遊女お玉

上尾駅前から200m程進んだ左手の路地奥に遍照院という寺がある。
ここに上尾宿の遊女であった、お玉の墓がある。墓には「孝女お玉」の看板が掲げられ、今なおきれいな花が手向けられている。
お玉は越後で産まれ育ち、名を清という。家の貧しさを助けるため文政3年(1820年)に11歳の若さで上尾宿の大村楼に身を売る。14歳で初座敷をこなし、貧しい家族のために懸命に働いた。お玉は美しく気立ても良かったので上尾宿でも評判の遊女となった。
その後、参勤交代のお役目で上尾に寄った加賀前田家の小姓に見初められ、共に江戸に行く。2年ばかり江戸で過ごしたが不運にも悪病を患い、上尾に戻された。

病を患いながらも依然貧しい家のために働いたお玉であったが、その苦労も報われることなく25歳の若さでこの世を去った。
そんなお玉の孝心を哀れんで、大村楼の主人がここ遍照院に墓を建て厚く弔ったという。
この時代、一遊女のためにこれほど立派な墓を建てるのは稀なことで、たいがいの遊女は無縁仏となって、せいぜい小さな石塔に名前が残されるくらいであった。
墓には「廊室妙顔信女」の戒名が彫られ、大村楼の主人や同輩に愛されたお玉の人柄が偲ばれるのである。

上尾宿を後にし一路、桶川宿へ向かう。交通量の多い県道を進み、北上尾駅を越えると久保西交差点。この交差点の一角に古い板塀で囲われた重厚な屋敷がある。
武州紅花仲買問屋であった須田家である。見事な屋敷林の中に垣間見る白壁の土蔵は、紅花の産地として賑わった往時の様子を色濃く残す。
旧中山道を先に進む。車の往来が多い中、歩道は狭く歩きにくい。間もなく桶川市の標識が見えてくる。上尾宿から桶川宿までは約3.7kmと近い。
桶川市に入る。歩道は広くなり歩きやすい道となる。
富士見通りを横断し、右手に建つ「旧跡木戸跡」の石碑から先が桶川宿である。






