鬼怒大瀞 六題目の碑
【会津西街道歩き 第2日目】高徳宿→大原宿→藤原宿
【2010年8月1日(日)会津西街道 高徳宿→大原宿 道中】
暦は8月に変わり日本全国は夏真っ盛りな様相。ウォーカーにとっては受難の季節を迎えたと言ってよいが、今年は例年にも増して気温の高い日が続き、まさに猛暑の当たり年。そんな中、心の中では「こんなクソ暑い日に歩くなんて苦行に行くようなもんだ、やめよーよ。」と囁いているにも関わらず、「今日行かずして何時行くんだ!この根性無しがっ!」と、悪魔なのか天使なのかわからないが、心に囁きかけてもくる。そして下した結論が「とりあえず栃木へ行くだけ行ってみて、それから考えればいいじゃん。北へ行けば少しは涼しいんじゃないの。」といった楽天的で安易なB型的考えの下、家を出ることに。
9:12北千住駅発の特急きぬ105号に乗車し、定刻通りの11時ちょっと前に新高徳駅に到着。電車を降りた瞬間に心地よくない温風が体を通り抜ける。「やっぱここまで来たからには少しは歩かねばならんでしょ!」と自らを奮い立たせ、国道121号(会津西街道)を歩いて高徳宿を抜ける。少し歩いただけで全身から汗がにじむ。まずは沿道にある”たまり漬本舗つるや”に立ち寄り、帰省時の土産に持って帰ろうと、きゅうりや山菜ミックスのたまり漬を購入。ここのたまり漬も今市にある日野為商店のたまり漬と比較して遜色ない美味しい味付けなのだが、山菜ミックスの山菜が中国産だったことに誤算。母親が中国産の食物にやたらと警戒を示すことを後で思い出したが、後の祭り…。まっ、しょうがないでしょ。
鬼怒大瀞の屋形船乗り場から旧道が現れて鬼怒川と東武鬼怒川線の間を並進。新大瀞橋からの道が旧道に接触してくる手前に六題目の碑がひっそりと林の中に佇んでいる。”中岩橋”の記事に書いた六部供養塔十三塚に弔われる六部一行が、殺害されて鬼怒川に投げ込まれたと伝わる場所である。その六部らの祟りを怖れて建立されたのが六題目の供養塔であるが、碑面には”南無妙法蓮華”まで刻まれており、何故か”経”の文字が無い。そのため六題目という名が付いているわけで、一説には「南無」「妙法」「蓮華」の文字を刻んだ度に石工が次々と急死したため、”経”の文字を彫る石工がいなくなったという。詳細はホームページ日光会津観光圏元気再生プロジェクトの六題目の碑を参照してほしい。


派手な店舗に目を惹かれるたまり漬本舗つるや。日光土産の定番である”たまり漬”を豊富に取り揃えている。

鬼怒大瀞屋形船乗り場付近を行く会津西街道(国道121号)。

多くの観光客で賑わう鬼怒大瀞屋形船乗り場。

鮎の塩焼きを食べて塩分とエネルギーを補給。

鬼怒大瀞屋形船乗り場から旧道が現れる。

国道121号と東武鬼怒川線の間を並進する旧道。

大瀞アンダーで東武鬼怒川線を潜り抜ける。

旧道は東武鬼怒川線と鬼怒川の間を並進する。

林の中にひっそりと建つ六題目の碑。今から約200年前のこととはいえ、六部一行の13名が殺害されたと伝わる場所。何となく空気が冷ややかに感じる。今なお”経”の字は無く、六部らの怨念は鎮められていないのだろうか…。
【2010年8月1日(日)会津西街道 高徳宿→大原宿 道中】
暦は8月に変わり日本全国は夏真っ盛りな様相。ウォーカーにとっては受難の季節を迎えたと言ってよいが、今年は例年にも増して気温の高い日が続き、まさに猛暑の当たり年。そんな中、心の中では「こんなクソ暑い日に歩くなんて苦行に行くようなもんだ、やめよーよ。」と囁いているにも関わらず、「今日行かずして何時行くんだ!この根性無しがっ!」と、悪魔なのか天使なのかわからないが、心に囁きかけてもくる。そして下した結論が「とりあえず栃木へ行くだけ行ってみて、それから考えればいいじゃん。北へ行けば少しは涼しいんじゃないの。」といった楽天的で安易なB型的考えの下、家を出ることに。
9:12北千住駅発の特急きぬ105号に乗車し、定刻通りの11時ちょっと前に新高徳駅に到着。電車を降りた瞬間に心地よくない温風が体を通り抜ける。「やっぱここまで来たからには少しは歩かねばならんでしょ!」と自らを奮い立たせ、国道121号(会津西街道)を歩いて高徳宿を抜ける。少し歩いただけで全身から汗がにじむ。まずは沿道にある”たまり漬本舗つるや”に立ち寄り、帰省時の土産に持って帰ろうと、きゅうりや山菜ミックスのたまり漬を購入。ここのたまり漬も今市にある日野為商店のたまり漬と比較して遜色ない美味しい味付けなのだが、山菜ミックスの山菜が中国産だったことに誤算。母親が中国産の食物にやたらと警戒を示すことを後で思い出したが、後の祭り…。まっ、しょうがないでしょ。
鬼怒大瀞の屋形船乗り場から旧道が現れて鬼怒川と東武鬼怒川線の間を並進。新大瀞橋からの道が旧道に接触してくる手前に六題目の碑がひっそりと林の中に佇んでいる。”中岩橋”の記事に書いた六部供養塔十三塚に弔われる六部一行が、殺害されて鬼怒川に投げ込まれたと伝わる場所である。その六部らの祟りを怖れて建立されたのが六題目の供養塔であるが、碑面には”南無妙法蓮華”まで刻まれており、何故か”経”の文字が無い。そのため六題目という名が付いているわけで、一説には「南無」「妙法」「蓮華」の文字を刻んだ度に石工が次々と急死したため、”経”の文字を彫る石工がいなくなったという。詳細はホームページ日光会津観光圏元気再生プロジェクトの六題目の碑を参照してほしい。


派手な店舗に目を惹かれるたまり漬本舗つるや。日光土産の定番である”たまり漬”を豊富に取り揃えている。

鬼怒大瀞屋形船乗り場付近を行く会津西街道(国道121号)。

多くの観光客で賑わう鬼怒大瀞屋形船乗り場。

鮎の塩焼きを食べて塩分とエネルギーを補給。

鬼怒大瀞屋形船乗り場から旧道が現れる。

国道121号と東武鬼怒川線の間を並進する旧道。

大瀞アンダーで東武鬼怒川線を潜り抜ける。

旧道は東武鬼怒川線と鬼怒川の間を並進する。

林の中にひっそりと建つ六題目の碑。今から約200年前のこととはいえ、六部一行の13名が殺害されたと伝わる場所。何となく空気が冷ややかに感じる。今なお”経”の字は無く、六部らの怨念は鎮められていないのだろうか…。

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