旧手賀野村
旧駒場村上宿からだらだらと坂道を下りはじめれば旧手賀野村の村域。手賀野は手金野とも表記される。坂道を下りきった所で会所沢橋という小さな橋を渡ると、旧道は上り坂へ反転。坂の上にあるコンビニのタイムリーの辺りが小石塚の立場跡である。ここから先が旧手金野村と旧千旦林村の村境だったのだが、約400m間の旧道は国道19号によって失われている。

上宿から坂道を下りきった所で会所沢橋(写真中央の家前)を渡る。何気に歩いていると見過ごしてしまうほど小さな橋であるが、かつては4.5m程の木橋が架けられ、近辺には終戦直後まで松並木が残っていたという。

会所沢橋から反転して上り坂を歩んでいくと、小石塚の立場跡に着く。今は茶屋に代わってコンビニタイムリーがある。ここいらで一服としましょうや。

小石塚の立場跡にある嵐讃岐の供養碑。嵐讃岐は木曽家の有力武将の一人で、千旦林に居を構えていた。供養碑は寛永3年(1626年)十三回忌の建立。

小石塚立場から先、400m間の旧道は中津川ICの開設による国道改良により失われた。

中津川インター付近の国道19号。旧道の失われた部分。踏切横を流れる千旦林川を渡るのだが、ここが旧手賀野村と旧千旦林村の村境だったと思われる。

上宿から坂道を下りきった所で会所沢橋(写真中央の家前)を渡る。何気に歩いていると見過ごしてしまうほど小さな橋であるが、かつては4.5m程の木橋が架けられ、近辺には終戦直後まで松並木が残っていたという。

会所沢橋から反転して上り坂を歩んでいくと、小石塚の立場跡に着く。今は茶屋に代わってコンビニタイムリーがある。ここいらで一服としましょうや。

小石塚の立場跡にある嵐讃岐の供養碑。嵐讃岐は木曽家の有力武将の一人で、千旦林に居を構えていた。供養碑は寛永3年(1626年)十三回忌の建立。

小石塚立場から先、400m間の旧道は中津川ICの開設による国道改良により失われた。

中津川インター付近の国道19号。旧道の失われた部分。踏切横を流れる千旦林川を渡るのだが、ここが旧手賀野村と旧千旦林村の村境だったと思われる。

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