佐倉城址

【2012年5月12日(土)成田街道 佐倉城】
佐倉城は江戸時代初期の慶長15年(1610年)徳川家康の命を受けた土井利勝により鹿島城(戦国期に千葉氏一族鹿島幹胤によって築城、未完の城)を整備拡張し、元和年間(1615年~1623年)に完成した近世城郭。鹿島台と呼ばれる台地に本丸や曲輪を連郭式に配し、石垣を用いず土塁や水堀・空堀によって縄張りを形成する。城の西側は高崎川と鹿島川が合流する低湿地帯で容易に敵の侵入を許さず、東側台地上に武家屋敷や町家を配した。現在の城郭部は佐倉城址公園として整備され、周辺の家並みや道に城下町の雰囲気を残す。

寛永10年(1633年)土井利勝が下総国古河藩へ移封となった後は、石川・松平・堀田・大久保・稲葉家といった幕閣の要衝に就く譜代大名が入れ代わり立ち代わりで藩主を務め、延享3年(1746年)に出羽国山形藩から堀田正亮が入封すると、幕末まで堀田家が6代に渡って佐倉藩の治政を担った。佐倉藩というと堀田家のイメージが強いのはこのためであろう。明治4年(1871年)廃藩置県により廃城、その3年後に歩兵第二連隊が置かれ、西南戦争や日清・日露戦争へ出征した。明治42年(1909年)歩兵第二連隊が水戸へ移り、歩兵第五十七連隊が代わって駐屯、太平洋戦争へ兵士を送り出した。

成田街道 佐倉城下


田町門跡
国立歴史博物館入口がかつての田町門跡。田町からの佐倉城内入口。門を入ると愛宕坂を上り椎木曲輪へ至った。


愛宕坂
愛宕坂から田町門を望む。愛宕坂は坂上に愛宕神社(連隊建設時に移転)があったことに名の由来がある。連隊建設時、出入しやすいよう直線状に直された。


国立歴史民俗博物館
椎木曲輪跡に建つ国立歴史民俗博物館(歴博)。椎木曲輪には侍屋敷が軒を連ねた。


馬出し空堀
馬出し空堀。椎木門前に設けられたコの字形の空堀である。


椎木門跡
椎木門跡から馬出し方向を望む。


三逕亭
椎木門跡から三の丸へ移動する。三の丸にある茶室三逕亭。この猫は店番なのか…、本日は休業日だと体現しているかのよう。


三逕亭の眠り猫
敷石の上で気持ち良さげに昼寝。幸せそうな寝顔に癒される。


三の門跡
三の門跡。三の丸入口に設置された門。三の丸には家老屋敷等が置かれた。


三の丸空堀
三の丸周辺の空堀。往時はもっと深く掘られていたのだろうが、規模の大きさは十分にうかがえよう。


姥が池
三の門から空堀を降りて姥が池へ。天保年間(1830年~1843年)家老の娘をおもりしていた姥が、誤ってその娘を池に落としてしまい、困り果てて身を投げたという。姥が池と呼ばれる所以で、そんな悲しい話が伝わる場所である。


姥が池の猫
姥が池の畔にて。後ろ姿に哀愁を感じる猫が…。


姥が池の猫
私の存在に気付いたようで。目つき悪っ!


姥が池の猫
しかしながら可愛いやつで。


姥が池の猫
名残惜しくお別れ。達者でな!お前もにゃ!って感じ。


姥が池
姥が池の中をよくよく見てみると、いるわいるわカメがいっぱい。


姥が池のカメ
姥が池のカメ。アホな人間が見てるわ…みたいな冷たい視線。


訓練用の12階段
ぽつんと姥が池附近にある12階段。連隊が使用していた飛び降り訓練用の階段で、何ゆえか撤去されずに残された。こんな感じで使っていた↓


訓練用の12階段
現地設置の解説板より。


二の門跡
三の丸から二の丸へ。その入口に二の門が置かれた。


佐倉城の礎石
二の丸に残る佐倉城の礎石群。佐倉城は当時の建築物が残っていないのが残念なところ。


一の門跡
本丸入口の一の門跡。明治初期に撮影された写真がこれ↓


佐倉城一の門
佐倉城一の門(現地設置の解説板より)。木造・本瓦葺の門で、梁間四間・桁行八間。屋根の両脇に鯱が置かれる立派な門であった。


佐倉城本丸跡
佐倉城本丸跡。周囲には高い土塁が築かれている。


佐倉城本丸跡にて
佐倉城本丸跡にて。


本丸跡の夫婦モッコク
本丸跡の夫婦モッコク。土井利勝時代に庭樹として植えられたものと推測される古木で、県指定天然記念物。


本丸跡の夫婦モッコク
夫婦モッコクの幹を見てみると落書きが彫られていた。天然記念物を傷つけるとはけしからん!と思われるかもしれないが、”本丸 昭十八年十月 砲隊 佐野”の文字が読み取れ、ここの連隊に所属した兵士が彫ったものらしい。兵士はこの文字を彫り残した後、どんな運命を辿ったのだろうか…。


天守閣跡
天守閣跡。二段に土盛りされた天守台のみが残る。かつては三層四階の天守が築かれていたが、文化10年(1813年)失火により焼失、以後再建されなかった。


台所門跡
台所門(不明門)跡から本丸・天守跡を望む。


浅間坂
浅間坂を降りて出丸や水堀を見に行こう。


佐倉城址 水堀
天守裏手(本丸西側)に残る水堀。


佐倉城址 出丸跡
佐倉城には2つの出丸が設けられていた。こちらは城北西側の出丸入口。現在は橋が架けられているが、当時は橋を架けず、緊急時に仮橋を架けて通行する仕組みになっていた。写真奥に見える門は城内にあったもので、市内の造り酒屋や甚大寺を転々とした後、ここに移築されたものという。だとすると、この門が佐倉城唯一の現存建築物である。


佐倉城址 出丸跡
城北西側の出丸跡。高い土塁に囲まれている。佐倉連隊の時代、ここには火薬庫が設置されていた。


へび坂
城北西側の出丸・根曲輪と椎木曲輪を繋ぐ”へび坂”。蛇のように細く蛇行していることが坂名の由来だろう。


兵営の便所跡
へび坂上にある兵営の便所跡。最後が便所というのも何だが、佐倉城址の散策はこれで終わりに。


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