加納城址
【第35日目】2008年3月29日(土) 加納宿→河渡宿→美江寺宿
朝寝坊のため予定より出発が遅れる。手早く身支度を整え大急ぎで東京駅へ。例の如く東海道新幹線で名古屋へ向かい、何とか昼前に岐阜駅へ到着。何よりも気になる岐阜の天気は・・・晴れ!少々風は強いが気温も空模様もグーグー。このところ歩き旅の度に雨に降られ続けている自分にとって、これほど有難いことはない。加納宿東番所跡から中山道の旅を再開する。
関ケ原の合戦に勝利し天下の大勢をほぼ手中に収めた徳川家康は、戦略的意義を失った山城の岐阜城を廃し、豊臣家をはじめとする西国諸大名の抑えとして美濃国中山道の要衝に加納城を築いた。加納宿はそんな加納城の城下町として栄えた宿場である。加納宿を知るには何よりもまず加納城を訪ねねばなるまい。大手門跡から中山道を離れ加納城址へ。

加納宿東番所跡。加納城下には3つの番所が設けられ、出入りする人々を監視していた。

加納宿はさすがに城下町だけあって東側に枡形の曲り角が6つも設けられている。写真は江戸方宿場入口から3つ目と4つ目の枡形を撮影したもの。旧中山道は突き当たりの善徳寺を右折する。

加納宿・加納新町付近の町並み。

左写真は江戸方から5つ目の枡形付近の旧中山道。横断歩道から左折する。この枡形は岐阜道(御鮨街道)の分岐点でもあり、右写真の「左中山道 右ぎふ道」道標が置かれている。

清水川を広井橋で渡る。川辺に桜が満開に咲き誇り、水面に映える桜が美しい。

広井橋の袂に高札場が置かれていた。

加納城大手門跡付近の旧中山道。手前の横断歩道から右に曲がる道が旧中山道の道筋で、直進する道は大手門から加納城本丸へと続く道だった。大手門は中山道に面して建てられていたというから、横断歩道の下辺りにでーんと構えていたのだろう。

金華山の岐阜城を廃して築城された加納城は、中山道の要衝を抑えた本格的な城郭を持つ平城。岐阜城の建材や石垣を再利用して建てられたという。写真は本丸跡に残る石垣で、手前の広場は内堀(水堀)の跡である。

加納城は明治4年(1871年)廃藩置県により廃城、建物はすべて取り壊され堀も埋められた。現在、本丸跡は加納公園として整備されているが、土塁に囲まれた敷地は城郭の雰囲気を残している。

加納城大手門跡付近から岐阜城を遠望。美濃のマムシこと斎藤道三の居城(稲葉山城)だったが、後に織田信長が入城し岐阜城と名を改めた。
朝寝坊のため予定より出発が遅れる。手早く身支度を整え大急ぎで東京駅へ。例の如く東海道新幹線で名古屋へ向かい、何とか昼前に岐阜駅へ到着。何よりも気になる岐阜の天気は・・・晴れ!少々風は強いが気温も空模様もグーグー。このところ歩き旅の度に雨に降られ続けている自分にとって、これほど有難いことはない。加納宿東番所跡から中山道の旅を再開する。
関ケ原の合戦に勝利し天下の大勢をほぼ手中に収めた徳川家康は、戦略的意義を失った山城の岐阜城を廃し、豊臣家をはじめとする西国諸大名の抑えとして美濃国中山道の要衝に加納城を築いた。加納宿はそんな加納城の城下町として栄えた宿場である。加納宿を知るには何よりもまず加納城を訪ねねばなるまい。大手門跡から中山道を離れ加納城址へ。

加納宿東番所跡。加納城下には3つの番所が設けられ、出入りする人々を監視していた。

加納宿はさすがに城下町だけあって東側に枡形の曲り角が6つも設けられている。写真は江戸方宿場入口から3つ目と4つ目の枡形を撮影したもの。旧中山道は突き当たりの善徳寺を右折する。

加納宿・加納新町付近の町並み。

左写真は江戸方から5つ目の枡形付近の旧中山道。横断歩道から左折する。この枡形は岐阜道(御鮨街道)の分岐点でもあり、右写真の「左中山道 右ぎふ道」道標が置かれている。

清水川を広井橋で渡る。川辺に桜が満開に咲き誇り、水面に映える桜が美しい。

広井橋の袂に高札場が置かれていた。

加納城大手門跡付近の旧中山道。手前の横断歩道から右に曲がる道が旧中山道の道筋で、直進する道は大手門から加納城本丸へと続く道だった。大手門は中山道に面して建てられていたというから、横断歩道の下辺りにでーんと構えていたのだろう。

金華山の岐阜城を廃して築城された加納城は、中山道の要衝を抑えた本格的な城郭を持つ平城。岐阜城の建材や石垣を再利用して建てられたという。写真は本丸跡に残る石垣で、手前の広場は内堀(水堀)の跡である。

加納城は明治4年(1871年)廃藩置県により廃城、建物はすべて取り壊され堀も埋められた。現在、本丸跡は加納公園として整備されているが、土塁に囲まれた敷地は城郭の雰囲気を残している。

加納城大手門跡付近から岐阜城を遠望。美濃のマムシこと斎藤道三の居城(稲葉山城)だったが、後に織田信長が入城し岐阜城と名を改めた。





