野火止用水と平林寺

【川越街道歩き 第3日目】JR新座駅→平林寺→大和田宿→大井宿→ふじみ野駅



【2012年11月10日(土)川越街道 大和田宿】
天気は快晴、お出かけ日和の11月の土曜日。JR新座駅に降り立ち、野火止用水を散策しながら前回の歩き旅で訪ねることができなかった平林寺へ向かう。野火止は読んで字の如く、この地で野火を止めたという意であることに間違いなさそうだが、その理由については諸説ある。

「昔、男ありけり。人のむすめを盗みて、武蔵野へ率てゆく程に、盗人なりければ、国の守にからめられにけり。女をば草むらのなかにおきて逃げにけり。道くる人、この野は盗人あなり とて火つけむとす。女わびて、武蔵野は 今日はな焼きそ 若草の つまもこもれり われもこもれり とよみけるを聞きて、女をばとりて、ともに率てけり。」
一つは伊勢物語の第12段。男とは在原業平で、とある豪族の娘と駆け落ちし武蔵野の草むらに身を潜めていた。国守の追っ手が野を焼いて探そうとしたところ、娘は互いの身を案じ歌を詠んで火をつけるのを止めさせたというものだ。平林寺境内に業平塚と伝わる土盛りが残る。

もう一つは平林寺境内に残る野火止塚(九十九塚)によるもの。これは一里塚に比して一回りも二回りも大きな塚で、現地解説板によると和名抄に見る火田狩猟(野に火を放ち獲物を追い出す狩猟)の野火を見張ったものか、焼畑耕法による火勢を見張ったものか定かではないが、いずれにしても野火の見張台との説が有力だという。中世以前の武蔵野は焼畑耕法が盛んに行われていたため一面萱原だったといい、更に関東ローム層の乾燥した土壌は草木の燃え広がりを早めただろうから、焼畑は武蔵野にあって効率的で生産性の高い農法と言える。そう考えると、野火止の名の由来はここら辺りにあるような気がする。

黒目川と柳瀬川に挟まれる野火止台地は、武蔵野にあって例外なく水が乏しく、人の居住を拒む未開の地であったが、江戸時代になって大きく変遷する。承応2年(1653年)川越藩主松平信綱は玉川上水(多摩川の水を羽村取水口から江戸の四谷大木戸まで引く上水道)開削の総奉行を務める最中、野火止台地の開発に着手し、開拓農家54、5戸を入植させる。僅か8ヶ月の短期間で玉川上水は完成。総奉行を務めあげた川越藩主松平信綱は、その功により玉川上水を分水する許可を得て、承応4年(1655年)領内の野火止台地へ上水を送る全長約24kmの野火止用水を完成させる。飲料水や生活用水が確保できることで野火止台地の人と土壌は潤い開発が進んだ。

その野火止台地にあるのが平林寺。正式名は金鳳山平林禅寺、臨済宗妙心寺派の禅刹で大河内松平家の祖廟。南北朝時代に武蔵国騎西郡渋江郷金重村(現 浦和市岩槻区)に建立され、江戸時代初期の寛文3年(1663年)松平信綱の長男輝綱により現在地へ移転。この時に野火止用水を西堀で分水し、平林寺境内地を通す平林寺堀が造られた。平林寺は現在も13万坪(東京ドーム約9個分)もの広大な境内地を持ち、境内林は開発が進む武蔵野の原形を残す貴重な雑木林で、国指定天然記念物。松平信綱夫妻の墓をはじめとする大河内松平家歴代の墓がある。

川越街道 平林寺


野火止用水公園
新座駅より野火止用水公園を歩いて平林寺方面へ。


野火止用水
平林寺境内西辺を流れる野火止用水の本流。この用水は多摩郡小川村(現 東京都小平市)で玉川上水から分流し、ここ野火止台地を通って新河岸川に至る。


野火止用水にて
用水路を覗くと大きな鯉が。水質が良い証拠だ。野火止用水は昭和24年(1949年)頃から生活排水が流入するようになって水質が悪化しはじめ、昭和48年(1973年)ついに玉川上水からの取水が停止され、事実上の下水となってしまう。当然の流れで臭い物には蓋がされ暗渠化が進む。昭和49年(1974年)周辺住民に野火止用水復活の機運が高まり、東京都が歴史環境保全地域に指定したことが転換となる。周辺自治体が協力して野火止用水の復元事業を進め、昭和59年(1984年)野火止用水に清流が蘇った。


伊豆殿橋
平林寺境内南西角、野火止用水に架かる伊豆殿橋。野火止用水の開通は野火止台地の深刻な水不足を解消、開拓農民の生活は改善され、川越藩主松平信綱に大変感謝したという。そのため野火止用水は信綱の官名伊豆守から名をとり、別名を伊豆殿堀とも呼ぶ。


平林寺堀
野火止用水の支流は菅沢北野堀・平林寺堀・陣屋堀の3本があり、更に末端で樹枝状に分かれていた。写真は平林寺境内に通水する平林寺堀。近年になって復元整備された。


平林寺総門
平林寺入口の総門。拝観料500円を支払い、平林寺境内へ入ろう。


平林寺山門
楼上に釈迦三尊佛、左右に十六羅漢像を安置する山門。平林寺が野火止に移転した寛文3年(1663年)の創建。


平林寺山門
山門の十六羅漢像。鬼気迫る表情に圧倒される。


平林寺佛殿
山門を潜り抜けた先にある佛殿。山門と同じく寛文3年(1663年)創建。


平林寺本堂
佛殿の更なる奥に中門があり本堂が建つ。本堂は明治13年(1880年)再建、釈迦牟尼佛を本尊とする。平林寺は入口の総門から山門・佛殿・中門・本堂へと伽藍が一直線に並び、禅宗様式の特色をよく表しているという。


平林寺境内にて
カマキリを捕獲!しっかりカメラ目線。


平林寺境内にて
こんな勇ましいポーズまで。サービス精神旺盛な可愛い奴だ。秋も深まりそう寿命は長くないだろうけど、頑張って長生きしろよ。


放生池
主要な伽藍の見学を終えて広大な平林寺境内を巡ってみよう。まずは山門南側にある放生池。池中央の中の島に弁財天が祀られる。この池も野火止用水の恩恵だろうか。


増田長盛の墓
豊臣五奉行の一人、増田長盛の墓。五奉行まで登りつめた御方なのに、墓石は小さく質素である。元々は野火止移転前の平林寺にあったが、明治期になってここへ移されたという。長盛は関ヶ原の戦いで西軍石田方に加担した罪を問われ高野山へ出家、後に岩槻城主高石氏預かりの身となった。大坂夏の陣で長男盛次が豊臣方に与したため、その責任をとって自害、平林寺に葬られた。墓が質素なのは、二代に渡って徳川家へ反旗を翻した故だろうか。


見性院の供養塔
増田長盛墓の隣にある見性院の供養塔。長盛の墓に比して大きく立派である。見性院は武田信玄の娘で、穴山梅雪の正室。穴山氏断絶後は家康に保護され、二代将軍秀忠が侍女に生ませた子、幸松(後の保科正之、会津藩藩祖)を養育した。


平林寺堀
境内に残る平林寺堀。残念ながら水は流れておらず、堀跡と言った方が正確かも。いったい、放生池の水源はどこにあるのか疑問だ…。


松平信綱夫妻の墓
松平信綱夫妻の墓。さすがは川越藩主で老中を努め、知恵伊豆と称された名君らしい立派なものだ。


もみじ山
平林寺境内の南西側一帯はもみじ山と呼ばれる紅葉の名勝。


もみじ山にて
まだ葉は青く、11月中旬ながら時期尚早だったよう。


野火止塚
これが野火止塚(九十九塚)。野火止という地名の由来を今に伝える貴重な遺構だ。新編武蔵風土記稿(1830年完成の武蔵国地誌)に伊勢物語(平安前期成立の歌物語)や廻国雑記(1487年頃成立の紀行文、道興准后の著)から引用し、野火止塚についての記述がある。興味のある方は調べてみると面白いと思う。


業平塚
野火止塚の近くにある業平塚。野火止塚と同じ目的で造られたらしいが、物好きな人が伊勢物語から業平塚と名付け、塚上に「むさし野に かたり伝えし在原の その名を偲ぶ 露の古塚」という歌碑を置いたと、江戸名所図会(江戸の名所を紹介した地誌、天保年間刊行)に紹介されている。現在は侵食が著しいのか、小ぢんまりとした土盛りと塚上に業平塚と刻んだ石碑があるだけで、江戸名所図会に紹介される歌碑は残っていない。


平林寺境内林02
武蔵野の面影を留める平林寺境内林。


平林寺塔所
平林寺歴代住職の墓が並ぶ塔所(たっしょ)。


平林寺境内にて
さて、そろそろ境内を出よう。


平林寺境内にて
出口付近ではいい感じに色付く紅葉もちらほら見られた。これにて平林寺境内の散策は終い。


睡足軒の森
総門を出て睡足軒の森へ。国指定天然記念物平林寺境内林の一部にあたり、それ程広くは無いがここでも古の武蔵野を感じることができる。元々は”電力王”とも”電力の鬼”とも称され、電気事業の草創期に活躍した実業家松永安左エ門の屋敷地で、睡足軒は飛騨高山辺りの民家を移築させて草庵としたもの。松永安左エ門は茶に造詣が深く、耳庵を号する茶人でもあった。没後に屋敷地は菩提寺の平林寺へ譲られ、睡足軒は寮舎として利用された。現在は平林寺から新座市へ無償貸与され、一般公開・利用されている。


ムラサキシキブ
睡足軒の森にて。秋に紫色の実をつけるムラサキシキブ。


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高札場
【川越街道 旅の報告】
2013年1月13日(日)
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