高徳宿
【2010年7月11日(日)会津西街道 高徳宿】
船生街道が分岐する高徳交差点辺りから高徳宿の町並みである。高徳宿は鬼怒川北東側の河岸段丘上に位置するかつての宇都宮藩領。幕末の慶応2年(1866年)戸田忠至が本家の宇都宮藩から1万石を分与され、宿場の北外れに陣屋を置いて高徳藩が立藩した。しかしその陣屋も戊辰戦争の際に大鳥圭介、土方歳三の率いる旧幕軍によって焼かれたというから、わずか2、3年程しか存在していなかったことになる。明治10年頃、陣代家老の星半三郎という人によって建立された戸田大和神社が高徳陣屋の跡地と伝わっている。
高徳宿から会津西街道を分岐する船生街道(現 県道77号宇都宮船生高徳線)は、船生宿と大渡宿の間で鬼怒川を越えてきた日光北街道に合流する。会津藩の廻米等の物資は阿久津河岸から鬼怒川舟運によって江戸へ運ばれたため、高徳宿から阿久津河岸へ最短のルートを辿れる船生街道は、会津藩の物資輸送路として重要な役割を果たしてきた。現在の高徳交差点が会津西街道と船生街道の分岐点になっているが、これは中岩橋架橋後の分岐であり、それ以前は高徳交差点より更に船生街道を東へ進んだ地点、つまり江戸期の鬼怒川渡船場があった辺りが分岐点となる。時期によって変遷があるので前の記事を参照してほしい。


中岩橋を渡った街道は新高徳駅前を経て高徳宿へ。

会津西街道と船生街道の分岐点である高徳交差点。

高徳交差点付近、高徳宿南側(今市方)入口にある石仏群と願掛子育地蔵尊。地蔵尊の顔は目鼻が何となくわかる程度で、長らく風雨に晒されてきたことがうかがえる。座石には”寛保元”の文字が刻まれており、今から約270年前の江戸中期から高徳宿の人々を見守ってきた希少な語り部なのだ。

高徳宿の町並み。

宿場から少し外れた山裾にある高徳寺。宿名と同じ名の寺なのだが、由緒がよくわからない。

高徳の諏訪神社。社前に享保期の石灯籠が奉納されており、歴史は相当古そうだ。

宿場東側の裏手に青々と広がる水田。

新高徳駅前の手打ち蕎麦”あさひや”。電車の到着まで少々時間があったので、ここで待つことに。まずはビールを注文して喉を潤す。んーっ、歩き旅の終わりに飲む一杯は格別に美味い!そして、これまた美味しいざるそばで腹ごしらえ。至福のひと時である。

新高徳駅から18:34発の特急きぬ138号に乗車し帰途につく。
【会津西街道歩き 第1日目】
歩行距離 約8.3km(今市宿→大桑宿→高徳宿)
後半少々雨に降られたが、順調な滑り出しの歩き旅だった。徐々に山が迫ってくる感じがたまらない。この先、会津西街道はどんな景色を見せてくれるのか、楽しみである。
船生街道が分岐する高徳交差点辺りから高徳宿の町並みである。高徳宿は鬼怒川北東側の河岸段丘上に位置するかつての宇都宮藩領。幕末の慶応2年(1866年)戸田忠至が本家の宇都宮藩から1万石を分与され、宿場の北外れに陣屋を置いて高徳藩が立藩した。しかしその陣屋も戊辰戦争の際に大鳥圭介、土方歳三の率いる旧幕軍によって焼かれたというから、わずか2、3年程しか存在していなかったことになる。明治10年頃、陣代家老の星半三郎という人によって建立された戸田大和神社が高徳陣屋の跡地と伝わっている。
高徳宿から会津西街道を分岐する船生街道(現 県道77号宇都宮船生高徳線)は、船生宿と大渡宿の間で鬼怒川を越えてきた日光北街道に合流する。会津藩の廻米等の物資は阿久津河岸から鬼怒川舟運によって江戸へ運ばれたため、高徳宿から阿久津河岸へ最短のルートを辿れる船生街道は、会津藩の物資輸送路として重要な役割を果たしてきた。現在の高徳交差点が会津西街道と船生街道の分岐点になっているが、これは中岩橋架橋後の分岐であり、それ以前は高徳交差点より更に船生街道を東へ進んだ地点、つまり江戸期の鬼怒川渡船場があった辺りが分岐点となる。時期によって変遷があるので前の記事を参照してほしい。


中岩橋を渡った街道は新高徳駅前を経て高徳宿へ。

会津西街道と船生街道の分岐点である高徳交差点。


高徳交差点付近、高徳宿南側(今市方)入口にある石仏群と願掛子育地蔵尊。地蔵尊の顔は目鼻が何となくわかる程度で、長らく風雨に晒されてきたことがうかがえる。座石には”寛保元”の文字が刻まれており、今から約270年前の江戸中期から高徳宿の人々を見守ってきた希少な語り部なのだ。

高徳宿の町並み。

宿場から少し外れた山裾にある高徳寺。宿名と同じ名の寺なのだが、由緒がよくわからない。

高徳の諏訪神社。社前に享保期の石灯籠が奉納されており、歴史は相当古そうだ。

宿場東側の裏手に青々と広がる水田。

新高徳駅前の手打ち蕎麦”あさひや”。電車の到着まで少々時間があったので、ここで待つことに。まずはビールを注文して喉を潤す。んーっ、歩き旅の終わりに飲む一杯は格別に美味い!そして、これまた美味しいざるそばで腹ごしらえ。至福のひと時である。

新高徳駅から18:34発の特急きぬ138号に乗車し帰途につく。
【会津西街道歩き 第1日目】
歩行距離 約8.3km(今市宿→大桑宿→高徳宿)
後半少々雨に降られたが、順調な滑り出しの歩き旅だった。徐々に山が迫ってくる感じがたまらない。この先、会津西街道はどんな景色を見せてくれるのか、楽しみである。

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