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梅の木立場

【2013年7月14日(日)旧東海道 草津宿→石部宿 道中】
目川立場から東海道を江戸方へ向かって1里(約4km)、目川立場と石部宿の中間地点にあたる六地蔵村に梅の木立場が置かれていた。目川の名物が菜飯と豆腐田楽ならば、こちら梅の木立場の名物は道中薬”和中散”。お腹の調子を整える漢方薬だったようで、徳川家康が腹痛を起こした時にこの薬を服用して早々に快復、家康が”和中散”の名を付けたと伝わり、江戸期を通して世間に広く知れ渡った。梅の木立場には複数の和中散屋があったが、現在は「本家ぜさいや」の大角家住宅が唯一当時のままの姿で残り、「旧和中散本舗大角家住宅」の名で国の重要文化財に指定される。

旧東海道 手原・小野・六地蔵・林・伊勢落


すずめ茶屋跡
手原地区に入ってすぐ、東海道から志那港道が分岐していた地点。左が京方の旧東海道、右が志那港(現 草津市志那、琵琶湖東岸の旧港)へ通じた道。かつて分岐点には”すずめ茶屋”という田楽茶屋があり、その跡地を示す看板と新しい道標が立つ。


旧東海道 手原
手原地区を行く旧東海道。


里中稲荷大明神
寛元3年(1245年)創建と伝わる里中稲荷大明神。江戸時代には傘松の老木が有名で、”笠(傘)松の宮”とも称する。


酒屋塩新
手原の旧東海道にて。


手原醤油塩屋藤五郎
左手の旧商家は”手原醤油 塩屋藤五郎”。街道ウォークの一団に潜入して歩いていたので見学者でいっぱい。私の身なりから全く違和感が無かったようで、部外者とは気づかれていないもよう。


里内呉服店
里内呉服店。現在も営業を続けているようだ。


行者堂
旧道沿い左手に行者堂。碑文によると、文政3年(1820年)里内九兵衛という人が大和国より役行者大尊像を背負って持ち帰り小堂を建てたのが始まりという。


魚屋谷久
谷久商店の昔は"魚屋 谷久"。


魚屋谷久
かつての魚屋は食料品と荒物を扱う店に。


旧東海道 小野
手原交差点の先から小野地区へ。写真右手の家には”東海道小野村塗師 桜木屋茂兵衛”の看板が掲げられる。


肩かえの松
旧東海道にせり出す”肩かえの松”。西厳寺前に立つ。旅人足等がこの松の木の下で荷物を担ぐ肩を変えたことに名の由来があると伝わる。


旧東海道 小野
小野地区を行く旧東海道。


光圓寺
旧東海道から狭い参道が延びる光圓寺。


六地蔵村 旅籠京屋
旧六地蔵村の京方入口、右手の家は旧旅籠京屋。


高念寺
六地蔵地区にある高念寺。先に見た光圓寺と同じような狭い参道が延びる。


六地蔵村 表具師古梅堂
写真右手の家は玄関上に”東海道六地蔵村表具師 古梅堂”の看板を掲げる。


三上山と草津線
旧道から北東方向に目を向けると三上山(近江富士)。田園地帯を草津線の電車が駆け抜ける。


旧東海道 六地蔵
六地蔵地区を歩いているうちに空が不穏な状態に。


三上山
三上山を望むと局地的に豪雨が降り注いでいる模様。こっちに来るなと祈るばかり。


六地蔵一里塚跡
江戸日本橋から117里(約459km)、京三条大橋からは8つ目となる六地蔵一里塚跡。往時は目川一里塚と同じく椋の大木が塚上に立っていたという。


六地蔵一里塚跡
六地蔵一里塚跡。東海道名所図会「梅の木」を描いた石碑と、ムクノキを植える小さな塚が築かれている。


六地蔵村 指物屋指亀
一里塚跡の旧道を挟んで向かいには”指物屋 指亀”。指物とは木製品の家具や調度類のこと。


旧和中散本舗
六地蔵一里塚跡から江戸方へ向かってすぐ、草津と石部宿間の最大の見所と思っていた旧和中散本舗大角家住宅。


旧和中散本舗
軒先に”本家ぜさい”の看板を掲げ、今も商いを続けているかのよう。内部には製薬用の石臼や湯沸し釜等が当時のまま残っている。


大角家住宅隠居所
旧和中散本舗の街道を挟んで向かいにある大角家住宅隠居所。店舗が大名や公家等が休憩する本陣として利用される間、家族の住居とする目的で建てられた。江戸時代中期の建築と考えられている。隠居所の塀を挟んだ隣には馬つなぎや薬師堂がある。


旧和中散本舗
街道ウォークの一団が到来。旧和中散本舗に興味津々な様子。


福正寺(法界寺)
大角家住宅隠居所の北側にある福正寺(法界寺)。本尊の木造地蔵菩薩立像は平安時代の作と考えられ、ここ六地蔵という地名の由来になった六体の地蔵の一つと伝わる。


和中散屋ぜさい東店大角重蔵
軒先に”和中散屋ぜさい東店大角重蔵”の看板を掲げる民家。梅の木立場に複数あった和中散屋の一軒なのだろう。


新善光寺道
”新善光寺道””是より一町餘”と刻む道標。新善光寺への参道がここから分岐。新善光寺までは三町(約327m)程あるのだが、道標には一町余とあり距離が合わないのは何故か。新善光寺は鎌倉時代の創建、善光寺の一光三尊阿弥陀仏の分身とされる木造阿弥陀如来立像(国重要文化財)を安置する。


旧東海道 六地蔵
”酒甚”という老舗感漂う酒屋さん。


薬師如来堂
長徳寺境内、薬師如来堂前を行く。薬師如来堂前に「従是東膳所領」と刻む領界石がある。ここより東側が膳所藩の領地であることを示していた。


旧東海道 林
林地区の旧東海道を歩く街道ウォークの一団。雨が降ったり止んだりの生憎の天気だったが、足取りもしっかりと歩いてゆく。


旧東海道 林
「新善光寺道」と刻む道標がここにも。


真教寺
伊勢落にある真教寺。浄土真宗本願寺派。


旧東海道 伊勢落
伊勢落地区を行く旧東海道。伊勢落(いせおち)は古く伊勢への参詣道にあたり、付近の野洲川原に伊勢神宮へ向かう斎王が禊ぎ祓いをした場があったと伝わる。これに由来して当初は伊勢大路と称したが、後に転訛して伊勢落の地名になったという。


旧東海道 伊勢落01
伊勢落にて。金鳥とキンチョールの看板が素敵。


徳生寺
伊勢落にある徳生寺。真教寺と同じく浄土真宗本願寺派。


三上山02
三上山(近江富士)を覆っていた暗雲はいつの間にか消え、空には晴れ間も。


旧東海道 伊勢落02
伊勢落の東端、名神高速道の下で旧東海道は野洲川沿いの下道と、川を遠巻きに南の山側に迂回する上道に分かれる。初期の東海道は下道ルートだったが、天和2年(1682年)野洲川の氾濫で通行不能となり、翌年に上道ルートが開通。以来上道が本街道になったが、下道の方が距離が短かいことから、危険を冒して通行する者も多かったとか。そのため上道・下道の分岐点それぞれに下道の通行を禁ずる近道禁制札が立てられていた。明治期になって堤防が整備され下道ルートが復活、遠回りの上道は廃れていったようだ。

写真の直進は下道、右折が上道。さてどちらを進むか、ここが思案のしどころだ。


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しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
北海道旭川市出身。18歳で実家を出て千葉県に移り住んで約30年、2022年11月転勤をきっかけに千葉県柏市から茨城県土浦市へ引っ越し。今は茨城県民として筑波山を仰ぎ見ながら日々を過ごす。

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