大沢川越えの旧道
【第26日目】9月23日(日) 倉本→須原宿→野尻宿→十二兼
早めの朝食を取り、7時頃に「民宿いとせ」を出発。空は一面明るい雲で覆われているが、昨日と変わらず今日の天気も良さそうだ。朝の清々しい川風が吹く木曽川を渡り須原駅へ。7時27分発の松本行きに乗車し、隣の倉本駅で下車。線路を潜って倉本駅の裏側にまわり、線路に分断された旧道から中山道の旅を再開する。
倉本集落から庚申塚を過ぎ、蛇行しながら急坂を下って大沢川を渡河する。近年までこの渡河地点には丸木橋が架かっていたようだが、朽ち果ててしまったのか橋は無い。飛び石で渡るしかないのだが、ここで思わぬアクシデントが。

早朝の倉本駅を出発。さすがに自分以外に降りる人はいない。

倉本駅の裏側にまわり、線路に分断された旧道から中山道の旅を再開。写真は旧道の分断地点。

倉本集落にて。しまむーの「嶋」です♪

倉本集落の町並み。この辺りの民家は茶屋を営んでいた。

倉本の庚申塔。享保12年(1727年)の建立で、「除三戸之罪」と彫られている。庚申とは?ここにある案内板の説明文が絶妙なので紹介する。
「暦の上で六十日に一度めぐってくる庚申(かのえさる)の日に、その夜を眠らずに過して、長寿を願う信仰を庚申待(こうしんまち)といいます。人間の身中には、誰でも三戸九虫(さんしきゅうちゅう)が宿っていて、この虫は庚申の夜に人が寝た時、天へ上って天帝に、人間の罪過を告げて、人の生命を縮めるといいます。この虫の報告が五百条になると、その人は死ぬそうです。そこで庚申の日に、三戸の虫が寝ている時、天へ上らぬように、夜起きているわけです。」

蛇行しながら急坂を下り車道へ出る。

ガードレールの合間から藪の中へ入り大沢川へ。

大沢川の旧道渡河地点。近年まで丸木橋が架かっていたらしい。ま、これくらいの川なら問題なく渡河できるだろう・・・と安易に思ったのが運の尽き。ひょいひょいと石を飛びながら対岸へ向かうその時、ズルっと足を滑らせ転倒。左足大腿部を強打したうえに、ズボンはズブぬれ。何とか対岸へ渡るのだが、足に痛みを残す。

大沢川の流れ。

大沢川を渡河した先の道筋は不明。竹やぶを掻き分け急斜面を上り平地へ。

道なりに進み国道19号大沢橋の南側に出る。一歩を踏み出す度に左足が少々痛むが、旅を続けるには問題なさそうだ。
早めの朝食を取り、7時頃に「民宿いとせ」を出発。空は一面明るい雲で覆われているが、昨日と変わらず今日の天気も良さそうだ。朝の清々しい川風が吹く木曽川を渡り須原駅へ。7時27分発の松本行きに乗車し、隣の倉本駅で下車。線路を潜って倉本駅の裏側にまわり、線路に分断された旧道から中山道の旅を再開する。
倉本集落から庚申塚を過ぎ、蛇行しながら急坂を下って大沢川を渡河する。近年までこの渡河地点には丸木橋が架かっていたようだが、朽ち果ててしまったのか橋は無い。飛び石で渡るしかないのだが、ここで思わぬアクシデントが。

早朝の倉本駅を出発。さすがに自分以外に降りる人はいない。

倉本駅の裏側にまわり、線路に分断された旧道から中山道の旅を再開。写真は旧道の分断地点。

倉本集落にて。しまむーの「嶋」です♪

倉本集落の町並み。この辺りの民家は茶屋を営んでいた。

倉本の庚申塔。享保12年(1727年)の建立で、「除三戸之罪」と彫られている。庚申とは?ここにある案内板の説明文が絶妙なので紹介する。
「暦の上で六十日に一度めぐってくる庚申(かのえさる)の日に、その夜を眠らずに過して、長寿を願う信仰を庚申待(こうしんまち)といいます。人間の身中には、誰でも三戸九虫(さんしきゅうちゅう)が宿っていて、この虫は庚申の夜に人が寝た時、天へ上って天帝に、人間の罪過を告げて、人の生命を縮めるといいます。この虫の報告が五百条になると、その人は死ぬそうです。そこで庚申の日に、三戸の虫が寝ている時、天へ上らぬように、夜起きているわけです。」

蛇行しながら急坂を下り車道へ出る。


ガードレールの合間から藪の中へ入り大沢川へ。


大沢川の旧道渡河地点。近年まで丸木橋が架かっていたらしい。ま、これくらいの川なら問題なく渡河できるだろう・・・と安易に思ったのが運の尽き。ひょいひょいと石を飛びながら対岸へ向かうその時、ズルっと足を滑らせ転倒。左足大腿部を強打したうえに、ズボンはズブぬれ。何とか対岸へ渡るのだが、足に痛みを残す。

大沢川の流れ。


大沢川を渡河した先の道筋は不明。竹やぶを掻き分け急斜面を上り平地へ。

道なりに進み国道19号大沢橋の南側に出る。一歩を踏み出す度に左足が少々痛むが、旅を続けるには問題なさそうだ。

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