中田の松原
【2009年7月25日(土) 旧日光街道 中田宿→古河宿 道中】
中田の町を歩いているところで日没を迎え、月夜の中の逃避行といった様相で古河宿へ向かう。中田宿と古河宿間には中田の松原と呼ばれた松並木が約4kmに渡って続き、その途中の茶屋新田には立場が置かれていた。美しい松並木の中に佇む茶屋、実に絵になるではないか。しかし、この松並木も権現堂堤の桜並木と同様、戦時中の燃料不足を補うため、全て伐採されてしまった。そう、松から取れる燃料とは松根油のことで、戦時中の窮乏ぶりを語る代名詞のような質の悪い燃料である。
中田の松原は近年になってようやく再生に着手されたようで、松並木と呼ぶにはまだまだ頼りない若い松が植えられその成長を待っている。ここは往時の様子を見てきた先人達の言葉を借りて紹介することにする。
『是より古河迄壱里半の道にて、仙台道中第一のきれひなる並木の道なり。なかに壱葉の松あり。虫歯の薬とやらにて、よく人のひろふ松葉なり。武田主殿などと大話しいたし、いさみ来る松原中より、古河の城櫓をながめ、且富士山も時により雲表にあらわれ、景色のよき所なり。』清河八郎著「西遊草」より

中田踏切を越えた先から茶屋新田へ入り、松並木の道となる。

中田の松原を行く県道原中田線。松並木と呼ぶにはまだ早い。失うのは一瞬のことであるが、それを再生するには途方も無い時間と労力がかかるのだ。10年後、いや20年後に中田の松原は復活しているのだろうか。

トワイライトに暮れゆく西の空に、三日月が小さく灯る。昔は月の明かりが貴重な照明だったのだろうが、今は自販機の方がよっぽど明るい。

茶屋新田から鴻巣、原町を一気に歩いて古河宿へ。

古河駅付近にて。ちょうどこの日は”古河夏の神輿まつり”が行われており、大小様々な神輿が行進し、多くの見物客で賑わっていた。
【旧日光街道 第3日目】踏破距離 約22.2km(杉戸宿→幸手宿→栗橋宿→中田宿→古河宿)
日本橋から約66km 日光まで約82km
まだまだ遠いのお・・
中田の町を歩いているところで日没を迎え、月夜の中の逃避行といった様相で古河宿へ向かう。中田宿と古河宿間には中田の松原と呼ばれた松並木が約4kmに渡って続き、その途中の茶屋新田には立場が置かれていた。美しい松並木の中に佇む茶屋、実に絵になるではないか。しかし、この松並木も権現堂堤の桜並木と同様、戦時中の燃料不足を補うため、全て伐採されてしまった。そう、松から取れる燃料とは松根油のことで、戦時中の窮乏ぶりを語る代名詞のような質の悪い燃料である。
中田の松原は近年になってようやく再生に着手されたようで、松並木と呼ぶにはまだまだ頼りない若い松が植えられその成長を待っている。ここは往時の様子を見てきた先人達の言葉を借りて紹介することにする。
『是より古河迄壱里半の道にて、仙台道中第一のきれひなる並木の道なり。なかに壱葉の松あり。虫歯の薬とやらにて、よく人のひろふ松葉なり。武田主殿などと大話しいたし、いさみ来る松原中より、古河の城櫓をながめ、且富士山も時により雲表にあらわれ、景色のよき所なり。』清河八郎著「西遊草」より

中田踏切を越えた先から茶屋新田へ入り、松並木の道となる。

中田の松原を行く県道原中田線。松並木と呼ぶにはまだ早い。失うのは一瞬のことであるが、それを再生するには途方も無い時間と労力がかかるのだ。10年後、いや20年後に中田の松原は復活しているのだろうか。

トワイライトに暮れゆく西の空に、三日月が小さく灯る。昔は月の明かりが貴重な照明だったのだろうが、今は自販機の方がよっぽど明るい。


茶屋新田から鴻巣、原町を一気に歩いて古河宿へ。

古河駅付近にて。ちょうどこの日は”古河夏の神輿まつり”が行われており、大小様々な神輿が行進し、多くの見物客で賑わっていた。
【旧日光街道 第3日目】踏破距離 約22.2km(杉戸宿→幸手宿→栗橋宿→中田宿→古河宿)
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