寝覚の床
木曽の山中で浦島太郎の伝説とは意外な気もするが、海岸で亀を助けて竜宮城へ行ったというのは、丹後の天橋立でのこと。浦島太郎が竜宮城から帰ってくると親兄弟に知人は誰一人として居なくなり、家や村は変わり果て、何百年もの月日が流れていたというのは広く知られた話である。途方に暮れた浦島太郎がこの木曽の山中にさまよいこみ、玉手箱を開いてしまったというのが、ここ寝覚の床であるという。
寝覚の名の由来もこの浦島伝説による。玉手箱を開けた浦島太郎は白髪のおじいさんになってしまう。まさに何百年もの夢から寝覚めたことから、この名が付いたらしい。その後の浦島太郎は村人から怖れられ消息不明になってしまったようで、奢れる者も久しからず、たた春の夜の夢の如し・・・竜宮城でこの世の春を謳歌した浦島太郎のお伽噺に、平家物語の縮図を感じてしまうのは大袈裟だろうか。そんな伝説を残す木曽八景の一つである寝覚の床は、木曽川の水流によって巨大な花崗岩が長い年月をかけて侵食されてできた自然の造形美。

寝覚集落の多勢屋と越前屋の間から木曽川へ向かう道が臨川寺参道。参道入口には門柱の礎石が残っている。
臨川寺は読んで字の如く木曽川を臨む寺。拝観料200円を払って境内に入り寝覚の床へ。




臨川寺境内にある弁才天堂。尾張藩四代藩主徳川吉通の命により、正徳2年(1712年)に完成。上松町内では現存する最も古い建築物。

臨川寺宝物館では浦島太郎が愛用したという釣竿や硯を展示。
寝覚の名の由来もこの浦島伝説による。玉手箱を開けた浦島太郎は白髪のおじいさんになってしまう。まさに何百年もの夢から寝覚めたことから、この名が付いたらしい。その後の浦島太郎は村人から怖れられ消息不明になってしまったようで、奢れる者も久しからず、たた春の夜の夢の如し・・・竜宮城でこの世の春を謳歌した浦島太郎のお伽噺に、平家物語の縮図を感じてしまうのは大袈裟だろうか。そんな伝説を残す木曽八景の一つである寝覚の床は、木曽川の水流によって巨大な花崗岩が長い年月をかけて侵食されてできた自然の造形美。


寝覚集落の多勢屋と越前屋の間から木曽川へ向かう道が臨川寺参道。参道入口には門柱の礎石が残っている。
臨川寺は読んで字の如く木曽川を臨む寺。拝観料200円を払って境内に入り寝覚の床へ。




臨川寺境内にある弁才天堂。尾張藩四代藩主徳川吉通の命により、正徳2年(1712年)に完成。上松町内では現存する最も古い建築物。

臨川寺宝物館では浦島太郎が愛用したという釣竿や硯を展示。

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