水戸宿
【2010年5月5日(水)水戸街道 水戸宿】
まずは水戸城下の構造を簡単に説明しておく。かつての千波湖は現在の水戸駅南側一帯を占める大きな水域があり、その千波湖と那珂川に挟まれた高台に水戸城(本丸・二の丸・三の丸・下の丸)が築かれ、周辺を武家屋敷が取り囲んでいた。その中心部から西側台地に上市(現 泉町・大工町)、東南側低地に下市(現 本町)と呼ばれる町屋が形成されており、水戸街道の宿場は下市にあって本陣・脇本陣・問屋場・旅籠のほか様々な商家が軒を連ね賑わったという。水戸街道をはじめ岩城相馬街道や棚倉街道、飯沼街道が下市から、南郷街道・結城街道・瀬戸井街道が上市から延びており、水戸は四方八方から諸街道が集う交通の要衝だった。さすがは徳川御三家の城下町である。

銷魂橋から旧七軒町(現 本町1丁目)を歩いて水戸宿へ向かう。この辺りは江戸時代初期に開かれた町の一部で、当時七軒の商家があったので七軒町と名付けられた。

ハミングロード513(本町商店街)西側入口。ここから水戸宿の中心部へ。

旧本一丁目に鎮座する水戸光圀公ゆかりの能化稲荷神社。

かつての水戸宿はハミングロード513(本町商店街)となっている。水戸は戦時中に空襲を受け、下市辺りの建物も全て焼けてしまったという。宿場町を偲ばせる建物は残っていない。

商店街の中に立つ江戸(水戸)街道宿場跡碑。

ハミングロード513東側入口の交差点(旧本四丁目)が水戸街道の終着点。ここがゴールだあ!…と、内心喜びつつも何か呆気ない感じ。ここにある陸前浜街道起点碑の頭を撫でなでして自らの労をねぎらう。

陸前浜街道起点碑。ここから更に北の奥州岩沼宿(現 宮城県岩沼市)へ至る岩城相馬街道が延びていた。明治初期に水戸街道と岩城相馬街道を併せて陸前浜街道と改称されることになる。

水戸街道を歩き終え、桜川を渡って水戸城へ。
まずは水戸城下の構造を簡単に説明しておく。かつての千波湖は現在の水戸駅南側一帯を占める大きな水域があり、その千波湖と那珂川に挟まれた高台に水戸城(本丸・二の丸・三の丸・下の丸)が築かれ、周辺を武家屋敷が取り囲んでいた。その中心部から西側台地に上市(現 泉町・大工町)、東南側低地に下市(現 本町)と呼ばれる町屋が形成されており、水戸街道の宿場は下市にあって本陣・脇本陣・問屋場・旅籠のほか様々な商家が軒を連ね賑わったという。水戸街道をはじめ岩城相馬街道や棚倉街道、飯沼街道が下市から、南郷街道・結城街道・瀬戸井街道が上市から延びており、水戸は四方八方から諸街道が集う交通の要衝だった。さすがは徳川御三家の城下町である。

銷魂橋から旧七軒町(現 本町1丁目)を歩いて水戸宿へ向かう。この辺りは江戸時代初期に開かれた町の一部で、当時七軒の商家があったので七軒町と名付けられた。

ハミングロード513(本町商店街)西側入口。ここから水戸宿の中心部へ。

旧本一丁目に鎮座する水戸光圀公ゆかりの能化稲荷神社。

かつての水戸宿はハミングロード513(本町商店街)となっている。水戸は戦時中に空襲を受け、下市辺りの建物も全て焼けてしまったという。宿場町を偲ばせる建物は残っていない。


商店街の中に立つ江戸(水戸)街道宿場跡碑。

ハミングロード513東側入口の交差点(旧本四丁目)が水戸街道の終着点。ここがゴールだあ!…と、内心喜びつつも何か呆気ない感じ。ここにある陸前浜街道起点碑の頭を撫でなでして自らの労をねぎらう。

陸前浜街道起点碑。ここから更に北の奥州岩沼宿(現 宮城県岩沼市)へ至る岩城相馬街道が延びていた。明治初期に水戸街道と岩城相馬街道を併せて陸前浜街道と改称されることになる。

水戸街道を歩き終え、桜川を渡って水戸城へ。

- 関連記事
-
- 水戸城っ!
- 水戸宿
- 銷魂橋
- 同心町から台町へ
- 県道180号長岡水戸線
スポンサーサイト