夏見の里
【旧東海道歩き 第4日目】JR石部駅→石部宿→横田の渡し跡→水口宿→ホテル古城
【2013年8月3日(土)旧東海道 石部宿→水口宿 道中】
猛暑到来となった8月最初の土曜日、何を好きこのんでこんな日に歩かねばならないのだろうとの気持ちとは裏腹にそそくさと荷物を整えて東京駅へ向かい、東海道新幹線に乗車して京都駅へ。そして琵琶湖線・草津線を乗り継いで石部駅に降り立つ。天気は快晴、照りつける陽射しはすぐにも肌を焦がすかのようだ。そんな中、石部宿内を歩いて前回立ち寄れなかった田楽茶屋で遅めの朝食を済ませ、いざ次の水口宿を目指す。
石部宿を東の見附跡から出ると、落合川を渡って柑子袋・平松地区を通り抜け、家棟川を渡河し針地区に。そして由良谷川と大沙川という2つの天井川の下を潜り抜ける。この天井川の2河川に挟まれた旧東海道沿いに夏見の里と呼ばれる立場があった。江戸時代には心太(ところてん)を名物とする茶屋が数軒あったが、現在の沿道に並ぶ家々は昔日の賑わいを伝えるべくもなく静かな佇まい。残念ながら心太を食べられる店等は無い。文化12年(1815年)刊行の「近江名所図会」に夏見の里として紹介され、往来の客で賑わう茶屋の様子が描かれている。
より大きな地図で 夏見の里 を表示

強烈な陽射しが照りつける中、JR石部駅より旧東海道歩きを再開。

前回の訪問で準備中だった石部宿田楽茶屋。本日も準備中の札が掛かっていたが、入口は開いている。茶屋内を覗いて店の方に「営業してますか?」と聞いたところ、「どうぞ」との返答。よかったぁ。

宿場そばとおにぎりで腹ごしらえ。美味しゅうございました。メニューに田楽があったので注文してみたが、夏場はやっていないとのこと。残念。

前回の旧東海道歩きの終了地点、石部宿東の見附跡。いざ次の水口宿へ!

石部宿江戸方(東)外れ、石部東・柑子袋地区の境を流れる落合川。

落合川にて。

柑子袋地区、旧東海道沿いにある”きずな街道休憩所”。せっかくなのでここで休憩、熱中症予防のため水分補給をはマメに。

きずな街道休憩所にて。湖南市夏祭りのポスターが目に留まる。おっ!今日なのか。

光林寺前を行く旧東海道。

柑子袋の旧東海道より。田んぼの緑と青い空。心安まる風景だ。

平松地区へ。みよし酒店前の旧東海道。

平松の地名は地区内に自生する美松(うつくしまつ)に由来するという。美松は美松山の斜面にのみ自生し、根元から複数の幹が放射状に分かれる珍しいアカマツの変種。「平松のウツクシマツ自生地」として国の天然記念物に指定される。

家棟川橋を渡って平松から針地区へ。

旧東海道沿いの蔵元、北島酒造「御代栄」。文化2年(1805年)創業。
北島酒造
http://www.kitajima-shuzo.jp/

針地区にあるおやすみ処(針公民館)。ちょっと休もうかと思ったが、見ての通り立入禁止な雰囲気なのでパス。

針地区を行く旧東海道。

由良谷川隧道。上を流れるは天井川の由良谷川。

隧道を抜けると夏見地区。隧道前に昭和10年建立の新田道道標が立つ。

由良谷川の様子を見てみようと土手をよじ登った。川水は無く川底には雑草がはびこる状態。久しく水が流れていないのだろう。

由良谷川隧道上より夏見地区を望む。

夏見の西端にある報恩寺。

夏見一里塚跡。夏見診療所前に解説板が設置されているが、実際には70m程東側が跡地と解説板に書かれている。江戸日本橋から115里(約452km)、京三条大橋からは10番目(実測で約41km地点)となる一里塚が築かれていたが現存せず。

夏見を行く旧東海道。

民家に挟まれた狭い参道の向こうに了安寺。

名物トコロテンを出す茶屋があり賑わった夏見の里も今は昔。かつては茶屋の店先で水車を回し、その動力でカラクリ仕掛けの人形を動かして客を楽しませていたという。近年まで”いなりや”という茶店の建物が残っていたが、平成21年に店先の藤棚と共に撤去されてしまったらしい。惜しいことだ。

今や近江名所図会で”夏見の里”の往時を偲ぶしかない。(湖南市観光協会設置の解説板より)

夏見を抜け吉永地区に入って間もなく、大沙川隧道を潜り抜ける。隧道上には大杉弘法堂があり、傍らに弘法杉が聳え立つ。

弘法杉の根元にある大杉弘法堂。弘法大師像を安置する。

大沙川と弘法杉。大沙川は由良谷川と同じく天井川、やはり川水の流れは無い。

樹齢750年という弘法杉。弘法大師がここで昼食をとり、地面にさした杉の箸が成長したのがこの大杉との伝説がある。箸が元だけに元々2本の大杉が聳え立っていたが、江戸時代に1本は台風で倒木した。

吉永地区の旧東海道沿いにある”おもてなし処”でしばし休憩。夏場は陽射しを避けられるこういった休憩所があると大変助かる。

おもてなし処の向かいに長谷商店が目に入る。おぉ、自販機があるではないか。スポーツドリンクを購入したっぷりと水分補給。まさに現代の茶屋だ。

せっかくなので”おもてなし処”に設置される記念スタンプを押して記念に。

吉永地区の東端にある三吉(さんきち)景観水路。

三吉景観水路にて。シオカラトンボが羽を休めて。

三吉景観水路の先で三雲踏切を渡り三雲地区へ。

三雲地区を行く旧東海道。

荒川橋を渡って。

荒川橋西詰に残る道標群。写真手前から「田川ふどう道」「万里小路藤房卿古跡」「立志神社」の道標が並ぶ。

荒川橋上より。JR草津線の電車が横を走り過ぎゆく。

橋爪呉服店。隣にある木造の蔵が印象的。

三雲駅前、民家の軒先にある明治天皇聖蹟碑。建てられた由緒がわからない。明治天皇が行幸の折に立ち寄られたのだろうか。

JR三雲駅。旧東海道はJR三雲駅前を通り抜け、野洲川左岸を進んで横田の渡しで野洲川を渡河する。しかし現在は横田の渡し跡に橋が架かっていないため、横田駅前から国道1号の横田橋を渡る迂回路を進むしかない。
【2013年8月3日(土)旧東海道 石部宿→水口宿 道中】
猛暑到来となった8月最初の土曜日、何を好きこのんでこんな日に歩かねばならないのだろうとの気持ちとは裏腹にそそくさと荷物を整えて東京駅へ向かい、東海道新幹線に乗車して京都駅へ。そして琵琶湖線・草津線を乗り継いで石部駅に降り立つ。天気は快晴、照りつける陽射しはすぐにも肌を焦がすかのようだ。そんな中、石部宿内を歩いて前回立ち寄れなかった田楽茶屋で遅めの朝食を済ませ、いざ次の水口宿を目指す。
石部宿を東の見附跡から出ると、落合川を渡って柑子袋・平松地区を通り抜け、家棟川を渡河し針地区に。そして由良谷川と大沙川という2つの天井川の下を潜り抜ける。この天井川の2河川に挟まれた旧東海道沿いに夏見の里と呼ばれる立場があった。江戸時代には心太(ところてん)を名物とする茶屋が数軒あったが、現在の沿道に並ぶ家々は昔日の賑わいを伝えるべくもなく静かな佇まい。残念ながら心太を食べられる店等は無い。文化12年(1815年)刊行の「近江名所図会」に夏見の里として紹介され、往来の客で賑わう茶屋の様子が描かれている。
より大きな地図で 夏見の里 を表示

強烈な陽射しが照りつける中、JR石部駅より旧東海道歩きを再開。

前回の訪問で準備中だった石部宿田楽茶屋。本日も準備中の札が掛かっていたが、入口は開いている。茶屋内を覗いて店の方に「営業してますか?」と聞いたところ、「どうぞ」との返答。よかったぁ。

宿場そばとおにぎりで腹ごしらえ。美味しゅうございました。メニューに田楽があったので注文してみたが、夏場はやっていないとのこと。残念。

前回の旧東海道歩きの終了地点、石部宿東の見附跡。いざ次の水口宿へ!

石部宿江戸方(東)外れ、石部東・柑子袋地区の境を流れる落合川。

落合川にて。

柑子袋地区、旧東海道沿いにある”きずな街道休憩所”。せっかくなのでここで休憩、熱中症予防のため水分補給をはマメに。

きずな街道休憩所にて。湖南市夏祭りのポスターが目に留まる。おっ!今日なのか。

光林寺前を行く旧東海道。

柑子袋の旧東海道より。田んぼの緑と青い空。心安まる風景だ。

平松地区へ。みよし酒店前の旧東海道。

平松の地名は地区内に自生する美松(うつくしまつ)に由来するという。美松は美松山の斜面にのみ自生し、根元から複数の幹が放射状に分かれる珍しいアカマツの変種。「平松のウツクシマツ自生地」として国の天然記念物に指定される。

家棟川橋を渡って平松から針地区へ。

旧東海道沿いの蔵元、北島酒造「御代栄」。文化2年(1805年)創業。
北島酒造
http://www.kitajima-shuzo.jp/

針地区にあるおやすみ処(針公民館)。ちょっと休もうかと思ったが、見ての通り立入禁止な雰囲気なのでパス。

針地区を行く旧東海道。

由良谷川隧道。上を流れるは天井川の由良谷川。

隧道を抜けると夏見地区。隧道前に昭和10年建立の新田道道標が立つ。

由良谷川の様子を見てみようと土手をよじ登った。川水は無く川底には雑草がはびこる状態。久しく水が流れていないのだろう。

由良谷川隧道上より夏見地区を望む。

夏見の西端にある報恩寺。

夏見一里塚跡。夏見診療所前に解説板が設置されているが、実際には70m程東側が跡地と解説板に書かれている。江戸日本橋から115里(約452km)、京三条大橋からは10番目(実測で約41km地点)となる一里塚が築かれていたが現存せず。

夏見を行く旧東海道。

民家に挟まれた狭い参道の向こうに了安寺。

名物トコロテンを出す茶屋があり賑わった夏見の里も今は昔。かつては茶屋の店先で水車を回し、その動力でカラクリ仕掛けの人形を動かして客を楽しませていたという。近年まで”いなりや”という茶店の建物が残っていたが、平成21年に店先の藤棚と共に撤去されてしまったらしい。惜しいことだ。

今や近江名所図会で”夏見の里”の往時を偲ぶしかない。(湖南市観光協会設置の解説板より)

夏見を抜け吉永地区に入って間もなく、大沙川隧道を潜り抜ける。隧道上には大杉弘法堂があり、傍らに弘法杉が聳え立つ。

弘法杉の根元にある大杉弘法堂。弘法大師像を安置する。

大沙川と弘法杉。大沙川は由良谷川と同じく天井川、やはり川水の流れは無い。

樹齢750年という弘法杉。弘法大師がここで昼食をとり、地面にさした杉の箸が成長したのがこの大杉との伝説がある。箸が元だけに元々2本の大杉が聳え立っていたが、江戸時代に1本は台風で倒木した。

吉永地区の旧東海道沿いにある”おもてなし処”でしばし休憩。夏場は陽射しを避けられるこういった休憩所があると大変助かる。

おもてなし処の向かいに長谷商店が目に入る。おぉ、自販機があるではないか。スポーツドリンクを購入したっぷりと水分補給。まさに現代の茶屋だ。

せっかくなので”おもてなし処”に設置される記念スタンプを押して記念に。

吉永地区の東端にある三吉(さんきち)景観水路。

三吉景観水路にて。シオカラトンボが羽を休めて。

三吉景観水路の先で三雲踏切を渡り三雲地区へ。

三雲地区を行く旧東海道。

荒川橋を渡って。

荒川橋西詰に残る道標群。写真手前から「田川ふどう道」「万里小路藤房卿古跡」「立志神社」の道標が並ぶ。

荒川橋上より。JR草津線の電車が横を走り過ぎゆく。

橋爪呉服店。隣にある木造の蔵が印象的。

三雲駅前、民家の軒先にある明治天皇聖蹟碑。建てられた由緒がわからない。明治天皇が行幸の折に立ち寄られたのだろうか。

JR三雲駅。旧東海道はJR三雲駅前を通り抜け、野洲川左岸を進んで横田の渡しで野洲川を渡河する。しかし現在は横田の渡し跡に橋が架かっていないため、横田駅前から国道1号の横田橋を渡る迂回路を進むしかない。

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