高原越えの旧道へ
【2010年8月21日(土)会津西街道 藤原宿→太閤下しの滝】
野沢橋から藤原宿方面へ引き返し、箒沢付近の国道121号から会津西街道旧道へ入る。その入口を遮る鹿除けの防護ネットを潜り抜けた先に、今は全く人通りが無くなっている高原越えの道筋が細々と残されている。昭和13年(1938年)に日塩もみじライン(旧県道藤原西那須野線)のルートが敷設されるまで、藤原地区と塩原・那須地区を結ぶ主要道として使われ続けた道のはずだが、今やその役目を終えて歴史の闇へ消えようとしている感がある。栃久保新道との分岐点から第一竜王苑という別荘地を経由して”太閤下ろしの滝”付近の野沢まで旧道は続いているが、その先は日塩もみじラインの擁壁に阻まれて通行不能に。旧道の野沢渡河地点には橋が架けられていた形跡だけが残っている。

高原越えの旧道入口。鹿除けの防護ネットに遮られるているが、ネット下の地面を這い蹲って進めば通り抜けられる。

旧道に入って間もなく道は二又に分かれている。左方向が会津西街道。

沿道にかなり古びた石積みが残っている。

所々で倒木が道を遮るが通行に支障はない。

旧道は第一竜王苑の西端に沿って通り抜けて行く。

第一竜王苑。土地所有者名の看板が並ぶ別荘地なのだが、全くひと気を感じない。

第一竜王苑の先にも旧道の道形が残っている。

徐々に道はか細くなり、笹薮を掻き分けて先へ進めば…。

野沢に辿り着く!

野沢に出た所から少し下流に橋跡が残されている。ここが旧道の野沢渡河地点で間違いない。しかし、対岸(写真左岸)は急斜面のうえに日塩もみじラインの擁壁が先の通行を阻んでいる。強引に斜面をよじ登れば日塩もみじラインまで行けるかもしれないが、危険なので止めておいた方が無難だろう。

旧道の野沢渡河地点に残る橋跡。両岸に自然石を積み上げた橋台と、川中の石畳に丸太の橋脚を立てていたと思われる丸穴が残されている。
野沢橋から藤原宿方面へ引き返し、箒沢付近の国道121号から会津西街道旧道へ入る。その入口を遮る鹿除けの防護ネットを潜り抜けた先に、今は全く人通りが無くなっている高原越えの道筋が細々と残されている。昭和13年(1938年)に日塩もみじライン(旧県道藤原西那須野線)のルートが敷設されるまで、藤原地区と塩原・那須地区を結ぶ主要道として使われ続けた道のはずだが、今やその役目を終えて歴史の闇へ消えようとしている感がある。栃久保新道との分岐点から第一竜王苑という別荘地を経由して”太閤下ろしの滝”付近の野沢まで旧道は続いているが、その先は日塩もみじラインの擁壁に阻まれて通行不能に。旧道の野沢渡河地点には橋が架けられていた形跡だけが残っている。

高原越えの旧道入口。鹿除けの防護ネットに遮られるているが、ネット下の地面を這い蹲って進めば通り抜けられる。

旧道に入って間もなく道は二又に分かれている。左方向が会津西街道。

沿道にかなり古びた石積みが残っている。

所々で倒木が道を遮るが通行に支障はない。

旧道は第一竜王苑の西端に沿って通り抜けて行く。

第一竜王苑。土地所有者名の看板が並ぶ別荘地なのだが、全くひと気を感じない。

第一竜王苑の先にも旧道の道形が残っている。

徐々に道はか細くなり、笹薮を掻き分けて先へ進めば…。

野沢に辿り着く!

野沢に出た所から少し下流に橋跡が残されている。ここが旧道の野沢渡河地点で間違いない。しかし、対岸(写真左岸)は急斜面のうえに日塩もみじラインの擁壁が先の通行を阻んでいる。強引に斜面をよじ登れば日塩もみじラインまで行けるかもしれないが、危険なので止めておいた方が無難だろう。


旧道の野沢渡河地点に残る橋跡。両岸に自然石を積み上げた橋台と、川中の石畳に丸太の橋脚を立てていたと思われる丸穴が残されている。

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