成田祇園祭
【2012年7月8日(日)成田街道 成田山新勝寺・寺台宿】
成田祇園祭は毎年7月7日・8日・9日に行われる大日如来の祭礼成田山祇園会に併せ、その直近の金・土・日曜日に開催される。今年の成田祇園祭は7月6日・7日・8日が祭礼日で、本日は祭りの終焉となる8日の日曜日。山車・屋台の総引きが行われる。優雅に佐原囃子や江戸囃子を奏でる山車・屋台を、2本の綱によって100名を超える引手が威勢のいい掛け声とともに牽引。坂の途中から一気に駆け登る様は迫力満点だ。田町・本町・花崎町・仲久町・成田山交道会・東町・上町・囲護台三和会・幸町・土屋が豪華絢爛な10台の山車・屋台を繰り出す。

新勝寺門前を出発する花崎町の稚児行列。

1番手、仲町の坂を上る花崎町の行列。

先ほど新勝寺門前で見送った稚児行列も坂を上ってきた。可愛らしい山車の先導役だ。

2本の綱で引かれ花崎町の山車が坂を上ってくる。山車の上に乗せられる人形は八幡太郎義家。

それ!引っ張れ―。格好も様になってます。

花崎町の山車。八幡太郎義家を乗せるに相応しい重厚感ある造り。昭和51年の作。

次に成田山交道会の山車が坂を上ってくる。

成田山交道会の山車。写真では隠れてしまっているが日本武尊の人形を乗せる。金色の装飾金具が眩しい絢爛な山車。昭和63年、成田山開基1050年祭を記念して製作された。

そして3番手、上町の屋台が登坂する。

江戸時代後期、宮大工の手によって造られたという上町の屋台。平成14年に大改修された。総欅造りの彫刻屋台は見事なもの、まさに動く社殿である。

4番手、本町の山車が登坂。

本町の山車は明治35年の作、山車の上に乗るのは平将門を討伐した藤原秀郷(俵藤太)の人形である。

本町の山車にて。

仲之町の山車を先導する稚児行列。

5番手、仲之町の山車。明治33年の作、成田最古の江戸型山車で神武天皇の人形を乗せる。

6番手、土屋の山車が登坂。青の法被が熱気の中にあって清々しい。

土屋の山車は二代目で平成19年の作、大穴牟遅神(おおあなむちのかみ、大国主神の別名)の人形を乗せる。

7番手、幸町の山車が登坂。

幸町の山車は三代目で平成23年作、10台の山車・屋台の中で最も新しい。山車に乗るのは平将門鎮撫祈祷の密勅を寛朝大僧正に授けた朱雀天皇。

囲護台三和会の山車を先導する稚児行列。

8番手、坂を上ってくる囲護台三和会の山車。

囲護台三和会は囲護台・新町・馬橋の3地区で構成。平成20年(2008年)成田山開基1070年祭に合わせ山車を新造した。山車の上に乗る人形は嵯峨天皇。成田山新勝寺本尊の不動明王は、嵯峨天皇の勅命により弘法大師が自ら製作開眼させた尊像である。

9番手は本年の当番町、田町の山車。

田町の山車は3代目で昭和53年作。素戔嗚尊(すさのおのみこと)の人形を乗せる。

田町の山車が過ぎ去った後、坂上から神輿が降りてきたぞ。

坂を下ってくる神輿と登坂する東町の屋台がすれ違う。普段は一方通行の狭い坂道、道幅を一杯に使って何とか行き交う。想定内のことなのか、想定外なのか…。やはり神輿が優先のよう。

最後を飾る東町の屋台。二代目の屋台で昭和53年の作。総欅造り、銅板瓦葺・総漆塗仕上げ、唐破風造りの屋根を持つ威厳ある屋台である。

仲町の坂を登った山車・屋台は西参道から大本堂前に集合、競演(総踊り)が行われる。

競演(総踊り)を待つ本町と成田山交道会の山車。
成田街道最後の宿駅、寺台宿まで足を延ばしたいので祭り見物はここまで。山車・屋台競演(総踊り)を最後まで見たいところだが、泣く泣くこの場を立ち去ることに。東参道を歩いて寺台宿へ向かおう。
成田祇園祭は毎年7月7日・8日・9日に行われる大日如来の祭礼成田山祇園会に併せ、その直近の金・土・日曜日に開催される。今年の成田祇園祭は7月6日・7日・8日が祭礼日で、本日は祭りの終焉となる8日の日曜日。山車・屋台の総引きが行われる。優雅に佐原囃子や江戸囃子を奏でる山車・屋台を、2本の綱によって100名を超える引手が威勢のいい掛け声とともに牽引。坂の途中から一気に駆け登る様は迫力満点だ。田町・本町・花崎町・仲久町・成田山交道会・東町・上町・囲護台三和会・幸町・土屋が豪華絢爛な10台の山車・屋台を繰り出す。

新勝寺門前を出発する花崎町の稚児行列。

1番手、仲町の坂を上る花崎町の行列。

先ほど新勝寺門前で見送った稚児行列も坂を上ってきた。可愛らしい山車の先導役だ。

2本の綱で引かれ花崎町の山車が坂を上ってくる。山車の上に乗せられる人形は八幡太郎義家。

それ!引っ張れ―。格好も様になってます。

花崎町の山車。八幡太郎義家を乗せるに相応しい重厚感ある造り。昭和51年の作。

次に成田山交道会の山車が坂を上ってくる。

成田山交道会の山車。写真では隠れてしまっているが日本武尊の人形を乗せる。金色の装飾金具が眩しい絢爛な山車。昭和63年、成田山開基1050年祭を記念して製作された。

そして3番手、上町の屋台が登坂する。

江戸時代後期、宮大工の手によって造られたという上町の屋台。平成14年に大改修された。総欅造りの彫刻屋台は見事なもの、まさに動く社殿である。

4番手、本町の山車が登坂。

本町の山車は明治35年の作、山車の上に乗るのは平将門を討伐した藤原秀郷(俵藤太)の人形である。

本町の山車にて。

仲之町の山車を先導する稚児行列。

5番手、仲之町の山車。明治33年の作、成田最古の江戸型山車で神武天皇の人形を乗せる。

6番手、土屋の山車が登坂。青の法被が熱気の中にあって清々しい。

土屋の山車は二代目で平成19年の作、大穴牟遅神(おおあなむちのかみ、大国主神の別名)の人形を乗せる。

7番手、幸町の山車が登坂。

幸町の山車は三代目で平成23年作、10台の山車・屋台の中で最も新しい。山車に乗るのは平将門鎮撫祈祷の密勅を寛朝大僧正に授けた朱雀天皇。

囲護台三和会の山車を先導する稚児行列。

8番手、坂を上ってくる囲護台三和会の山車。

囲護台三和会は囲護台・新町・馬橋の3地区で構成。平成20年(2008年)成田山開基1070年祭に合わせ山車を新造した。山車の上に乗る人形は嵯峨天皇。成田山新勝寺本尊の不動明王は、嵯峨天皇の勅命により弘法大師が自ら製作開眼させた尊像である。

9番手は本年の当番町、田町の山車。

田町の山車は3代目で昭和53年作。素戔嗚尊(すさのおのみこと)の人形を乗せる。

田町の山車が過ぎ去った後、坂上から神輿が降りてきたぞ。

坂を下ってくる神輿と登坂する東町の屋台がすれ違う。普段は一方通行の狭い坂道、道幅を一杯に使って何とか行き交う。想定内のことなのか、想定外なのか…。やはり神輿が優先のよう。

最後を飾る東町の屋台。二代目の屋台で昭和53年の作。総欅造り、銅板瓦葺・総漆塗仕上げ、唐破風造りの屋根を持つ威厳ある屋台である。

仲町の坂を登った山車・屋台は西参道から大本堂前に集合、競演(総踊り)が行われる。

競演(総踊り)を待つ本町と成田山交道会の山車。
成田街道最後の宿駅、寺台宿まで足を延ばしたいので祭り見物はここまで。山車・屋台競演(総踊り)を最後まで見たいところだが、泣く泣くこの場を立ち去ることに。東参道を歩いて寺台宿へ向かおう。

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