矢切の渡し
【2012年2月5日(日)成田街道 新宿→小岩市川渡し】
つれて逃げてよー、ついておいでよー♪
細川たかしのヒット曲で名を知られる”矢切の渡し”。伊藤左千夫の小説”野菊の墓”の舞台としても知られ、映画”男はつらいよ”シリーズで、寅さんがこの渡し舟に乗って柴又へ帰ってくるシーンを覚えている方も多いだろう。矢切の渡しは成田街道の渡し場があった小岩・市川の渡し(現 国道14号市川橋)から3.5㎞程江戸川を遡った地点にあり、葛飾区柴又と松戸市の矢切地区を結ぶ舟渡し。江戸時代初期に地元住民専用に設けられ、現在も運行が続く都内に残る唯一の渡し舟である。余談だが、松戸市立病院近くにあるラーメン屋”美春”の”矢切の渡しつけめん”がマイブーム。矢切ねぎをかじりながら食べるこのつけ麺は、つけダレも美味けりゃ、こしのある太麺もいい。いくら食べても食べたりない替え玉必須のつけ麺である。


江戸川河川敷に残る柴又側の渡船場。

大勢の乗客で賑わう矢切の渡し。

対岸の矢切側渡船場に向けて出航。

昔ながらの江戸川が残る場所、矢切の渡し。

桟橋から対岸の矢切側を望む。

少年野球を横に見ながら土手へ戻ろう。写真左奥に金町浄水場の第三取水塔が見える。

矢切の渡しから少し川を遡った場所にある金町浄水場の第二取水塔。とんがり帽子の建物に愛嬌を感じる建物は、昭和16年(1941年)の竣工。”男はつらいよ”のシーンに度々登場した。
さてさて、そろそろ帝釈天へ向かおう。
つれて逃げてよー、ついておいでよー♪
細川たかしのヒット曲で名を知られる”矢切の渡し”。伊藤左千夫の小説”野菊の墓”の舞台としても知られ、映画”男はつらいよ”シリーズで、寅さんがこの渡し舟に乗って柴又へ帰ってくるシーンを覚えている方も多いだろう。矢切の渡しは成田街道の渡し場があった小岩・市川の渡し(現 国道14号市川橋)から3.5㎞程江戸川を遡った地点にあり、葛飾区柴又と松戸市の矢切地区を結ぶ舟渡し。江戸時代初期に地元住民専用に設けられ、現在も運行が続く都内に残る唯一の渡し舟である。余談だが、松戸市立病院近くにあるラーメン屋”美春”の”矢切の渡しつけめん”がマイブーム。矢切ねぎをかじりながら食べるこのつけ麺は、つけダレも美味けりゃ、こしのある太麺もいい。いくら食べても食べたりない替え玉必須のつけ麺である。


江戸川河川敷に残る柴又側の渡船場。

大勢の乗客で賑わう矢切の渡し。

対岸の矢切側渡船場に向けて出航。

昔ながらの江戸川が残る場所、矢切の渡し。

桟橋から対岸の矢切側を望む。

少年野球を横に見ながら土手へ戻ろう。写真左奥に金町浄水場の第三取水塔が見える。

矢切の渡しから少し川を遡った場所にある金町浄水場の第二取水塔。とんがり帽子の建物に愛嬌を感じる建物は、昭和16年(1941年)の竣工。”男はつらいよ”のシーンに度々登場した。
さてさて、そろそろ帝釈天へ向かおう。

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