月輪池と大萱一里塚跡
草津市を過ぎて大垣市へ入った旧東海道は、美しい月輪池の畔に茶屋が軒を連ねていたのであろう月輪立場跡(現大津市月輪)から、一里塚の築かれていた大萱(現大津市一里山)へ向かう。そこから大江、神領といった地区を通り抜ければ、いよいよ日本三名橋の一つ、瀬田の唐橋を渡る。

月輪を行く旧東海道。江戸時代以前、月輪辺りは原野だったが、開墾が進められて延宝4年(1676年)に大萱新田となり、東海道沿道には立場が置かれた。明治7年(1874年)当地にある月輪池を名の由来として月輪村と改称された。

月輪の地名の由来となった月輪池。説明板によると『この池に映った美しい月の姿から名づけられたとも、月輪殿苦情兼実の庄園内にあったからとも言われている。』とのこと。

一里山を行く旧東海道。

大萱一里塚跡(大津市一里山)。遺構は全く残っていないが、ここにあった一里塚が現在の地名の由来になった。

頭上には秋の夕暮れらしい空が広がる。

大江を行く旧東海道。先に見える山の向こうは京の都だ。

夕暮れの迫る大江にて。

旧東海道は神領から瀬田の唐橋へ向かう。神領には日本武尊を祭神に祀る近江一の宮・建部大社(たけべたいしゃ)があり、これが地名の由来になっているのだろう。

月輪を行く旧東海道。江戸時代以前、月輪辺りは原野だったが、開墾が進められて延宝4年(1676年)に大萱新田となり、東海道沿道には立場が置かれた。明治7年(1874年)当地にある月輪池を名の由来として月輪村と改称された。

月輪の地名の由来となった月輪池。説明板によると『この池に映った美しい月の姿から名づけられたとも、月輪殿苦情兼実の庄園内にあったからとも言われている。』とのこと。

一里山を行く旧東海道。

大萱一里塚跡(大津市一里山)。遺構は全く残っていないが、ここにあった一里塚が現在の地名の由来になった。

頭上には秋の夕暮れらしい空が広がる。

大江を行く旧東海道。先に見える山の向こうは京の都だ。

夕暮れの迫る大江にて。

旧東海道は神領から瀬田の唐橋へ向かう。神領には日本武尊を祭神に祀る近江一の宮・建部大社(たけべたいしゃ)があり、これが地名の由来になっているのだろう。

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