幸手宿

【2009年7月25日(土) 旧日光街道 幸手宿】
日光街道・奥州街道の第六宿となる幸手宿。宿場外れの南側道中で日光街道と日光御成道が合流し、更に宿場を挟んだ北側の道中で筑波道が分岐する交通の要衝として発展してきた。宿場付近の権現堂河岸には江戸舟運の廻船問屋が軒を連ね、物流の中継地として多くの人や物が往来し、宿場は大いに賑わったのだろう。天保14年(1843年)当時の幸手宿は宿長さ南北9町45間(約1km)、人口3937人、家数962軒、本陣1、脇本陣1、旅籠27軒。両隣の杉戸宿や栗橋宿と比較すると、2倍以上の宿場規模を誇っていたことがわかる。

”幸手”と書いて”さって”と読むのだが、地名の由来について少しだけ。縄文・弥生時代の埼玉県南東部は古東京湾の入り江が大きく入り込んだ地形で、海抜の低い幸手辺りの大分部は海だったわけである。そこに”薩手が島”と呼ばれる島があり、日本武尊が東征の折に上陸し、田宮の雷電神社(幸手市中4丁目)に建御雷の神を祀ったと伝わっている。”幸手”の地名はこの”薩手”に由来があるとされるのだが、いつから”幸手”の文字が使われるようになったのかは定かでない。


倉松川と志手橋
倉松川を志手橋で越えて幸手宿内へ。


神明神社とたにし不動尊
幸手宿の南側入口に鎮座する神明神社。境内に菅谷不動尊こと、通称田螺(たにし)不動尊が安置されている。たにしの描かれた絵馬を奉納すると眼病が治るというご利益があるとされる。


幸手宿南側の町並み
幸手宿南側(旧 右馬之助町)の町並み。


幸手宿にて
幸手駅入口交差点付近にある商家風の古建築。以前は何らかの店を営んでいたようだが、今は営業をしている感じではない。幸手宿を偲ばせる数少ない佇まい、願わくは取り壊しなんてことにならないでほしい。


幸手宿・幸手駅入口交差点 明治天皇行在所説明板
幸手駅入口交差点とその角にある明治天皇行在所説明板。この説明板(台と屋根部分は復元)は昭和10年(1935年)文部省によって設置されたもで、文字は全く読み取れなくなっているが、近年に幸手市教育委員会によって設置された説明板に内容が記されている。「明治十四年山形秋田両縣及北海道巡幸の際七月三十一日 同御還幸の砌 十月十日行在所となり・・・云々」


陣屋稲荷
幸手駅入口交差点を左折して駅方向へ行くと、陣屋稲荷(別名を一色稲荷という)が鎮座している。幸手駅付近一帯は古河公方足利氏の家臣一色氏が館を構えた跡といわれ、陣屋稲荷は一色氏の守護神として祀られた氏神と伝わる。


幸手宿
中1丁目・中2丁目の幸手宿町並み。左に見える”旅館あさよろず”は文政2年(1819)創業というから、旅籠の時代から旅館業を続ける老舗旅館。しかしながら、建物がリニューアルされてその長い歴史を感じさせないのは残念だが、裏門に江戸時代から続く面影を留めている。


旅館あさよろずの裏門
これが”旅館あさよろず”の裏門。旅籠だった時代を偲ばせる佇まい。


幸手宿問屋場跡
中央商店街ポケットパークの敷地が問屋場跡。日光道中各宿場の問屋場は人足25人・馬25頭の常駐が義務づけられていた。ちなみに中山道は人足50人・馬50頭、東海道が人足100人・馬100頭が常備されていたというから、問屋場役のその労苦たるや並大抵のものではなかったのだろう。


幸手宿本陣跡
写真左、文房具屋の隣が幸手宿本陣知久家跡。現在は”割烹蒲焼 義語家”という和食屋になっている。知久家は幸手宿の本陣・問屋・名主という三役を務めた家柄で、明治初期に宿駅制が廃止されるまで代々本陣を務めた。


関薬局
関薬局本店。現代的な外壁の裏に商家だった宿場時代の面影が見え隠れしている。


幸手宿・荒宿
幸手宿の北側、荒宿の町並み。


聖福寺
日光社参で往来する歴代将軍や例幣使(天皇が祭礼時に遣わせる使者)の休憩地として利用された聖福寺。勅使門は約350年前に建てられたもので、将軍や例幣使の来訪時にしか開かれなかった。


幸手一里塚跡
幸手宿内を貫いてきた旧日光街道は、正福寺参道前から右折して左折という宿場の出入口らしい枡形の道筋を辿る。ここに江戸日本橋から12里目(約47km)の幸手一里塚が築かれていた。遺構は存在せず、説明板が跡地に立てられている。


FC2ブログランキング
関連記事
スポンサーサイト

テーマ : 街道の旅
ジャンル : 旅行

コメントの投稿

非公開コメント

No title

しまむーさん、こんばんは。昨日、日光街道の杉戸から幸手を通り栗橋まで、より道を含めて19キロ歩いてきました。夏の日差しが強く暑い日でした。ただ、湿度がそれほど高くなく、ムッとした暑さではなかった。
梅雨明け後だったらすごい暑さになっていることでしょう。
歩行の前半は国道をひたすら歩きましたが、後半は田んぼの脇を歩くことが多かった。稲の香りがする中を歩きました。やっといい雰囲気になってきました。杉戸で立ち寄った宝性寺の住職さんも「これから先がいい雰囲気になる」とおっしゃっていました。
昼食はこのページに載っている「義語家」で鰻を食べました。とても美味しい鰻でした。
しまむーさんは、もしかしてこの週末に会津西街道に出発したのかな。水戸街道のブログもほぼ書き終えたみたいだし。

No title

宇田川さん、こんばんは。
着々と日光街道を北進中のようですね。梅雨が明ければ体力勝負の季節、お互いに北を目指して頑張り…いや、楽しみましょう!幸手宿本陣跡の義語家で鰻だなんて、贅沢だなあ…羨ましい。道中の食べ歩きも街道歩きの醍醐味ですしね。

私の方といえば、ご察知の通り、この前の日曜日に今市宿から会津西街道の歩き旅をスタートしました。天気はぐずついていたんですが、大桑宿までは杉並木の街道を歩けて結構楽しめました。ただ、最近右膝を痛めまして、あまり長距離を歩けない状態です。情けない話ですが…。初日のゴールとなった高徳宿に着いた頃には、痛みがひどくなって右足を引きずりながら歩くという有様でした。しばらくは距離を短めにして、右膝に過度の負担がかからないよう少しずつ北進して行きます。

3枚目4枚目の商店建築。

 この3枚目・4枚目に出てくる商店建築ですが、地図との照合では「岸本家住宅主屋」として文化庁登録有形文化財となっている建物のようです。
 ま、歌舞伎座の例を見るまでもなく「登録有形文化財」というのは必ずしも長らく保存されることが確約されるカテゴリではないのですが、所有者が登録申請をするものである以上、それなりに保存する意思があるのではないかという気がします。

No title

猫が好き♪さん。
岸本家住宅主屋についてですが、ある方から以前にメール経由で情報を頂きました。岸本家は醤油醸造業を営んだ商家で、この主屋は江戸末期の建築とのこと。国の登録有形文化財に指定され、現在再生工事の最中にあるようです。再生工事を手がけている”和田工芸”のホームページ内にある”よみがえれ!江戸の宿場町。”のコンテンツに工事の様子が紹介されており、非常に興味深い内容ですので是非見てみてください↓
http://www.wadakogei.co.jp/index.html

うおー・・・こ、これは・・・。

 拝見いたしました。いやあ・・・すげえ気合いはいっているなあ。いくらかかったんだろうなあ。最近やってる仕事がローコスト木造住宅の宣伝仕事ばかりなので、こういうの見ると嫉妬に駆られます(=^_^;=)。これだけ手間暇お金をかけたら絶対に残してもらえるだろうと思うと、ちょっとほっとしました。
 文化財登録もまあいろいろで、登録有形文化財って「所有者が箔付けのために申請するもの」という位置づけなもので、けっこう温度差があるんですよね。町をあげて数を稼いでいるところとかもあるし。でも、制度としてもこういう使い方をされるなら本望なんじゃないだろうか、なんてふと思ったりしました。
 ご教示、どうもありがとうございます。

No title

猫が好き♪さん、こんにちは。
和田工芸ホームページ内の岸本家住宅主屋再生の様子は、非常に丁寧に解説されており、写真だけでも見ごたえがあり、曳き家ってこうやってやるんだあ、などと大変興味深く見ていました。相当お金もかかっていることもうががえます。幸手宿には宿場時代の商家建築でまともに残っていたのは岸本家住宅ぐらいだったので、町をあげて保存する機運になったのでしょう。喜ばしいことです。機会を作ってまた訪れたいですね。

幸手宿、行ってきましただよ。

 いやあ暑いっすねえ。あまりに暑くてだるいもので、暑いのか体が衰えているのかを確かめようと思って、発作的に杉戸と幸手に行ってきました。間は歩かず、宿場町エリアのみ。いやあ、だいぶ衰えているらしい(=^_^;=)。さて。

 岸本家住宅主屋、キレイキレイになってました。あまりにキレイキレイになっていて、なんかこう、新築のちょっとオッシャレーなお店かなんかですか、みたいな感じで。なんでそんな感じがしちゃってるかなあと思って写真を見ながらしばらく考えたんですが、窓と扉のせいですね。ウッドサッシではあるんだけど大きな一枚ガラスがはいった窓と扉になっていました。大きなガラスを使っちゃうと古くは見えないよなー、みたいな。
 古建築って、実用性という意味ではいたしかたないんだけどアルミサッシ化される事例とかも多くて、こういうのもたいてい大きなガラスになってしまう。ダミーの桟でいいから小面積ガラスや障子風のサッシとかにできないものかなあ、なんて思うことが多いんですけどね。まあぜいたくな文句言いですし、なんかそうはしにくい事情というのがあるのでしょう(=^_^;=)。

 旅館あさよろずの裏門も見てくるつもりでいたのですが、どこから裏に回ればいいのかがわからず、暑かったものであきらめてしまいました。体力が衰えると気力も衰えるらしいのでした(=^_^;=)。

 ではでは。

No title

猫が好き♪さん、こんばんは。
台風6号のおかげで涼しくなり、関東から離れていく台風を愛おしく思っている今日この頃です。私も最近のうだるような暑さにはすっかり気が滅入り、5月末から歩き旅には行っておりません。次は楽しみにしていた大内宿だというのに…。再開する予定は正直未定です。

幸手宿の岸本家住宅主屋はすっかり綺麗になってましたか。へぇ
ー。私がここを訪れたのがちょうど2年前、以来幸手には行っていないので、何か行く理由をつけて、生まれ変わった岸本家住宅主屋をこの目で確かめたいですね。ちなみに、あさよろず旅館の裏門は、旅館裏手の一般道からアクセスできますよ。
プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
千葉県在住。

Flashカレンダー
現在の行程

東海道 東海道を歩いてます。


1日目(2013/5/19)三条大橋→大津宿 MAP
2日目(2013/7/13)大津宿→草津宿 MAP
3日目(2013/7/14)草津宿→石部宿 MAP
4日目(2013/8/3)石部宿→水口宿 MAP
5日目(2013/8/4)水口宿→土山宿 MAP
6日目(2013/10/13)土山宿→坂下宿→関宿 MAP
7日目(2014/3/9)関宿→亀山宿→庄野宿 MAP
8日目(2014/5/3)庄野宿→石薬師宿→四日市宿 MAP
9日目(2014/5/4)四日市宿→桑名宿→七里の渡し跡 MAP
10日目(2014/6/8)七里の渡し跡→宮宿→鳴海宿 MAP
11日目(2014/11/2)鳴海宿→池鯉鮒宿 MAP
12日目(2015/4/4)池鯉鮒宿→岡崎宿 MAP
13日目(2015/5/23)岡崎宿→藤川宿 MAP
14日目(2015/7/19)藤川宿→赤坂宿→御油宿 MAP
15日目(2015/9/22)御油宿→吉田宿 MAP
16日目(2015/11/29)吉田宿→二川宿 MAP
17日目(2016/2/20)二川宿→白須賀宿→新居宿 MAP
18日目(2016/4/3)新居宿→舞坂宿→浜松宿 MAP
19日目(2016/5/6)浜松宿→見付宿 MAP
20日目(2016/5/7)見付宿→袋井宿 MAP
21日目(2016/6/25)袋井宿→掛川宿 MAP
22日目(2016/7/17)掛川宿→日坂宿→金谷宿 MAP
23日目(2016/10/8)金谷宿→島田宿 MAP

高札場
【川越街道 旅の報告】
2013年1月13日(日)
武蔵国板橋宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、川越城本丸御殿に到着しました!
川越時の鐘
【成田街道 旅の報告】
2012年7月8日(日)
下総国新宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、成田山新勝寺・寺台宿に到着しました!
新勝寺大本堂と三重塔
【会津西街道街道 旅の報告】 2012年1月22日(水)
下野国今市宿を発ってから…
約1年6ヶ月の月日をかけて、
会津鶴ヶ城に到着しました!
鶴ヶ城
【 水戸街道 旅の報告 】 2010年5月5日(水)
武蔵国千住宿を発ってから…
約3ヶ月の月日をかけて、
水戸の銷魂橋に到着しました!
水戸弘道館
【 日光街道 旅の報告 】 2010年1月10日(日)
江戸日本橋を発ってから…
8ヶ月の月日をかけて、
東照大権現が鎮座される
日光東照宮に到着しました!
日光東照宮陽明門
【 中山道 旅の報告 】
2008年10月13日(月)
江戸日本橋を発ってから…
1年10ヶ月もの月日をかけて、 ついに京都三条大橋に到着しました!
京都三条大橋

応援のコメントありがとうございました。(^人^)感謝♪
最近の記事
カテゴリー
最近のコメント
データ取得中...
最近のトラックバック
月別アーカイブ
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

お気に入りブログ
ブログ内検索
RSSフィード
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
QRコード
QRコード
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

FC2カウンター