横田渡し

【2013年8月3日(土)旧東海道 石部宿→水口宿 道中】
鈴鹿山脈に源を発し琵琶湖に注ぐ野洲川、草津宿から野洲川の南側を通ってきた旧東海道は、三雲駅前から左岸を進んで野洲川を渡り、その北側に進路を変える。かつてその渡河地点に渡し場が設けられており、地元では野洲川の名よりも横田川の名で通っていいたため”横田渡し”と呼び、東海道十三渡の一つに数えられた。軍事的理由から幕府はここに架橋を許さず、渡し場江戸方にある泉村に渡し賃を徴収して管理維持することを命じ、川の水量が多い3月から9月までは舟渡し、渇水期の10月から2月にかけては流路に仮土橋を架けて通行させていたという。明治24年(1891年)横田渡しの地点に板橋が架けられたが、昭和4年(1929年)に下流部へ橋が移され、昭和27年(1952年)現在の国道1号が通る横田橋が完成した。


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横田常夜燈
横田常夜燈。三雲駅近く、旧東海道から旅館天保閣への道が分かれる地点にある。


横田常夜燈
横田常夜燈は安永8年(1774年)東講中による建立。左岸の三雲地区、右岸の泉地区のそれぞれに常夜燈が設置され、三雲側の常夜燈は泉側のものよりも50年以上古い。建立当時は現在地よりも約200m上流にあった。


天保義民之碑
旅館天保閣近くにある天保義民之碑。高さ10mという圧巻の慰霊碑。天保13年(1842年)不条理な検地に異議を唱え近江天保一揆を起こした重要人物、三上村の庄屋土川平兵衛をはじめとする11名の追悼と慰霊を目的に建立された。近江天保義民と呼ばれる。他の百姓一揆と同様、近江天保義民は首謀者として幕府により捕縛され死罪等で犠牲となった。明治になってようやく大赦となり、一揆から56年後の明治31年(1898年)この天保義民之碑が建立された。


旧東海道 三雲
横田渡し跡へ向かう旧東海道。右は草津線、左は野洲川の河原。


横田渡し跡
雑草に覆われた河原の向こうに泉側の横田渡常夜燈が見える。写真中央に常夜燈が見えているのだが、小さすぎてこの写真ではわからない。なのでデジカメのズーム機能をフルに使って↓


横田渡し跡
三雲側から望む泉側の横田渡常夜燈。


横田渡し跡
京方から旧東海道を来るとこの辺りで左折し、野洲川の河原を進んで渡し場へ至っていたようだ。また、この地点からは深川(甲賀市甲南町深川市場)を経て伊賀・伊勢へと至る新海道(杣街道)が分岐し、その分岐点には”新海道”と刻む道標が置かれていたが、現在は天保義民之碑がある天保義民の丘に移されている。


新海道道標
これが天保義民の丘に移された新海道道標。ここには解説板が無く、草むらの中に無意味にあるだけのように見える。道標は元々の場所にあってこそ価値があり興味がそそられるというもの。


国道1号 横田橋
横田の渡しで野洲川を渡河できないので、来た道を三雲駅まで戻って国道1号の横田橋を渡る。


ハグロトンボ
路傍の草むらで見つけたハグロトンボ。逃げ足が速く翅を広げた瞬間を苦労のうえ撮影。


泉西交差点
泉西交差点で国道1号を離れ泉側の渡し場跡へ向かう。


横田渡常夜燈
これが先ほど対岸から見えていた泉側の横田渡常夜燈。冠木門が備え付けられ、渡し場の雰囲気を残すように整備された感じ。らしい雰囲気がある。


横田渡常夜燈
横田渡常夜燈は文政5年(1822年)建立。高さが10.5mの立派なもので、東海道中で最大級とされている。対岸からもしっかり視認できたわけだ。


横田渡常夜燈の古写真
現地にある横田橋の解説板より横田渡常夜燈の古写真。常夜燈の先に架かる橋は明治24年(1891年)に架けられた横田橋。


横田渡し跡
横田渡し跡。昭和初期以前はここを多くの旅人が往来していた。


旧横田橋跡
旧横田橋跡。現在、橋は撤去されており橋台の石垣だけが残っている↓


旧横田橋の橋台
旧横田橋の橋台。


野洲川にて
野洲川にて。アユ釣りの釣り人たちがそこかしこに。釣果はどうなんでしょう。


横田渡し跡
冠木門の先に旧東海道が延びる。


横田渡し跡
渡し場跡を後にし振り返って。


河原屋敷橋
泉川を河原屋敷橋で渡る。


泉一里塚跡
竹林の脇、隠れるように泉一里塚跡を発見。


泉一里塚跡
泉一里塚跡。江戸日本橋から114里目(約448km)、京三条大橋からは11番目(実測で約45km地点)となる一里塚が築かれていたが現存せず。現在は一里塚を模したモニュメントが設置される。


泉の田園風景
泉地区の旧東海道から田園を眺めながら。


日吉神社御旅所
舞込橋西詰にある日吉神社御旅所。


泉の松並木
泉の集落に入る手前、旧東海道沿いにちょっとした松並木。


泉福寺と日吉神社
泉福寺と日吉神社。治安3年(1023年)創祀と伝わる日吉神社、泉村の祈願所泉福寺の護法神として坂本日吉大社の御分霊を勧請したことにはじまりがあると云う。


泉福寺境内にて
泉福寺境内にて。盛んに鳴き声をあげるアブラゼミ。夏だなぁ。


旧東海道 泉
泉の集落を行く旧東海道。


旧東海道 泉
旧東海道筋、旧泉村の家並み。


泉公民館
泉公民館。ここにも日吉神社御旅所がある。


旧東海道 泉
泉の集落を出て先へ。


柏木公民館
旧東海道筋、北脇の集落内にある柏木公民館。江戸時代にこの辺りは北脇村と言ったが、明治22年(1889年)隣の泉村等を併合して柏木村となった。そのため小学校や公民館、農協等に柏木の名が残っているようだ。


柏木公民館にて
柏木公民館にて。


旧東海道 北脇
夕暮れ時の旧街道は哀愁漂う雰囲気。


旧東海道 北脇
北脇を行く旧東海道。


北脇縄手と松並木
北脇の集落を抜ければ旧東海道は水口城下へ向け、田の中を一直線に延びる。かつては北脇縄手と呼ばれ、街道両脇に土手を盛り松並木が植えられていた。現在は片側に松並木が復元植樹されている。


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