美江寺城址
L字形の街道筋に家を連ねる美江寺宿。その2辺に囲まれるようにして美江寺城址がある。美江寺城は応仁・文明年間(1467〜1487年)頃、美濃守護土岐氏の家臣和田八郎が築いたと伝わる。以後和田氏の居城となるが、下克上の雄斎藤道三が美濃で台頭すると、天文11年(1542)和田氏は土岐頼芸と連合して斎藤氏に抗したが、時流には逆らえず城は灰塵に帰し滅亡。その後美江寺城は廃城となった。
現在の美江寺城址は中小学校の敷地となっており、遺構は何も残っていない。わずかにその跡地を示す小さな石垣のモニュメントと石碑、説明板があるだけだった。戦国期の早い段階で廃城となったため、江戸幕府が作成した分間延絵図を見ても城跡は草木と鳥居の記載が見られるくらいで、荒地か農耕地にでもなっていたようだ。中山道は城跡の北辺から北西角で折れ曲がり西辺を通っている。

美江寺城址に建つ中小学校。中世平城の遺構は全く残っていない。

そしてその中小学校の敷地内にある美江寺城址のモニュメント。かつてここに城があったというのがわかるだけで、その縄張りの様子等を知る術は無い。

美江寺宿を出でて。

千手観音に見送られて美江寺を後に。

新月橋で犀川を渡る。

犀川に沿って旧中山道は続く。河川敷には背の低い木が所狭しとたくさん植えられていた。何の木だろうかと地元の人に尋ねてみたところ富有柿と呼ばれる甘柿の木だという。全国で生産される甘柿の60%はこの富有柿という品種で、ここ瑞穂市はその発祥地で名産地。

新月の神明神社と旧中山道。現在この辺りは田之上という地区になっているが、昔は新月という村だったらしく、村の守り神として神明神社は尊崇されてきたという。

JAぎふ巣南支店の敷地に満開に咲いていた桜。春夏秋冬、日本の四季の移ろいは美しいなぁ・・・と、つくづく思う。

旧中山道は長護寺川に阻まれ、その先巣南中学校の敷地に消失。ここは県道の長護寺橋に迂回する。

長護寺川にて。
現在の美江寺城址は中小学校の敷地となっており、遺構は何も残っていない。わずかにその跡地を示す小さな石垣のモニュメントと石碑、説明板があるだけだった。戦国期の早い段階で廃城となったため、江戸幕府が作成した分間延絵図を見ても城跡は草木と鳥居の記載が見られるくらいで、荒地か農耕地にでもなっていたようだ。中山道は城跡の北辺から北西角で折れ曲がり西辺を通っている。

美江寺城址に建つ中小学校。中世平城の遺構は全く残っていない。

そしてその中小学校の敷地内にある美江寺城址のモニュメント。かつてここに城があったというのがわかるだけで、その縄張りの様子等を知る術は無い。

美江寺宿を出でて。

千手観音に見送られて美江寺を後に。

新月橋で犀川を渡る。

犀川に沿って旧中山道は続く。河川敷には背の低い木が所狭しとたくさん植えられていた。何の木だろうかと地元の人に尋ねてみたところ富有柿と呼ばれる甘柿の木だという。全国で生産される甘柿の60%はこの富有柿という品種で、ここ瑞穂市はその発祥地で名産地。

新月の神明神社と旧中山道。現在この辺りは田之上という地区になっているが、昔は新月という村だったらしく、村の守り神として神明神社は尊崇されてきたという。

JAぎふ巣南支店の敷地に満開に咲いていた桜。春夏秋冬、日本の四季の移ろいは美しいなぁ・・・と、つくづく思う。

旧中山道は長護寺川に阻まれ、その先巣南中学校の敷地に消失。ここは県道の長護寺橋に迂回する。

長護寺川にて。





