宮原の加茂神社
旧中山道は宮原駅前から高崎線に近づき、ともに平行して北上する。
「天神橋」バス停の傍らには天神橋と彫られた石の欄干が置かれている。用水路は暗渠となってしまい、これはその役目を終えた天神橋の遺物である。
ここからすぐ先には天神橋の名の由来となった天神社があり、学問の神様こと菅原道真を祀る。

天神社から300mほど歩みを進めると加茂神社である。
加茂神社の創建は不詳。しかし相当古いらしく、宝暦3年(1753年)、弘化2年(1845年)、文政10年(1827年)の文字が刻まれた石灯篭がある。文化7年(1810年)徳川幕府によって作られた新篇武蔵風土記稿にも「加茂社、加茂宮村の鎮守にして社辺に古杉数林あり、土地のさま旧社と見ゆれど勧請の年代詳かならず」とある。
京都上賀茂神社を勧請したと伝わり、別雷(わけいかづち)の神を祀る。別雷神はあらゆる災難を除く守護神で、五穀豊穣を祈願し加茂宮村の鎮守として崇められた。
英泉の浮世絵にも「木曾街道 上尾宿 加茂之社」として、ここが題材に描かれている。
京都上賀茂神社で催される競馬会神事(くらべうまえじんじ)を模したのであろう、本殿には「競(くら)べ馬」の見事な彫刻が施されている。
1889年(明治22年)この周辺一帯の加茂宮村、吉野原村、奈良瀬戸村、大谷別所村が合併し、加茂宮の宮と吉野原の原をとり宮原の名がついた。

新大宮バイパスの陸橋をくぐり、宮原小学校の横を進む。吉野町交差点を過ぎると右手には南方神社が鎮座する。南方神社は鹿児島県の諏訪大社系神社で多く見られる名で、なぜ埼玉のこの地に南方なのかは不明。地元では「お諏訪さま」と呼ばれている。
時計は既に15時半をまわり、さすがに腹も減りはじめる。
最近の強行軍がたたりはじめたのか、左ひざがにわかに痛み始める。その上だいぶ日も落ち始め、寒さが身にこたえ辛い。何でこんなことしてるんだろうと、自暴自棄にもなってくる。
(古いアルバムめくり ありがとうってつぶやいた・・・♪)
いつのまにか口ずさんでいる曲は「涙そうそう」。
きつくなってくると歌で気を紛らわせる習性があるらしい。
(・・・おもかげ探して よみがえる日は 涙そうそう♪)
もう涙が止まりません。
そんなこんなで上尾市に入る。バリュープラザという大きなショッピングモールの先が横浜ゴムの上尾配送センター。金網の向こうに3mはあると思われる巨大なタイヤが一際目をひく。
県道51号を横断し愛宕神社を過ぎると、上尾宿に到着である。

このとき膝痛と空腹は限界に達し、なかば半落ち状態でJR上尾駅にたどり着く。
駅前の東武ホテル2階にある田中屋というそば屋で、日替わりのネギトロ丼セットを注文。一心不乱にマグロとそばを腹に掻きこみ、17時半、ほうほうの体で帰路につく。
踏破距離約12.9km(浦和宿→上尾宿) 延距離37.9km 残り496km
まだまだ先は長い・・
「天神橋」バス停の傍らには天神橋と彫られた石の欄干が置かれている。用水路は暗渠となってしまい、これはその役目を終えた天神橋の遺物である。
ここからすぐ先には天神橋の名の由来となった天神社があり、学問の神様こと菅原道真を祀る。

天神社から300mほど歩みを進めると加茂神社である。
加茂神社の創建は不詳。しかし相当古いらしく、宝暦3年(1753年)、弘化2年(1845年)、文政10年(1827年)の文字が刻まれた石灯篭がある。文化7年(1810年)徳川幕府によって作られた新篇武蔵風土記稿にも「加茂社、加茂宮村の鎮守にして社辺に古杉数林あり、土地のさま旧社と見ゆれど勧請の年代詳かならず」とある。
京都上賀茂神社を勧請したと伝わり、別雷(わけいかづち)の神を祀る。別雷神はあらゆる災難を除く守護神で、五穀豊穣を祈願し加茂宮村の鎮守として崇められた。
英泉の浮世絵にも「木曾街道 上尾宿 加茂之社」として、ここが題材に描かれている。
京都上賀茂神社で催される競馬会神事(くらべうまえじんじ)を模したのであろう、本殿には「競(くら)べ馬」の見事な彫刻が施されている。
1889年(明治22年)この周辺一帯の加茂宮村、吉野原村、奈良瀬戸村、大谷別所村が合併し、加茂宮の宮と吉野原の原をとり宮原の名がついた。

新大宮バイパスの陸橋をくぐり、宮原小学校の横を進む。吉野町交差点を過ぎると右手には南方神社が鎮座する。南方神社は鹿児島県の諏訪大社系神社で多く見られる名で、なぜ埼玉のこの地に南方なのかは不明。地元では「お諏訪さま」と呼ばれている。
時計は既に15時半をまわり、さすがに腹も減りはじめる。
最近の強行軍がたたりはじめたのか、左ひざがにわかに痛み始める。その上だいぶ日も落ち始め、寒さが身にこたえ辛い。何でこんなことしてるんだろうと、自暴自棄にもなってくる。
(古いアルバムめくり ありがとうってつぶやいた・・・♪)
いつのまにか口ずさんでいる曲は「涙そうそう」。
きつくなってくると歌で気を紛らわせる習性があるらしい。
(・・・おもかげ探して よみがえる日は 涙そうそう♪)
もう涙が止まりません。
そんなこんなで上尾市に入る。バリュープラザという大きなショッピングモールの先が横浜ゴムの上尾配送センター。金網の向こうに3mはあると思われる巨大なタイヤが一際目をひく。
県道51号を横断し愛宕神社を過ぎると、上尾宿に到着である。

このとき膝痛と空腹は限界に達し、なかば半落ち状態でJR上尾駅にたどり着く。
駅前の東武ホテル2階にある田中屋というそば屋で、日替わりのネギトロ丼セットを注文。一心不乱にマグロとそばを腹に掻きこみ、17時半、ほうほうの体で帰路につく。
踏破距離約12.9km(浦和宿→上尾宿) 延距離37.9km 残り496km
まだまだ先は長い・・






