大宮銘菓・盆栽最中
参道から一の宮通りを歩き大宮宿に戻る。
三好屋という和菓子屋さんの店先に「大宮銘菓 盆栽最中」の貼り紙が目に留まる。(何で盆栽なんだろう。決してうまそうなネーミングじゃないよなぁ・・・)と疑問を抱えながら店内に入る。店のおばちゃんに「盆栽最中って、何で盆栽何ですか?」とくだらない質問。
おばちゃん曰く「大宮の盆栽村って有名でしょ。そこからついたんですよ。」
ふーん。大宮って盆栽が有名だったんだ。全然知らなかったので調べてみた。

明治末から大正にかけての時代、東京の文京区千駄木にある団子坂のあたりには、植木職人や盆栽師がたくさん住んでいた。大正12年(1923年)の関東大震災でこの辺りは甚大な被害を受け、これを機に盆栽の栽培に適した土地を求めて大宮に集団で移住した。大正14年(1925年)ここに大宮盆栽村が誕生し現在に至っている。
盆栽最中をひとつ食べてみる。うーん、何だか懐かしい餡の甘みと皮のさくさく感が実に和風な味わいだ。日本茶をすすりながら、優雅に食べたいお菓子である。
大宮宿を後にし、一路上尾宿へ向けて歩みを進める。
土手町の裏参道バス停先に2本の椎の木が生える。街道筋では名高い、「土手町の椎の木」である。現在は忘れ去られたようにひっそりと立っている。
東武野田線と高崎線の高架橋下をくぐり、延々と続く直線の県道を行く。

郵便局北交差点角にあるココスの駐車場出入口には安政7年(1860年)に建てられた道標が残る。ここから神奈川県伊勢原市の阿夫利神社へ続く大山道や東京都青梅市の御嶽山へ続く信仰の道が分かれていた。この辺りでは男子が15〜20歳になると、一人前の証として大山参りの旅にでたそうである。

さらに直線をひたすら先へ歩く。淡々とした県道の直線はきつい。どこまで行っても同じような風景に見えてくる。たまらず途中のコインランドリー「ピュア」にある飲料とたばこを売る自販機でコーヒーを買い、一服。ふと、道の反対側に目をやると、地蔵の石柱が車社会に疲れたかのように傾き建っていた。
東北・上越新幹線の高架橋手前左手には、小さな祠の中に元禄10年(1697年)に建てられた東大成の庚申塔が安置される。古くから春3月と秋の収穫後に、ここで庚申講が開催されていた。現在もその伝統を残すため、年1回の講を開いているとのことだ。
三好屋という和菓子屋さんの店先に「大宮銘菓 盆栽最中」の貼り紙が目に留まる。(何で盆栽なんだろう。決してうまそうなネーミングじゃないよなぁ・・・)と疑問を抱えながら店内に入る。店のおばちゃんに「盆栽最中って、何で盆栽何ですか?」とくだらない質問。
おばちゃん曰く「大宮の盆栽村って有名でしょ。そこからついたんですよ。」
ふーん。大宮って盆栽が有名だったんだ。全然知らなかったので調べてみた。

明治末から大正にかけての時代、東京の文京区千駄木にある団子坂のあたりには、植木職人や盆栽師がたくさん住んでいた。大正12年(1923年)の関東大震災でこの辺りは甚大な被害を受け、これを機に盆栽の栽培に適した土地を求めて大宮に集団で移住した。大正14年(1925年)ここに大宮盆栽村が誕生し現在に至っている。
盆栽最中をひとつ食べてみる。うーん、何だか懐かしい餡の甘みと皮のさくさく感が実に和風な味わいだ。日本茶をすすりながら、優雅に食べたいお菓子である。
大宮宿を後にし、一路上尾宿へ向けて歩みを進める。
土手町の裏参道バス停先に2本の椎の木が生える。街道筋では名高い、「土手町の椎の木」である。現在は忘れ去られたようにひっそりと立っている。
東武野田線と高崎線の高架橋下をくぐり、延々と続く直線の県道を行く。

郵便局北交差点角にあるココスの駐車場出入口には安政7年(1860年)に建てられた道標が残る。ここから神奈川県伊勢原市の阿夫利神社へ続く大山道や東京都青梅市の御嶽山へ続く信仰の道が分かれていた。この辺りでは男子が15〜20歳になると、一人前の証として大山参りの旅にでたそうである。

さらに直線をひたすら先へ歩く。淡々とした県道の直線はきつい。どこまで行っても同じような風景に見えてくる。たまらず途中のコインランドリー「ピュア」にある飲料とたばこを売る自販機でコーヒーを買い、一服。ふと、道の反対側に目をやると、地蔵の石柱が車社会に疲れたかのように傾き建っていた。
東北・上越新幹線の高架橋手前左手には、小さな祠の中に元禄10年(1697年)に建てられた東大成の庚申塔が安置される。古くから春3月と秋の収穫後に、ここで庚申講が開催されていた。現在もその伝統を残すため、年1回の講を開いているとのことだ。






