海老王子
【2009年11月7日(土) 旧日光街道 徳次郎宿→大沢宿】
徳次郎宿を出るとすぐに石那田一里塚があり、再び桜に楓、ツツジが雑じる並木道を歩くことになる。しかし、次の大沢宿へ向かう道中でマジックアワーを迎え、みるみるうちに周辺の山々は色を失い、街道は徐々に暗闇の中へ閉ざされていく。晩秋のこの時期はさすがに日没も早い。道路灯もほとんどなく歩行困難な状況に陥り、車のヘッドライトを頼りに山口バス停までたどり着いたところで歩行を断念する。この上徳次郎から山口へ至る道中に”海老王子”というバス停があり、ここを歩いているときにその名の面白さから目に留まってはいたのだが、年末に実家でのんびりとテレビを見ていたら、ナニコレ珍百景という番組にこのバス停が登場してビックリしてしまった。そんな経緯で巷では有名なバス停になってしまったようなので、ここで少しだけ紹介しよう。
”海老王子”というバス停は関東バスの宇都宮駅から今市車庫・日光東照宮へ向かう路線にあり、住所でいうと宇都宮市石那田町に存在する。ハンカチ王子やハニカミ王子で騒がれた近年のことだから、エビ王子がテレビで取り上げられることになったのだろう。実は”海老王子”と書いて”えびうち”と読み、この辺りの小字名が”恵美内”と書いてそう読むらしい。それなら普通に”恵美内”とバス停名にすればいいと思うのだが、何故だかバス停名だけが”海老王子”なのである。テレビでは関東バスや地元の方々にその由来を訪ね回っていたが、いずれもその理由はわからないとのこと。推測であるが、東京都の八王子にヒントがあるのではないかと調べてみたら、八王子の地名の由来は「牛頭天王(ごずてんのう)と8人の王子を祀る信仰により、八王子神社が建立されて地域の信仰を集め、地名として定着した」という。海老王子バス停の近くに牛頭天王を祀る石那田八坂神社があり、これはきっと偶然ではないだろう。しかし、何ゆえ”恵美”を”海老”と書き変えたうえに、王子を”うち”と読ませるのか…謎である。

徳次郎宿を出てすぐに現れる石那田一里塚。江戸日本橋から30里目(約118km)の一里塚で、北側の塚が現存している。

日が暮れ始めたぞぉー。先を急ぐ。

石那田を行く国道119号。

石那田のリンゴ園にて。

猪倉街道入口交差点。旧日光街道の国道119号から猪倉街道(猪倉山道)が分岐する。現在、猪倉街道は栃木県道149号小来川文挟石那田線のルートになっており、石那田から猪倉を経て壬生道の鹿沼へ至る道である。

猪倉街道入口交差点に直売所を出している半田りんご園。日光連山の吹き下ろしの中で育ったりんごは、どんな味わいなんだろうか。

田川に架かる田川大橋。かつては長さ八間(約14.4m)、幅二間半(約4.5m)の橋が架けられ、石灘の大橋と呼ばれていた。田川大橋から500m程下流に二宮尊徳が築いた石那田堰の跡がある。

旧石那田村の鎮守、石那田八坂神社。毎年7月に牛頭天王を神輿に乗せて御仮屋に移す「下遷宮」を行い、厄病除けを願ってから1週間後に御仮屋から本殿に戻す「上遷宮」が行われる。この神事は「天王祭」と呼ばれ、享保年間から続くものだという。4年に一度、仲内地区の猿田彦(天狗)を先導にして、江戸時代末期から明治期にかけて製作された6地区(桑原、六本木、原坪、岡坪、仲根、坊村)の彫刻屋台が繰り出す。

マジックアワーを迎えて。

闇に暮れゆく国道119号を歩き。

そして、問題の…というか、話題の海老王子バス停に至る。昭和30年代に設置されたというこのバス停に、どんな由来があるのか…。

海老王子バス停から4つ先にある山口バス停まで辿り着いたところで歩行を断念。大沢宿までは約2kmを残しているが、時間はまだ17時半だというのに辺りは暗闇に包まれてまともに歩ける状態ではない。寒空の下、関東バスの到着を待って宇都宮駅へ戻る。
【旧日光街道 第7日目】踏破距離 約19.9km(宇都宮宿から大沢宿までの距離) 宇都宮宿→徳次郎宿→大沢宿(山口バス停)
日本橋から約132km 日光まで約16km
日光連山が間近に!
徳次郎宿を出るとすぐに石那田一里塚があり、再び桜に楓、ツツジが雑じる並木道を歩くことになる。しかし、次の大沢宿へ向かう道中でマジックアワーを迎え、みるみるうちに周辺の山々は色を失い、街道は徐々に暗闇の中へ閉ざされていく。晩秋のこの時期はさすがに日没も早い。道路灯もほとんどなく歩行困難な状況に陥り、車のヘッドライトを頼りに山口バス停までたどり着いたところで歩行を断念する。この上徳次郎から山口へ至る道中に”海老王子”というバス停があり、ここを歩いているときにその名の面白さから目に留まってはいたのだが、年末に実家でのんびりとテレビを見ていたら、ナニコレ珍百景という番組にこのバス停が登場してビックリしてしまった。そんな経緯で巷では有名なバス停になってしまったようなので、ここで少しだけ紹介しよう。
”海老王子”というバス停は関東バスの宇都宮駅から今市車庫・日光東照宮へ向かう路線にあり、住所でいうと宇都宮市石那田町に存在する。ハンカチ王子やハニカミ王子で騒がれた近年のことだから、エビ王子がテレビで取り上げられることになったのだろう。実は”海老王子”と書いて”えびうち”と読み、この辺りの小字名が”恵美内”と書いてそう読むらしい。それなら普通に”恵美内”とバス停名にすればいいと思うのだが、何故だかバス停名だけが”海老王子”なのである。テレビでは関東バスや地元の方々にその由来を訪ね回っていたが、いずれもその理由はわからないとのこと。推測であるが、東京都の八王子にヒントがあるのではないかと調べてみたら、八王子の地名の由来は「牛頭天王(ごずてんのう)と8人の王子を祀る信仰により、八王子神社が建立されて地域の信仰を集め、地名として定着した」という。海老王子バス停の近くに牛頭天王を祀る石那田八坂神社があり、これはきっと偶然ではないだろう。しかし、何ゆえ”恵美”を”海老”と書き変えたうえに、王子を”うち”と読ませるのか…謎である。

徳次郎宿を出てすぐに現れる石那田一里塚。江戸日本橋から30里目(約118km)の一里塚で、北側の塚が現存している。

日が暮れ始めたぞぉー。先を急ぐ。

石那田を行く国道119号。

石那田のリンゴ園にて。

猪倉街道入口交差点。旧日光街道の国道119号から猪倉街道(猪倉山道)が分岐する。現在、猪倉街道は栃木県道149号小来川文挟石那田線のルートになっており、石那田から猪倉を経て壬生道の鹿沼へ至る道である。

猪倉街道入口交差点に直売所を出している半田りんご園。日光連山の吹き下ろしの中で育ったりんごは、どんな味わいなんだろうか。


田川に架かる田川大橋。かつては長さ八間(約14.4m)、幅二間半(約4.5m)の橋が架けられ、石灘の大橋と呼ばれていた。田川大橋から500m程下流に二宮尊徳が築いた石那田堰の跡がある。

旧石那田村の鎮守、石那田八坂神社。毎年7月に牛頭天王を神輿に乗せて御仮屋に移す「下遷宮」を行い、厄病除けを願ってから1週間後に御仮屋から本殿に戻す「上遷宮」が行われる。この神事は「天王祭」と呼ばれ、享保年間から続くものだという。4年に一度、仲内地区の猿田彦(天狗)を先導にして、江戸時代末期から明治期にかけて製作された6地区(桑原、六本木、原坪、岡坪、仲根、坊村)の彫刻屋台が繰り出す。

マジックアワーを迎えて。

闇に暮れゆく国道119号を歩き。

そして、問題の…というか、話題の海老王子バス停に至る。昭和30年代に設置されたというこのバス停に、どんな由来があるのか…。

海老王子バス停から4つ先にある山口バス停まで辿り着いたところで歩行を断念。大沢宿までは約2kmを残しているが、時間はまだ17時半だというのに辺りは暗闇に包まれてまともに歩ける状態ではない。寒空の下、関東バスの到着を待って宇都宮駅へ戻る。
【旧日光街道 第7日目】踏破距離 約19.9km(宇都宮宿から大沢宿までの距離) 宇都宮宿→徳次郎宿→大沢宿(山口バス停)
日本橋から約132km 日光まで約16km
日光連山が間近に!

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