旧茄子川村
坂本立場跡から先は旧茄子川村の村域となる。茄子川は中津川宿へ1里23町(約6.4km)、大井宿へは1里(約4km)の中間点に位置し、間の宿として発展した。ここから岩村城下を経て遠州秋葉山に通ずる秋葉道が分岐する。その分岐点に茶屋本陣を務めた篠原家があり、皇女和宮や明治天皇が御小休したという建物が現存している。また、江戸時代には茄子川焼とよばれる陶器も盛んに作られ、明治末期まで村の重要産業として続いた。

坂本立場跡。この先から茄子川の町へ向けて急傾斜の坂本坂を下る。

坂本立場跡にある馬の水飲池。暗闇の中、鬱蒼とした木々に囲まれた池はちょっと怖い。

茄子川の尾州白木改番所跡。こうして木曽路・美濃路を歩いていると、白木改番所がいたる所に設けられ、木曽材木の厳しい取締りがあったことを改めて実感させられる。

茄子川は中津川宿と大井宿の中間に位置し、間の宿として発展した。

暗くて何も見えないが、右手前の建物が茄子川小休所(茶屋本陣)・篠原家。17世紀の初め頃、加賀前田家の重臣篠原一孝の子、弥右衛門がここに移り住んだことに由来があるという。

茄子川の町を抜けると、緩やかな広久手坂の上り下り。

広久手坂を下りきった少し先が大井村と茄子川村の境だった。現在は「中山道 是より大井」の石碑が置かれている。

坂本立場跡。この先から茄子川の町へ向けて急傾斜の坂本坂を下る。

坂本立場跡にある馬の水飲池。暗闇の中、鬱蒼とした木々に囲まれた池はちょっと怖い。

茄子川の尾州白木改番所跡。こうして木曽路・美濃路を歩いていると、白木改番所がいたる所に設けられ、木曽材木の厳しい取締りがあったことを改めて実感させられる。

茄子川は中津川宿と大井宿の中間に位置し、間の宿として発展した。

暗くて何も見えないが、右手前の建物が茄子川小休所(茶屋本陣)・篠原家。17世紀の初め頃、加賀前田家の重臣篠原一孝の子、弥右衛門がここに移り住んだことに由来があるという。

茄子川の町を抜けると、緩やかな広久手坂の上り下り。

広久手坂を下りきった少し先が大井村と茄子川村の境だった。現在は「中山道 是より大井」の石碑が置かれている。

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