暗闇の恐怖に耐えて
小野の滝から国道19号の中山道を700mほど南進し、国道を左の小径にそれると荻原集落に入る。集落入口には一里塚があった。集落を過ぎて国道に戻り、荻原沢を越えた先で再び国道を左に離れ、中央本線東側に残る旧中山道を歩む。串ヶ下と室戸の集落を経て、くるみ坂の野道を下り立町立場跡へ。

荻原の一理塚跡。街道両脇の塚上には榎が植えられていたが、今や塚も榎も現存しない。江戸日本橋から73里目(約287km)の一里塚。

荻原集落には立場茶屋が置かれていた。

荻原集落を過ぎると国道19号に合流し、コンクリートの護岸に固められた荻原沢を越える。

串ヶ下集落付近。中央本線東側を並進する旧中山道。
/

室戸集落には「木曽古道」の標識がある。民家の軒先を進む旧中山道。

くるみ坂を下り立町集落へ。

静かな町並みは夕闇の中に暮れゆく。立町集落はかつての立場。
18時を過ぎて空は急速に明るさを失っていく。ここから先、旧道の道筋を辿るのは困難となり、翌日倉本駅から旅を続行することにする。今日の宿泊先である須原へ向けて国道を行くのだが、街路灯がほとんどなく、月明かりもない国道はまさに暗闇。車のヘッドライトとわずかな携帯の明かりで足元を確認しながら歩く・・・。

19時、ほうほうの体で暗闇を脱出し須原駅へ。正直、この山中の暗闇の国道は怖かった。これからどんどん日は短くなる。時間には余裕を持って行動しなければならないと、良い教訓になった。何せ木曽の山中、国道とはいえども全く何も見えない真っ暗闇なのだから。

須原駅から木曽川の対岸に渡り「民宿いとせ」へ。早速、夕食をいただくことにする。冷えたビールが五臓六腑に染み渡り、ボリューム満点の食事は飢えた体を生き返らせる。ここで先日中山道を歩いている大学生の女の子が泊まりに来たという話を聞く。
なんでも一人で旅をしているようで、倉本辺りで私と同じように暗闇の国道に足止めされてしまい、倉本駅から須原駅まで電車を使ったようだ。しかしこの辺りの電車は2時間に1本くらいの運行、夜間の強行軍もままならないので、計画的に歩かないとにっちもさっちもいかなくなる。それにしても逞しい女性がいるもんだ。
【第25日目】踏破距離 約12.6km(上松宿→須原宿)日本橋から296.7km 京都まで237km
まだまだ先は長い・・

荻原の一理塚跡。街道両脇の塚上には榎が植えられていたが、今や塚も榎も現存しない。江戸日本橋から73里目(約287km)の一里塚。


荻原集落には立場茶屋が置かれていた。


荻原集落を過ぎると国道19号に合流し、コンクリートの護岸に固められた荻原沢を越える。

串ヶ下集落付近。中央本線東側を並進する旧中山道。
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室戸集落には「木曽古道」の標識がある。民家の軒先を進む旧中山道。

くるみ坂を下り立町集落へ。


静かな町並みは夕闇の中に暮れゆく。立町集落はかつての立場。
18時を過ぎて空は急速に明るさを失っていく。ここから先、旧道の道筋を辿るのは困難となり、翌日倉本駅から旅を続行することにする。今日の宿泊先である須原へ向けて国道を行くのだが、街路灯がほとんどなく、月明かりもない国道はまさに暗闇。車のヘッドライトとわずかな携帯の明かりで足元を確認しながら歩く・・・。

19時、ほうほうの体で暗闇を脱出し須原駅へ。正直、この山中の暗闇の国道は怖かった。これからどんどん日は短くなる。時間には余裕を持って行動しなければならないと、良い教訓になった。何せ木曽の山中、国道とはいえども全く何も見えない真っ暗闇なのだから。


須原駅から木曽川の対岸に渡り「民宿いとせ」へ。早速、夕食をいただくことにする。冷えたビールが五臓六腑に染み渡り、ボリューム満点の食事は飢えた体を生き返らせる。ここで先日中山道を歩いている大学生の女の子が泊まりに来たという話を聞く。
なんでも一人で旅をしているようで、倉本辺りで私と同じように暗闇の国道に足止めされてしまい、倉本駅から須原駅まで電車を使ったようだ。しかしこの辺りの電車は2時間に1本くらいの運行、夜間の強行軍もままならないので、計画的に歩かないとにっちもさっちもいかなくなる。それにしても逞しい女性がいるもんだ。
【第25日目】踏破距離 約12.6km(上松宿→須原宿)日本橋から296.7km 京都まで237km
まだまだ先は長い・・

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