失われた日光街道 羽川
【2009年10月4日(日) 旧日光街道 新田宿→小金井宿 道中】
新田宿を抜けた先からの日光街道旧道は銅市金属工業(ドーイチ)の敷地内から国道4号西側に200m程の道筋を残しているが、その先は小山市と下野市の境界付近まで消失しており辿ることはできない。”うおとみ”というスーパーの裏手から旧道の道筋が出現し、小金井一里塚へと向かう。下図[A]地点に石仏群が旧道筋に向かって並んでおり、旧道入口の目印となっている。


[A]地点から小金井宿方面の旧道を望む。ドーイチの倉庫前が旧道であり、写真左に見える”通学路徐行”の看板裏に石仏が倉庫に向かって並んでいる。つまり倉庫側が旧道であることを示している。

ドーイチの倉庫裏に並ぶ石仏群。左写真の中央に見える青面金剛塔には新田宿下組講中と刻まれており、新田宿が存在していたことを今に伝える数少ない語り部だろう。理由はわからないが、右写真の観世音石塔だけが小堂に納められている。

ドーイチ倉庫前の砂利道を進むと”通り抜けできません”の立て看板が…。一瞬立ち止まったが、道は続いているので先へ。

[B]地点から小金井宿方面の旧道を望む。この先も道が続いているが、通り抜けられないようなので右折して並行する国道4号を歩くのが無難。

左写真は[C]地点から新田宿方面、右写真が小金井宿方面の旧道跡を望んでいる。道筋が残ってはいるが、道としての役割は果たしていない。

[D]地点から新田宿方面の旧道を望む。僅かに旧道が残っているのを確認できる。

[D]地点から先は舗装道となって小金井宿方面へ続いている。若寿司の先で小山市羽川から下野市川中子へと行政区域が変わる。
新田宿を抜けた先からの日光街道旧道は銅市金属工業(ドーイチ)の敷地内から国道4号西側に200m程の道筋を残しているが、その先は小山市と下野市の境界付近まで消失しており辿ることはできない。”うおとみ”というスーパーの裏手から旧道の道筋が出現し、小金井一里塚へと向かう。下図[A]地点に石仏群が旧道筋に向かって並んでおり、旧道入口の目印となっている。


[A]地点から小金井宿方面の旧道を望む。ドーイチの倉庫前が旧道であり、写真左に見える”通学路徐行”の看板裏に石仏が倉庫に向かって並んでいる。つまり倉庫側が旧道であることを示している。


ドーイチの倉庫裏に並ぶ石仏群。左写真の中央に見える青面金剛塔には新田宿下組講中と刻まれており、新田宿が存在していたことを今に伝える数少ない語り部だろう。理由はわからないが、右写真の観世音石塔だけが小堂に納められている。

ドーイチ倉庫前の砂利道を進むと”通り抜けできません”の立て看板が…。一瞬立ち止まったが、道は続いているので先へ。

[B]地点から小金井宿方面の旧道を望む。この先も道が続いているが、通り抜けられないようなので右折して並行する国道4号を歩くのが無難。


左写真は[C]地点から新田宿方面、右写真が小金井宿方面の旧道跡を望んでいる。道筋が残ってはいるが、道としての役割は果たしていない。

[D]地点から新田宿方面の旧道を望む。僅かに旧道が残っているのを確認できる。

[D]地点から先は舗装道となって小金井宿方面へ続いている。若寿司の先で小山市羽川から下野市川中子へと行政区域が変わる。

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