荒川沖宿
【2010年3月14日(日)水戸街道 荒川沖宿】
荒川沖宿は牛久宿と合宿の形態をとっており、江戸方面の牛久宿へ片継ぎだけする継立場だった。本陣は置かれず、名主が問屋場を兼ねて務め、旅籠が数軒ある程度の小さな宿場町。地名の由来は荒川沖宿の近郊を流れる乙戸川が氾濫を繰り返す荒れ川であり、その流域に荒川村(現 阿見町荒川本郷)という集落が存在したこと、水戸街道成立後に荒川村から村民を移住させ街道に宿駅を形成させたことから、荒川村の沖(遠い所という意味)ということで荒川沖の地名が作られたという。宿内に茅葺屋根の旧商家が2軒残っており、往時の様子を今に伝えている。


荒川沖宿江戸方外れに鎮座する八幡神社。

乙戸川に架かる荒川橋を渡って。

荒川沖という地名の由来になった乙戸川。荒れ川と呼ばれ氾濫を繰り返したのも今は昔。

荒川沖宿江戸方入口付近。ここで携帯がピーピー鳴り始め地震発生の緊急速報が入り、ここでも揺れを感じる。震源地は福島県沖の結構大きな地震で、茨城県南部は震度3だった。

荒川沖宿の町並み。

宿場の中心部には一際目を惹く板塀に囲われた大きな旧家がある。

学問の神様、菅原道真を祀る荒川沖天満神社。

鶴町醤油醸造元。

茅葺屋根の家屋は佐野家住宅。昔は”佐野屋”の屋号で旅籠を営んでいた。

鶴町たばこ店。宿場時代から商家を営んでいたのだろうが、今も茅葺屋根が美しい佇まいを残している。元旅籠の佐野屋と共に荒川沖宿を今に伝える貴重な建造物だ。

JR荒川沖駅から帰途につく。
【水戸街道歩き 第4日目】
踏破距離 約17.0km(藤代宿→若柴宿→牛久宿→荒川沖宿)
千住宿から約62km 水戸宿まで約53km
まだまだ寒い日が続く3月中旬、啓蟄を迎えて少しだけ春の息吹を感じる1日だった。
荒川沖宿は牛久宿と合宿の形態をとっており、江戸方面の牛久宿へ片継ぎだけする継立場だった。本陣は置かれず、名主が問屋場を兼ねて務め、旅籠が数軒ある程度の小さな宿場町。地名の由来は荒川沖宿の近郊を流れる乙戸川が氾濫を繰り返す荒れ川であり、その流域に荒川村(現 阿見町荒川本郷)という集落が存在したこと、水戸街道成立後に荒川村から村民を移住させ街道に宿駅を形成させたことから、荒川村の沖(遠い所という意味)ということで荒川沖の地名が作られたという。宿内に茅葺屋根の旧商家が2軒残っており、往時の様子を今に伝えている。


荒川沖宿江戸方外れに鎮座する八幡神社。

乙戸川に架かる荒川橋を渡って。

荒川沖という地名の由来になった乙戸川。荒れ川と呼ばれ氾濫を繰り返したのも今は昔。

荒川沖宿江戸方入口付近。ここで携帯がピーピー鳴り始め地震発生の緊急速報が入り、ここでも揺れを感じる。震源地は福島県沖の結構大きな地震で、茨城県南部は震度3だった。

荒川沖宿の町並み。

宿場の中心部には一際目を惹く板塀に囲われた大きな旧家がある。

学問の神様、菅原道真を祀る荒川沖天満神社。

鶴町醤油醸造元。

茅葺屋根の家屋は佐野家住宅。昔は”佐野屋”の屋号で旅籠を営んでいた。

鶴町たばこ店。宿場時代から商家を営んでいたのだろうが、今も茅葺屋根が美しい佇まいを残している。元旅籠の佐野屋と共に荒川沖宿を今に伝える貴重な建造物だ。

JR荒川沖駅から帰途につく。
【水戸街道歩き 第4日目】
踏破距離 約17.0km(藤代宿→若柴宿→牛久宿→荒川沖宿)
千住宿から約62km 水戸宿まで約53km
まだまだ寒い日が続く3月中旬、啓蟄を迎えて少しだけ春の息吹を感じる1日だった。

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