い蕎麦屋といわれ、十返舎一九の「木曽街道中膝栗毛」にも登場する老舗。弥次喜多がここで蕎麦を食べていたのかと想像するだけでも楽しい。

多勢屋は近年まで民宿を営んでいた。

多勢屋と隣にある越前屋は寿命そばが名物だった。今も国道19号沿いにある越前屋の新店で寿命そばを食することができる。

「寄っていきませんか?」
多勢屋のおばあちゃんのご厚意で内部を見学させていただく。大柱で組まれた高い天井からは自在鉤が下がり、幾年もの時間を経てきたのであろう古色を帯びた囲炉裏は火が灯っていないにもかかわらず温かい。多くの旅人が囲炉裏を囲んでくつろぎ、色々な話に花を咲かせてきたのだろう。往時の面影を色濃く残す空間に身を置くとそんな人々の思いを感じさせる。
この囲炉裏がある部屋は現在大広間となっているが茶の間と土間である。昔は修学旅行生が訪れることも多く、土間に土台を置き畳敷きの大広間にしたと、おばあちゃんは言う。大広間にはこの土間で蕎麦をゆでている先代の写真も飾られている。「先代の奥様はきれいな方でした。写真を撮られるのを嫌がったので、ほとんど写真が残ってないのですが、これには写っているんですよ。」おばあちゃんは壁に飾られた写真を見上げながら目を細める。

長い年月、共に風雪を凌いできた家を見つめるおばあちゃんの目は優しく温かい。すぐ近くには木曽川の名勝寝覚の床もあるのだが、旧中山道のこの小さな集落を訪れる人は少ない。旧立場茶屋の家で江戸や明治の昔に思いを馳せ、おばあちゃんの話に耳を傾けてみるのも、旅に一興を添えてくれるのではなかろうか。

- 関連記事
-
- 小野の瀑布
- 寝覚の床
- 旧立場茶屋・多瀬屋
- 上松宿
- 現代の難所を乗り越えて
スポンサーサイト