武佐宿
第42日目(2008/8/4) 武佐宿→守山宿
朝8時、ビジネスホテル シェルを出発。今回の旅が中山道中で最も過酷な歩き旅になるとは夢にも思わず、今日も暑くなりそうだなぁ・・・と、見事に青く染まった空を眺めながら軽快な足取りで武佐宿へ。しかし、この日はその道中に500mlペットボトルを7本も消費するという猛烈な暑さに見舞われ、草津宿まで歩く予定だったのが、結局途中の守山宿でリタイアするという悲しい結末に。ひとつ間違えば熱中症でぶっ倒れてもおかしくないぐらいに疲労困憊を極めた。炎天下の近江路をなめていたとしか言いようがない。
近江商人の町として賑わった八幡の隣町で、その八幡と東海道の桑名を結ぶ八風街道と中山道の交差点に武佐宿はある。そういった場所柄、多くの近江商人が行き交った宿場町であることは容易に想像できるが、近世に商業都市として発展した八幡(現近江八幡市)に比べると、現在の武佐はいかにも地味で静かな町である。しかし往時は人や物資の集散地として、また近郊に観音正寺、長命寺の観音霊場があり、商人や参詣客の往来も頻繁で武佐宿は賑わった。
宿名の由来である武佐寺は太平記に登場するほどの著名な寺院だったようだが、現在は存在しておらず、武佐宿南側にある長光寺(宿内の広済寺とも)の前身が武佐寺ともいわれる。武佐宿はその武佐寺の門前町として町を形成しつつ、江戸時代に中山道沿道に家々が集められ宿場町としての体裁を整えた。武佐宿の天保14年(1843年)当時の宿長さ東西8町24間(約916m)、人口537人、家数183軒、本陣1、脇本陣1、旅籠23軒。本陣が下川家、脇本陣は奥村家が務め、2軒の問屋場が置かれた。

武佐宿の朝。宿場東入口付近の町並み。

武佐宿東の入口に鎮座する牟佐神社。かつては神社前の街道筋に高札場が置かれた。

明治11年(1878年)明治天皇御巡幸の際、行在所となった広済寺。かつての武佐寺ともいわれる。

武佐宿脇本陣跡の敷地は武佐町会館となっている。冠木門のモニュメントが置かれ往時を偲ぶ。

今は行き交う人も少なく、静かに時間が流れる武佐宿。

武佐宿には往時を偲ばせる町並みが残る。

かつての旅籠・中村屋は今も料理旅館として健在。

武佐宿本陣跡・下川家。宿場当時の本陣門と土蔵が現存する。

旧中山道と八風街道の分岐点に残る道標。「いせ みな口 ひの 八日市 道」と刻まれている。

西の高札場跡付近を行く旧中山道。

旧中山道は武佐駅前を通り近江鉄道八日市線を渡る。

武佐宿の西外れにある伊庭貞剛邸跡。近年屋敷は解体され楠の巨木だけが残されている。伊庭貞剛はここ蒲生郡西宿(現近江八幡市西宿)の出身で明治期の実業家。日本人の誰もが知る巨大財閥・住友の第二代総理事。別子銅山煙害事件の紛争解決にあたり、環境復元に心血を注いだ。
朝8時、ビジネスホテル シェルを出発。今回の旅が中山道中で最も過酷な歩き旅になるとは夢にも思わず、今日も暑くなりそうだなぁ・・・と、見事に青く染まった空を眺めながら軽快な足取りで武佐宿へ。しかし、この日はその道中に500mlペットボトルを7本も消費するという猛烈な暑さに見舞われ、草津宿まで歩く予定だったのが、結局途中の守山宿でリタイアするという悲しい結末に。ひとつ間違えば熱中症でぶっ倒れてもおかしくないぐらいに疲労困憊を極めた。炎天下の近江路をなめていたとしか言いようがない。
近江商人の町として賑わった八幡の隣町で、その八幡と東海道の桑名を結ぶ八風街道と中山道の交差点に武佐宿はある。そういった場所柄、多くの近江商人が行き交った宿場町であることは容易に想像できるが、近世に商業都市として発展した八幡(現近江八幡市)に比べると、現在の武佐はいかにも地味で静かな町である。しかし往時は人や物資の集散地として、また近郊に観音正寺、長命寺の観音霊場があり、商人や参詣客の往来も頻繁で武佐宿は賑わった。
宿名の由来である武佐寺は太平記に登場するほどの著名な寺院だったようだが、現在は存在しておらず、武佐宿南側にある長光寺(宿内の広済寺とも)の前身が武佐寺ともいわれる。武佐宿はその武佐寺の門前町として町を形成しつつ、江戸時代に中山道沿道に家々が集められ宿場町としての体裁を整えた。武佐宿の天保14年(1843年)当時の宿長さ東西8町24間(約916m)、人口537人、家数183軒、本陣1、脇本陣1、旅籠23軒。本陣が下川家、脇本陣は奥村家が務め、2軒の問屋場が置かれた。

武佐宿の朝。宿場東入口付近の町並み。

武佐宿東の入口に鎮座する牟佐神社。かつては神社前の街道筋に高札場が置かれた。

明治11年(1878年)明治天皇御巡幸の際、行在所となった広済寺。かつての武佐寺ともいわれる。

武佐宿脇本陣跡の敷地は武佐町会館となっている。冠木門のモニュメントが置かれ往時を偲ぶ。

今は行き交う人も少なく、静かに時間が流れる武佐宿。

武佐宿には往時を偲ばせる町並みが残る。

かつての旅籠・中村屋は今も料理旅館として健在。

武佐宿本陣跡・下川家。宿場当時の本陣門と土蔵が現存する。

旧中山道と八風街道の分岐点に残る道標。「いせ みな口 ひの 八日市 道」と刻まれている。

西の高札場跡付近を行く旧中山道。

旧中山道は武佐駅前を通り近江鉄道八日市線を渡る。

武佐宿の西外れにある伊庭貞剛邸跡。近年屋敷は解体され楠の巨木だけが残されている。伊庭貞剛はここ蒲生郡西宿(現近江八幡市西宿)の出身で明治期の実業家。日本人の誰もが知る巨大財閥・住友の第二代総理事。別子銅山煙害事件の紛争解決にあたり、環境復元に心血を注いだ。





