石薬師宿

【2014年5月3日(土)旧東海道 石薬師宿】
京方隣の庄野宿から僅か3km弱、蒲川の先から石薬師宿の家並みが続く。江戸日本橋から数えて44宿目、京都三条大橋からならば10宿目となる石薬師宿。その成立は東海道の宿駅整備からやや遅れて元和2年(1616年)、それ以前は高富村等と称したが、宿駅成立時に上野村の石薬師寺に因んで石薬師を名のった。また、この時に石薬師寺も旧寺号の西福寺から現寺号に改称したともいい、それ以前から西福寺は石薬師の名で呼び親しまれ定着していたのだろう。開宿当初の宿場規模は高富村32戸と上野村12戸に近郷からの移転を合わせ180戸余りだったという。

天保14年(1843年)当時の人口991人、家数241軒、本陣3、脇本陣なし、旅籠15軒。京方より上野町・南町・中町・本町・北町と続く町並み。開宿当初から200年以上を経て家数が60軒程しか増えていないうえに旅籠も15軒と少なく、江戸期を通して大きく発展することは無かったようだ。その理由は江戸期に盛んだった伊勢参りの人々が、東海道を京方から来れば関宿東の追分から伊勢別街道へ、江戸方から来れば日永追分から伊勢街道を通ったため、その間にあった城下町で若松港からの道が通じる亀山宿はさておき、一宿場にすぎない庄野宿と石薬師宿は甚だ振るわず、宿経営は大変苦しかった。名物は薬師饅頭と鰻、現在は饅頭を売る店も鰻屋も見られない。


より大きな地図で 石薬師宿 を表示


石薬師一里塚跡
石薬師宿京方外れ、蒲川橋西袂にある石薬師一里塚跡。江戸日本橋から102里目(約401km)、京三条大橋からは23番目(実測で約96km地点)となる一里塚。かつて両塚に植えられていた榎は昭和34年(1959年)の伊勢湾台風で倒木、その後に残っていた根元も消失し消失してしまい、昭和52年(1977年)石薬師一里塚の跡地に榎の若木が植えられた。それから40年近くを経て立派な榎に育ち往時を偲ぶ。


蒲川橋
蒲川に架かる蒲川橋。かつての東海道は蒲川橋の少し下流(写真左)側に橋が架けられ蒲川を渡河していた。


石薬師宿上野町
蒲川橋から先に軒を連ねる石薬師宿上野町の町並み。


石薬師宿上野町にて
石薬師宿内の旧東海道は”信綱かるた道”の名が付けられる。石薬師出身の国文学者で歌人、佐佐木信綱の短歌から50首を選んで作られた”信綱かるた”から、その内の36首を旧東海道筋に掲げて道行く人を楽しませる。”信綱かるた”は平成16年(2004年)佐佐木信綱顕彰会による作製。

花さき みのらむは知らず いつくしみ 猶もちいつく 夢の木実を


石薬師寺
石薬師という宿名の起源、石薬師寺。広重が描いた保永堂版の浮世絵「東海道五拾三次之内 石薬師」は、「石薬師寺」の副題を付け、この寺の山門を左に配置して東海道に連なる石薬師宿の家々、稲の収穫を終えて稲叢を積む田圃の情景を描く。


東海道五拾三次之内 石薬師
東海道五拾三次之内 石薬師「石薬師寺」。高富山石薬師寺ホームページより。

高富山石薬師寺
http://www.geocities.jp/ishiyakushiji/


石薬師寺付近
左奥に石薬師寺の山門を配置し、広重の浮世絵と同じような構図で撮影。右手に描かれていた田圃は宅地に消え失せ、寺の背後に山は全く見えない。浮世絵に見える石薬師寺背後の山は、明治期に切り崩された鷹飛山との記述を見つけたが、これだけの山が跡形も無く消失するとは考えにくい。浮世絵に描かれる遠景の山々は鈴鹿山脈の入道ヶ岳か野登山付近を表現しているともいわれており、描かれた山々は広重が近郊から眺望した鈴鹿山脈の景観を合成したと考えるのが妥当だろう。


石薬師寺
寺伝によれば、石薬師寺は神亀3年(726年)加賀国白山の僧泰澄の開基、平安初期の弘仁3年(812年)弘法大師が奇石を彫り上げて安置したと伝える薬師如来像を本尊に祀る。後に嵯峨天皇は大伽藍を建立させて勅願寺とし、名を高富山西福寺瑠璃光院と称した。古くから病気平癒にご利益ある寺社として広く知れ渡っていたと云う。天正年間(1573年~1592年)兵火により焼失、現在に見る本堂は寛永6年(1629年)再建のもので、三重県指定有形文化財(建造物)。


御曹子社
石薬師寺の東側に鎮座する御曹子社(蒲冠者範頼之社)。源頼朝の弟、範頼を祭神に祀る。文武両道の優れた源範頼にあやかり、武道・学問の願望成就の神として崇められたという。近辺は戦国期に高富城(別名を東条城)が築かれていた場所と伝わっており、それに関連する神社と思われる。


石薬師の蒲ザクラ
石薬師の蒲ザクラ。寿永年間(1182年~1184年)、源範頼が平家追討の西へ向かう途次、ここで鞭に使っていた桜の枝を逆挿ししたものが芽を吹き、この桜の大樹が育ったと云う。このため”逆桜”とも呼ばれる。


瑠璃光橋
石薬師寺を過ぎて瑠璃光橋を渡る。その下を通るは国道1号(現 東海道)。


瑠璃光橋袂にて
瑠璃光橋袂にて。卯の花(ウツギ)が咲き誇る。


石薬師宿南町
石薬師宿南町の町並み。


石薬師宿 南町橋
南町橋跡。旧東海道に交差して東西に願入坊川が流れ、南町と中町の境をなしていたと思われる。現在、川は暗渠となって南町橋と刻まれた親柱が路傍に残る。


浄福寺
永正年間(1504年~1520年)開基と伝わる浄福寺。真宗高田派、阿弥陀如来を本尊とする。


佐々木弘綱翁紀念碑
浄福寺山門前に立つ佐々木弘綱翁紀念碑。佐々木弘綱は文政11年(1828年)石薬師に生まれ、本居学派の足代弘訓や、歌人として名声を博した井上文雄に師事。後に藤堂藩藩校の有造館や帝国大学などで教鞭をとり、国文学研究や和歌の普及に尽力した。佐佐木信綱の父。


石薬師宿中町
石薬師宿中町の町並み。石薬師宿に3軒あった本陣のうちの2軒、、岡田庄兵衛家と岡田忠左衛門家は中町の東海道筋西側に並んでいたが、跡地がはっきりわからない。佐佐木信綱資料館辺りか。


佐佐木信綱資料館
佐佐木信綱資料館を見学に。佐佐木信綱の著書や遺品等を展示する。佐佐木信綱は幼少より父弘綱に歌学や国文学の教育を受け、後に和歌を高崎正風に学んだ。明治30年頃より「竹柏会」を主宰し、歌誌「こゝろの華」を刊行、短歌の普及と歌人の育成に務める一方、万葉集や和歌史の研究などに功績を残した。生涯に作った短歌は1万余首にのぼり、多くの歌集を刊行。唱歌「夏は来ぬ」の作詞者としても知られる。


佐佐木信綱生家
資料館の隣には佐佐木信綱生家。昭和45年(1970年)現在地に移築され記念館として開館した。信綱は明治5年(1872年)佐々木弘綱の長男として石薬師に生まれ、6歳までこの地で過ごした。


佐佐木信綱生家 産湯の井戸
裏庭に”佐佐木信綱先生 産湯の井戸”。「夏は来ぬ」の歌詞にも登場する卯の花が満開の季節、可愛らしい純白の花が初夏の到来を告げる。いい時期に来れた。

卯の花の におう垣根に 時鳥(ほととぎす) 早も来なきて
忍音(しのびね)もらす 夏は来ぬ♪



佐佐木信綱生家内部
佐佐木信綱生家内部。


石薬師文庫
石薬師文庫。昭和7年(1932年)佐佐木信綱は還暦を迎えるにあたり、伊勢国学に関する版本や写本等の貴重な書籍と共に、その閲覧所としてこの建物を旧石薬師村に寄贈した。現在は地域の図書館として活用されている。


小澤本陣跡
石薬師宿本町、小澤本陣跡。小澤右衛門を名のり、石薬師宿3本陣の中で最も有力な本陣家だったと思われる。現在も本陣跡に広い敷地を有するのは小澤家であり、子孫の方が住まわれているのだろう。


小澤本陣跡
かつて小澤本陣周辺には高い松の木があり、、松本陣とも呼ばれていたという。宿帳をはじめ、宿場関係の古文書を今に多く残している。


旅籠富野屋跡
小澤本陣から江戸方へ向かって間もなくの街道東側、陶製の”石やくし宿 江戸時代の軒並図”を掲げる民家(写真右手前)がある。この軒並図によるとここは旅籠富野屋跡。


石やくし宿 江戸時代の軒並図
”石やくし宿 江戸時代の軒並図”。旧東海道ウォーカーに配慮して作られたのだろうか。参考になり本当に有難い。


大木神社
延喜式内社の大木神社。石薬師の鎮守。椎の森に囲まれて厳かに社殿が佇む。


石薬師宿北町
石薬師の象徴とも言える卯の花が路傍のあちこちに。


石薬師宿北町
石薬師宿江戸方端の北町。マルフクの先、浪瀬川に向かって下り坂に。


北町の地蔵堂
石薬師宿江戸方出入口、北町の地蔵堂。江戸時代から今日まで、東海道を往来する旅人を見守り続けた延命地蔵を安置する。


北町の地蔵堂と旧東海道
北町の地蔵堂と旧東海道。石薬師宿を後に。


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よくわかります

石薬師は、私の曾祖母の出生地です。
明治初期ですが、中村屋という旅館の娘として生まれたそうです。
曾祖母は、50年以上前に亡くなりましたが
どんなところに住んでいたのか知りたくて検索しましたところ
貴ブログにたどり着きました。
中村旅館が、どこにあったのか、手がかりになるものがあれば
一度、石薬師宿跡地を訪ねてみたく思いました。
詳しい情報、ありがとうございました。(^^)/

No title

うの花子さん、はじめまして。
明治初期に旧宿場町で旅館をやっていたということは、江戸時代に屋号が違えども旅籠だった可能性が高いですね。以前に先祖の方が会津西街道の大桑宿で酒造業をやっていて、実際に現地へ通ってそのルーツを調べていた方がおられました。色々と新事実がわかったそうです。その方曰く、古いことは寺で調べるに限ると言われてましたので、まずは現地へ行って寺を訪ねてみてはいかがでしょうか。もし私のブログが中村旅館のルーツを知るきっかけとなったならば、本当に嬉しいことです。

行ってきました!

GW初日に、石薬師に行ってきました。
街道の端から端まで見て回りました。
石薬師寺は、落ち着きのある良いお寺ですね。
佐佐木信綱記念館には、卯の花がたくさん咲いていて
売ってもいたので、買ってきました。(^^)/

残念ながら、中村屋旅館のことはわかりませんでしたが、
曾祖母の生まれ故郷を知ることができて大満足です。
このページの詳しい説明と、写真を頼りに行き
おかげで、道に迷うことなく行けてよかったです。
どうもありがとうございました。(*^_^*)

No title

うの花子さん、コメントありがとうございます。
早速石薬師宿を訪ねたとのこと、私のブログが少しでも役立ったなら嬉しい限りです。ただ中村旅館の手がかりが得られなかったのは残念…。
私が石薬師を訪ねたのが2年前の5月初旬、ちょうど卯の花の開花時期で、白く可憐な花が咲き誇っていて強く印象に残っています。
のろのろと東海道を歩き、ぼちぼちとブログを書いていますので、また遊びにきてやってください。
プロフィール

しまむー

Author:しまむー
自称りーまんな旅人。
千葉県在住。

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現在の行程

東海道 東海道を歩いてます。


1日目(2013/5/19)三条大橋→大津宿 MAP
2日目(2013/7/13)大津宿→草津宿 MAP
3日目(2013/7/14)草津宿→石部宿 MAP
4日目(2013/8/3)石部宿→水口宿 MAP
5日目(2013/8/4)水口宿→土山宿 MAP
6日目(2013/10/13)土山宿→坂下宿→関宿 MAP
7日目(2014/3/9)関宿→亀山宿→庄野宿 MAP
8日目(2014/5/3)庄野宿→石薬師宿→四日市宿 MAP
9日目(2014/5/4)四日市宿→桑名宿→七里の渡し跡 MAP
10日目(2014/6/8)七里の渡し跡→宮宿→鳴海宿 MAP
11日目(2014/11/2)鳴海宿→池鯉鮒宿 MAP
12日目(2015/4/4)池鯉鮒宿→岡崎宿 MAP
13日目(2015/5/23)岡崎宿→藤川宿 MAP
14日目(2015/7/19)藤川宿→赤坂宿→御油宿 MAP
15日目(2015/9/22)御油宿→吉田宿 MAP
16日目(2015/11/29)吉田宿→二川宿 MAP
17日目(2016/2/20)二川宿→白須賀宿→新居宿 MAP
18日目(2016/4/3)新居宿→舞坂宿→浜松宿 MAP
19日目(2016/5/6)浜松宿→見付宿 MAP
20日目(2016/5/7)見付宿→袋井宿 MAP
21日目(2016/6/25)袋井宿→掛川宿 MAP
22日目(2016/7/17)掛川宿→日坂宿→金谷宿 MAP
23日目(2016/10/8)金谷宿→島田宿 MAP

高札場
【川越街道 旅の報告】
2013年1月13日(日)
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川越時の鐘
【成田街道 旅の報告】
2012年7月8日(日)
下総国新宿を発ってから…
約5ヶ月の月日をかけて、成田山新勝寺・寺台宿に到着しました!
新勝寺大本堂と三重塔
【会津西街道街道 旅の報告】 2012年1月22日(水)
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約1年6ヶ月の月日をかけて、
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鶴ヶ城
【 水戸街道 旅の報告 】 2010年5月5日(水)
武蔵国千住宿を発ってから…
約3ヶ月の月日をかけて、
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【 日光街道 旅の報告 】 2010年1月10日(日)
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8ヶ月の月日をかけて、
東照大権現が鎮座される
日光東照宮に到着しました!
日光東照宮陽明門
【 中山道 旅の報告 】
2008年10月13日(月)
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1年10ヶ月もの月日をかけて、 ついに京都三条大橋に到着しました!
京都三条大橋

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